#1-2
そこから先は早かった。
まずアージが大斧に手をかけてシャモに襲い掛かった。オフィス内でのルールなど知ったことかと、あたりにハンターがいるのも構わず斧を垂直に振り下ろした。その怪力で魔法生物、異次元獣、人間にいたるまであらゆるものを真っ二つにするアージ自慢の大斧である。周囲のハンター達は机や椅子を蹴飛ばし、大きく引いた。
アージの攻撃をシャモは最小限の動きで左に避ける。シャモの赤い髪の先が数本、はらりとなびいて散った。振り下ろされてカウンターに刺さった斧を引き抜こうとした両腕、そこから数センチ上をシャモはカタナで切断する。
「おおあッ!」
両腕を切り落とされたアージの絶叫が響き渡った。主から切り離されたアージの腕は柄を握ったまま大斧にぶらんと垂れ下がる。
次に空気の揺らめきがあった。後方にいたギブリが意味不明の叫びと共に長杖を構え、魔法を放とうとしていた。ギブリが得意とする闇魔法特有の黒いオーラが杖の先に集まる。ここで魔法を放てば周囲も巻き込むことになるだろう。ゴードは咄嗟にカウンターから飛び出そうとした。
それより先に動いたのはシャモだ。ギブリとの距離はおよそ数メートル。悶絶するアージをよそにシャモはギブリへ振り向く。カタナの刃を顔の前で垂直に構え、右手を刃に添えて一気に飛んだ。シャモの身体ごと、刃はおそるべき速度で迫り、杖の先端に食い込む。さらに地を蹴り、距離を詰める。やがてカタナの刃が唐竹割りのように杖を真っ二つに裂き、勢いのままギブリの細い指も切り落とす。
「ああああ私の指!」
ぞぶ、と嫌な音がして、やがて刃は彼女の鼻、顔面へと到達。シャモは右手を柄に戻し、渾身の力と共にカタナを振り下ろす。ギブリは脳天から股間までを垂直に斬り裂かれ、仰向けに倒れて死んだ。
最後に激昂したアージが駆けてきた。愛する者を一瞬で斬殺された恨みか、彼は自らの両腕がないのも忘れたかのようにシャモへと飛び掛かってきた。シャモはしかし振り返ることなく、既に二人分の血を吸ったカタナを素早く後ろへと返し、脇の下から突き出す。カタナの切っ先が鎧の小さな隙間に吸い込まれた。鋭い刃がアージの腹部を正確に、深々と貫く。
「ごぶ」
アージの動きが止まる。続いてシャモは柄を握る手をおもむろに捻る。貫いたままの刃が二度、三度と臓腑をかき混ぜる。
「ごぶ、ごぼ、ごぼぼ……」
何度か“ねじり”をくわえた後、シャモはゆっくりとカタナを引き抜く。アージの鎧の隙間から、しゅう、と血が霧吹きのように噴き出し、彼女は背中にも返り血を浴びた。
あっという間の出来事であった。
―――
毒霧騎士団の三人は瞬く間に死んだ。たった一人の少女によって物言わぬ骸と化した。
「ひ……ひ、ひ」
残る一人になったノノハは腰を抜かし、失禁していた。顔を歪めてかちかちと歯を鳴らす彼女を、シャモは両手でカタナを構えたまましばらく見下ろしていた。もしここでノノハが武器を構えれば容赦なく斬られていただろう。だがもはやその気力はなかった。
どれくらいの時間が流れただろうか。やがてシャモは右手を再び柄から離し、コツンと拳で柄を叩く。刃に付いた血が床に散り、カタナは静かに鞘へと納まる。シャモの所作は一辺の無駄もなく、カタナと同様に美しかった。
「うぶ」
最後にシャモは嘔吐した。恐怖とか興奮とかそういった感情は一切も見せず、無表情のまま――なぜかその場で胃液を吐いた。
オフィス内にいたハンター達はもはや動くこともなく、ただシャモを見ていた。
「……気は済んだか」
血まみれの斧が刺さったカウンターを見下ろしながらゴードは言った。
斧にぶら下がっていたアージの両腕が、ごとん、と落ちる。
「抜いたから斬った」
シャモは顔についた血と胃液を手の甲で拭い、返した。
――そう。つまり“それだけ”だったのだ。
自らに刃を向けられれば誰であろうと容赦なく斬る。それがこのシャモというワタリドリが持つ行動理念。
ハンター達にとってオフィス内での争いは御法度だ。時には武器が抜かれることもあるが、それは示威行為であり命の奪い合いには発展しない。そうすればルールを冒したとされ、まともな扱いを受けなくなる。ハンターにとってそれは本意ではない。
この少女にルールは通用しない。改めてゴードは理解する。ハンターや人間のルールではなく、独自の、己の行動理念をもって動く異質な存在。それがワタリドリ。
「もう一度言う。帰ってくれ」
ゴードの絞り出した言葉を背中で受け、シャモはオフィスから静かに出ていった。
「は、はひ、ひひひ……ひい……」
シャモが入ってからのわずか数分で、床は臓物と血と小便とゲロでまみれた。異臭漂うオフィス内に、半狂乱になったノノハの嗚咽だけが響いていた。
―――
それから数日後。
「ご苦労さん」
オフィスの扉にかけられたプレートが“Closed”に返る。
箒を片手に戻ってきた給仕姿の少女に、ゴードは暖かい茶を差し出す。
「飲んでくれ」
その少女――ノノハは無言で首を縦に振り、エプロンを外してカウンターに腰掛ける。カップを両手に持ち、そこに満たされた褐色の液体をしばらく眺めていた。
「何度も言うが、ちゃんと仕事さえすれば寝床とメシはやる。出たくなったら行けばいい」
ゴードは帳簿を目で追いながら、ノノハにそう言った。
オフィス内に残った匂いもだいぶ薄れてきた。血痕は残っているが塗装で誤魔化すつもりだ。カウンターに突き刺さった斧は抜くのに苦労した。
だがこのFOは今日も閑古鳥だ。無理もない。
あの惨劇を間近で見たノノハはしばらくこのオフィスに留まるようになった。ゴードの胸中にあるいくばくかの良心がそうさせた。食事と寝床程度ではあるが。
「オフィサー」
茶を半分ほど飲み終えたノノハが珍しく口を開いた。よく眠れるようにと、淹れた茶には甘く強い酒を一匙加えてある。
「お前はもうハンターじゃないし、ここは酒場でもない。俺のことはゴードでいい」
「ゴードさん」
「なんだ」
「私、あの三人、大嫌いだったんです」
ゴードもまた、自らに注いだコーヒーに口を付ける。
「斥候とはいうけれど、本当はただの囮。いつも辛い仕事とか、危険なところとかに私を行かせたりして。でも従うしかなかった。この頬の傷だって、三ヶ月くらい前、遺跡で危険な罠を解除する時に失敗して付いたもの。私にはやらせたのは、オレガだった」
ノノハは頬についた傷を恨めしそうに指でなぞり、次にその指をカウンターの裂け目(アージの斧が刺さっていた痕だ)に移した。
「でも、あのクランからは離れられなかった。家族もみんな異次元獣どもに殺されて、頼れる友達もいなくて……私みたいなのが、この外に広がる“スクラップ・ヤード”で生きるには、誰かの下に付くしかなかった」
酒のせいか、ノノハは饒舌になっていた。
「三人が目の前で死んだ時、私の心には何も湧かなかった。殺してやりたいって思う時もあったけど、出来なかった。代わりに、あの赤い髪の子が一瞬で殺してしまった。ざまあみろとか、せいせいしたとか……うん、少しは、思ったけれど。でもそれ以上に、恐怖とか、その後は――色々な感情が、心の中でぐるぐるするようになった」
何度か見た程度ではあるが、あのクランの一員だった頃、ハンターだった頃の彼女はこんなに喋ることはなかった。ただ黙って三人の仕打ちに耐える弱い子供だった。その内に想いを秘めていた。
「人を殺すって、あんなに簡単に出来るものなんですか」
「ハンターにはそういう仕事もある。賞金首の中にゃ魔法生物やら異次元獣だけじゃなく、盗賊の親玉とかの人間もいる。で、それを好んで受けるハンターもいる」
「私も、あの、カタナさえあれば」
「何?」
小さく、しかしはっきりとノノハは言った。
「あのカタナさえあれば、私も強く生きられるんでしょうか。誰にも虐げられることなく、自分の力だけでスクラップ・ヤードを生きられるようになるんでしょうか」
「大事なのは武器だけじゃない。それは奴がワタリドリだからだ。根本的に俺達とは違う」
「ゴードさん。ワタリドリって何なんですか」
うわずった声でノノハは言う。ゴードは答えない。
「私には、あの子が“カタナそのもの”に見えました」
ゴードはコーヒーをすする手を止めた。
「お前」
心の壊れた少女が放った世迷い言。そう切り捨てるのは簡単だ。
だが実際のところ――それは本質を突いていた。少なからずノノハは直感でそれを見抜いた。ゴードはしかし何も言い返さなかった。
しばしの静寂の後、ゴードは帳簿から目を離してノノハを見た。
彼女はそのまま机に突っ伏して、すうすうと眠りについていた。
―――
ノノハがオフィスから消えたのはその翌日のことだ。貸した部屋はきれいに整えられており、ハンターだった頃に稼いだであろう少しばかりの銀貨が数枚机に置かれていた。
「“良い終末を”。ノノハ」
ゴードはそれだけ言って、置かれた銀貨にも手をつけず、部屋の窓を開ける。
今にしてゴードはシャモが持っていたあの紙切れのことを思い出していた。
そこにはシャモが探し求めているであろう人物の特徴がいくつか書かれていた。“黒いコートと黒い塗笠”“長身の全身黒ずくめの、カタナを持ったワタリドリ”。もちろんゴードに覚えはない。ただ、シャモがそのワタリドリを追っているということは分かる。
ワタリドリは一人ではない。今日もまたどこかに“彼女達”は現れるのだろう。
窓から外を見る。住民達が肩を寄せ合って生きる、小さなヒノの街。
その向こうには凶暴な魔法生物や異次元獣が闊歩する“スクラップ・ヤード”。
死の荒野には、今日もぬるい風が吹いていた。