【後編】許嫁は塩でも被っておけ。
――シャン シャン シャン
「こ、この音は……!」
かぐやは傍目で分かる程に動揺しだした。
「迎えのようだな?」
はーやれやれどっこいせ、と東宮は立ち上がる。
格子の隙間から覗くと、ざわざわと闇に紛れ潜む人の気配がした。
「ば、ばか!よせ!顔を出すな、隠れるんだ!!」
かぐやは東宮の裾を引っ張って下がらせようとする。
「バカはどちらだ。隠れなければいかんのはおまえだろう。俺は別にやましいことはないぞ」
「~~ッ!それはそうだが!!」
「しっかし、先代『かぐや』とは違うな?話に聞くともっと豪勢なお迎えだったようだが。外が昼間のように明るくなり楽師や天女が雲に乗って降りて来たと聞いているのだが」
それを見たかったのだろうか。
かぐやはおっとり構えている彼の横顔を見てむかっ腹を立てた。
「経費削減だろうよ!あいつも、私なんぞを迎えに来るのに金を惜しんで……」
「んなわけないでしょう」
「「!!」」
唐突に聞こえた第三者の声に、東宮とかぐやは声のした方をばっと振り返る。
「……氷雨!!」
かぐやが悲鳴に近い声で目の前の男の名を叫んだ。
氷雨と呼ばれた男は、ふぅっとため息をついた。
「前例がありますからね。以前月の姫を取り戻す時は派手なお迎えをした所為で悪目立ちをし、下界民からの抵抗も酷かったと聞きます。何でも弓矢で射られたとか」
東宮は「あー確かに。夜中に光る物体なんて格好の的だよなぁ」と納得し頷く。
「故に今回の回収は余計な騒ぎを避ける為に、必要最低限の兵と荷物で来ました。…さぁ、かぐや。納得ができましたか?帰りますよ」
『回収』という言葉にかぐやは疑問を抱きつつも、まぁそういった背景には納得ができた。
がしかし。それはそれ。これはこれである。
「私は帰らんぞ、氷雨」
「また…そういう我儘で僕を振り回す。貴女に振り回されるのも嫌いではないですが、今回はダメです。大人しく従ってください」
彼はどこか薄氷を思わせるような水色の瞳をそっと細める。
烏帽子をかぶった隙間からこぼれる金の髪が月光を反射し月のように輝いていた。
なるほど、かぐやとは全く異なる美しさではあったが。
やはり月の民と言われて納得できる壮絶な美がそこにはあった。
瞳と同じく薄青の直衣。
その袖から白い肌を出し、氷雨はかぐやへ手を差し出した。
ところを。
ばさぁぁ!!
かぐやが小脇に挟んでいた塩壺の塩を彼にふりかけた。
「おまえは砂掛けババアか」
東宮がツッコミを入れた。
「砂ではない、塩だ」
かぐやは真面目にツッコミ返した。
「……かぐや」
塩をかぶった麗人は、眉間を指で揉むようにして怒りを鎮めているように思えた。
「貴女って女性は…何が気に入らないんですか。僕は貴女との初夜を楽しみにしていたのに」
かぐやは塩壺に手をつっこんで、ぎゅっと塩の塊を作る。
「何もかもだ!」と叫びながら、それを思いっきり幼馴染である彼にぶつけた。
「幼い頃は私に陰湿なイジメを繰り返し繰り返し繰り返し……!そんな奴が私を嫁にしたいだなんて!盛大な嫌がらせだろうがな、私は生憎と被虐趣味はないんだ!おまえとの結婚生活なんてクソゲーだ!!」
「……確かに幼い頃は歪な独占欲で貴女を傷つけてきましたが」
「私のことをさんざ『ブス』と罵って来たその口で結婚してくれだと!?たわけが!そんなブスを妻に迎えずとも他の美しくてたおやかな月の姫を娶れ!もしくはB専か、おまえ!!」
かぐやは自分で言っておいて、その発言に腹を立てているようだ。
「B専ってなんだよ!ムキ―ッ!」となっていた。
尚も塩の塊を壺の中でこねくり回しているかぐやの手に手を添えて、東宮はそっと止めた。
そうして小声でかぐやに問う。
「かぐや。おまえは帰りたくないのか?……多分あいつ、おまえのこと相当好きなんだと思うぞ。それでもか?」
彼女はやはりちょっと納得していない様子だったが、やがて頷く。
「仮にそうだとしても。私はあいつのことを好きじゃない。むしろ嫌いだ」
東宮は「ちょっと可哀想だな」と苦笑いした。
でも好きでもない男に嫁がなければならないこいつの方が可哀想だろう。いつの時代も。いつの世界も。
そう――、きっといつか自分も妃を迎えることになる。かぐやのように無理強いされて嫁ぐ娘も中にはいるのだろうか。
それだったら――
「そうか。じゃあ話を合わせろよ」
――ひとりくらい、助けてやってもいいかもしれない。
生憎と。少々情も移っていることだし。
(こいつとの晩酌の時間は中々楽しいしな)
東宮はそっと目の前にいる若者に視線を戻した。
「なぁ。罪人の罰としてこの下界を使う位だ。あんた達月の民にとっては、この下界は穢れた場所なんだろう?」
氷雨は訝し気に東宮を見た。
ややあって肯定する様に頷く。
「ええ、そうですね」
「かぐやはもうこちらの世界のものを飲み食いしているぞ?いいのか?」
氷雨はふっと笑う。
見る者を凍り付かせるような、冷たくて美しい笑みだ。
「過去下界落ちした姫は、赤子の頃からこちらにいましたから。迎えの際に身を清める丸薬を飲ませれば問題ありません。そのようなこと、些末なことです」
「そうか。それは些末なことか」
「ええ」
東宮はにやりと笑った。
人の悪い笑みだ。
「では。その丸薬では到底清められぬ穢れがかぐやにあるのならば如何か?」
「どういう……?」
東宮はぐいっとかぐやの肩を抱き、引き寄せる。
頤に手を添え、まるで口づけをするように顔を近づける。
「かぐやと過ごした一週間…、そう7日も晩を共にしたのだ。口を開ければ残念な娘ではあるが、やはり見目は大層美しいこの娘。俺は聖人君子ではないぞ、婚約者殿。……少々来るのが遅かったのでは?…お陰でかぐやも随分色々と覚えた」
「な……!」
氷雨は顔を真っ青にしてかぐやを見つめる。
かぐやは一瞬だけぽかんとしたが……徐々に内容を把握したようだ。
真っ赤になった顔を、慌てて塩壺で隠した。
「かぐや、今のは本当ですか?この男に御身を汚されたと」
かぐやはしどろもどろになりつつも答えた。
「ふぉ、ふぉんと…ほんとう、だ」
「かぐや?」
小首を傾げながら、重ねて問われる。
氷雨が彼女の嘘を疑っている時にする仕草だ。
そうだ、先ほど東宮は「話を合わせろ」と言ったのだ。
これのことだったのだ。かぐやは得心した。
「ほほほほんとうだ!は、初めては、痛気持ちよかったぞ!!」
東宮は脱力した「足ツボかよ!」と。ツッコミを忘れられないのは彼の悲しい性である。
同じく氷雨も脱力し、ぺたんと膝をつく。
「な、なんだ。私何か間違っていたのか?……初めては『痛い』という女性と『気持ちよかった』という女性とおったのだが…」
「あーこいつはほんとバカだな」と東宮は頭を抱えた。
色々台無しにしてくれる。
今の決定的な発言で、ほっと息をついた氷雨はそっと立ち上がり、かぐやの腕を掴む。
「氷雨…っ!」
「嘘にしても不愉快ですね。かぐや、大人しく従わないのならこの男を殺しますよ」
「……っ!!」
かぐやは目に涙を溜めつつ、氷雨を見上げた。
こくん、と頷いた瞬間に涙が頬を伝う。
「分かった。帰る」
「そうですか、では…」
すぐにかぐやを連れて帰ろうとした氷雨だったが、逆に彼女に腕を引っ張られる。
「お別れがしたい。一週間とはいえ、世話になったのだからな」
「……分かりました。そこにいますから手短に」
********
「かぐや……」
「なぁ、色々してくれたのにすまんかったな」
そろそろとかぐやはこちらに近づき、そっと傍らに座った。
彼女は笑っていたが、涙の痕が痛々しい。
「帰るのか?」
帰らざるを得ないのだろう。
随分アホな質問をしてしまったと言った後で後悔した。
「そうだな……なぁ、さっき私が言ったこと……」
「何が?」
「もし、私がもし月に帰らなければならなくなったらって話だ」
「ああ、最後の部分が聞こえなかった」
「私はこう言ったんだ。私が月に帰らなければならなくなったら……」
――おまえに不死の薬をあげたいと思うよ。
そう言って彼女は東宮を見て笑った。
泣き笑いのような笑顔だ。
「なぜ…?」
彼女はそっと彼の手を取る。
「本当に鈍チンだな。そんなの、また会いたいからに決まっている」
「は?」
「我らより寿命が圧倒的に短い下界の民。だが不死であればまた巡り合うことができるかもしれないだろう?私の先祖『カグヤ』様はその想いを薬に託したんだ。男がそれを飲めば、また会いに行こうと思ったのだろうな、きっと」
しかし――薬は燃やされてしまった。想いがすれ違ってしまったのだ。
「きっと薬を燃やされたと知った時、私のご先祖様はフラれたのだと勘違いしたんだろうな。『下界の民としての生を生きる』という決別と取ったのかもしれない」
「……アホだな」
「そうだな。だが『カグヤ』様は自分が下界落ちしたところで男が自分を受け入れてくれるか心配だったのかもしれない。あるいはそれで愛情を確かめたかったのかも」
「想像でしかないのだがな」とかぐやはひっそり笑った。
東宮はそんなかぐやの髪をそっと撫でた。
夜気に当てられ、すっかり冷えたぬばたまの黒髪。しっとりとした感触に夢心地になりそうだった。
「おまえは、薬を持っているのか?」
彼女は「ああ」と頷く。
「下界に落ちる時にな、くすねてきた。下界の男と恋愛結婚してやろうと思っていたからな」
「そうか」
彼女は先ほど、それを自分に渡したいと言っていた。
そう、ならば――…
かぐやはぐいーっと背伸びをしつつ欠伸をした。
「だがなぁ……前言撤回だ」
「――は?」
「いやな、正直私、恋愛小説のように出会った瞬間、『とぅんく……! こ、この胸の高鳴りは…!?』って分かるもんだと思ったのだが。実際はそうじゃないらしいな、うん」
「――はぁ。で?」
かぐやはくるん、とこちらを振り向いた。
「私は恋をしたことがないから、この気持ちが恋なのかよくわからん。でもなぁ、おまえと過ごした時間はとても愛おしいと思うんだ」
「かぐや…」
「なあ、おまえと過ごす時間がとても好きな私は、おまえに恋をしているのだろうか?こんな時間がずっと続けば良いと願っている私の想いは恋情といえるのだろうか」
かぐやはじいっと東宮を見つめた。
その黒い双眸は夜空と同じくどこまでも深く落ち着いた色だった。
「私は氷雨に恋をしていない。それは分かるんだけどな」と彼女はぼやきながら視線を空にうつす。
星が燦爛たる輝きを放つ美しい夜である。
そしてかぐやはあの夜空に浮かぶ、遠い遠い月に帰ってしまうのだ。
唐突に今まで過ごした彼女がいなくなってしまう、その焦りが東宮の心を支配した。
「俺は、おまえの感情は何か知らん。その気持ちはおまえだけのものだからな」
「そうか」
「だが、俺はおまえを待っていたいと思う。今ここで別れても、もう一度酒を酌み交わしたいと思う」
かぐやは目を見張った。
思ってもみない言葉を貰った、という純粋な驚きがあった。
「そうか。じゃあ、また会いに来る」
「――では薬を?」
「いいや」とかぐやは首を横に振る。
彼女はまつ毛を震わせながら、そっと瞳を伏せる。
「私はおまえに会いたいと思う。薬を渡してでも。でも……私の気持ちに答えが出ない段階で、おまえを不死に縛り付けるような真似はしたくない。だから、おまえの寿命があるうちに、私はおまえに再び会いに行くよ」
「そうか」
「どうやって?」とはあえて聞かなかった。
またきっと空から落ちてくるのだろう、と勝手に想像して何だかおかしくなったのだった。
「そう。だから、私のこの気持ちが恋だと分かったなら。なあ、今度は嘘をまことにしてくれるか」
嘘とは。
先ほど氷雨についた嘘のことだろう。
「ああ…、じゃあおまえ。俺の体力がある内に会いに来いよ。……腹上死なぞしたら俺は後世にまで馬鹿にされる」
かぐやは「わかった」と言いながら、立ち上がる。
ひらり、と裾を返して。一度だけ振り返り、艶やかに笑った。
――「私も色々覚えてくる、楽しみにしておけ」と、残して。
*************
――再会は、思ったより早かった。
その一週間後、また女を拾った。
「おまえ…俺の寿命がある内に~とは言っていたが。いくら何でも早すぎやしないか?」
椿の植え込みに埋まっているかぐやを引っこ抜きながら、東宮は呆れたように言った。
「げほげほ」とかぐやはむせながら、東宮に大人しく抱きかかえられていた。
手には大きな風呂敷包みを持っている。
「いやな。月の都に戻ったならば、あいつにはもう新しい女が据えられておったのだ」
「…ほう」
かぐやを地面に立たせ、ぬばたまの髪に絡みつく葉っぱや泥を丁寧に取り除いてやる。
「家名に泥を塗ったと奴の両親に激怒されてなぁ。私の両親も泣いておった。いやぁ、年寄りに泣かれると色々と堪えるモノがあるなぁ?」
「……そうだな。だがあの男がおまえを諦めるとは思えないのだが」
かぐやは「あーどんだけあいつB専サディストなんだろうなぁ」とのんきに頷く。
彼の想いは多分、それこそ不死にでもならない限りかぐやに届く日は来ない気がしてきた。哀れだ。
「そう。多分、あいつは親を説得した後追って来るだろう」
「ああ」
「だからおまえ、今すぐ私を抱け」
かぐやはどーんと胸を叩き……東宮を誘惑?した。しかもドヤ顔。
東宮はあからさまに嫌そうな顔をした。
そこでドヤ顔する意味が分からない。
「……おまえ、情緒もへったくれもないな。大体恋をしているかどうかが分からないから云々、別れ際に言っておっただろうが」
かぐやは「ふむ、それな……」と顎に手を添えて一拍。
「その感情の有無は、大したことじゃないような気がしてきたんだ」
「いや、大したことだと思うぞ」
「そうか?私のこの気持ちは恋と呼ぶのかよくわからん。良く分からんのだが…」
かぐやは東宮の袖を引っ張り、にっこり笑った。
「おまえになら抱かれるのも良いと思っているのだから。どちらでも良いと思ったんだ」
「……おまえ、すごいこと言うな」
彼はちょっと目を見張り、それから「はぁー」と細く長く息をついた。
かぐやと共に屋敷へと踵を返す。
「すごいこと?私が何か言ったか?」
「いいや。すごい告白を聞いたと思っているんだ」
かぐやは東宮の腕に腕を回し、頬ずりをしていた。
なついた野生動物のようだ。
そんな彼女の頭を撫でつつ、東宮は思う。
かぐやを抱こうが抱くまいが、あの男がまた彼女を取り戻しにやって来たのなら。
――どちらにせよ自分の死亡フラグは盛大に立ってるんじゃね?と。
ならば。
「死ぬ前に良い思いをしたとしても罰は当たらんだろう」
「何の話だ?」
「いいや。あいつが来るまでおまえを何回抱けるか考えていただけだ」
というか、何回位で自分にお迎えが来るのだろうか。
月からのお迎え(=天からのお迎え)という2重の意味で。
かぐやは喉を鳴らして笑った。
上機嫌な猫を思わせるように目を細めながら。
「しじみがいいらしいぞ。あとすっぽん。下半身に良さそうなものを中心に色々と家からくすねてきたぞ」
かぐやは得意げに持ってきた風呂敷包みをぶらぶらと目の前にかざして見せた。
「ああ…それでその大荷物…。なんか嫌だな、その風呂敷包み」
「大変だったぞ。両親の寝室も物色したからな」
「……返して来い。何を持ってきたか知らんが。使用済みのはいらん」
かぐやが家から持参してきた『The アダルトグッズ』を横目で見ながら、東宮は片頬を引きつらせる。
寒椿が朝露を反射し、きらりと光る。
――美しい紅白が織りなす庭を眺めながら、ふたりはそっと笑いあったのだった。
気持ち悪いイケメンが書きたいという勢いのまま投稿…。
うん、後悔は……していない。