さよならは柔らかなキスで (乗り物、少年、夕焼け)
雨が降りそうだ。
そう私は思いながら、窓から見えるどんよりとした灰色の昼の空を見上げる。
私の仕事は、こういう日に増えるから。今にも雨の降りそうな曇った日は嫌いだけど、好きだ。
からん、という音とともに扉が開く。
入ってきたのは、まだ小学2年生くらいの少年だ。
くりくりとした黒曜石のような大きな瞳に、柔らかな癖毛の少年。だがその表情は柔らかな髪とは対照的に硬い。
「いらっしゃい」
「……」
少年からの返事はない。
だがそんなのはよくあることで。私はそのまま言葉を続ける。
「何が望み?」
「……」
またも、返事はない。
私はひとつため息をつく。
そして自分にできる最高の優しく甘い、砂糖菓子が口の中で解けるような声で、もう一度問いを投げかける。
「何が望みなのかな」
「……観覧車」
観覧車。それが少年の答えだった。
「乗りたいの?」
私の問いに、少年はこくりと頷いた。
遊園地なんて何年ぶりだろうか。
少年の小さく柔らかな手を握りながら遊園地の門をくぐり、そんなことを1人心の中で考える。
目指すは観覧車。それ以外に用は一切ない。
少年の歩幅に合わせてゆっくりと、観覧車への道を行く。
今日の遊園地はなかなか盛況で、親子連れにカップル、友人同士の団体など、たくさんのヒトとすれ違いながら、私と少年は観覧車へと到着した。
遊園地が盛況ということは観覧車に乗りたいヒトもそれだけいるわけで。
相変わらず一言も発しない少年と長い列の最後尾に並ぶ。
と、その時。
ポタリと、鼻先に冷たい雫が当たった。
反射的に空を見上げれば、雨が降り始めてきているようだ。ポタリと雫がさらに顔めがけて降ってくる。
まだ雨は弱いが、並び終わる頃には強くなりそうだ。
無言の少年と並ぶこと約40分。
雨はすっかり強くなり、傘を持たない私と少年は運良く屋根のある並び場に並んでいた。
あと数人で、私たちの番になる。
少年は相変わらず一言も発しないが、その横顔は少し楽しそうに私には見えた。
「それでは、いってらっしゃいませ〜」
観覧車の係員の明るいお姉さんの声に見送られながら、私と少年の乗ったゴンドラはゆっくりと地面から離れた。
すっかり夕方になった空は雨のせいで薄暗く、いまいち綺麗とは言い難い。
「どう?乗りたかった観覧車」
「……」
少年からの返事はない。
「雨降ってるせいもあってあんまり満足できてないかな」
「……」
聞いているのかいないのか、少年はゴンドラの窓から外を一心に見つめている。
「はぁ……」
私はひとつため息をつき、少年との会話を諦め、少年と同じくゴンドラの窓をのぞいた。
丁度観覧車は頂点に近づいていたらしく、ここからは遊園地が一望できる。
おもちゃの人形のような人々に、これまたおもちゃのようなメリーゴーランド、コーヒーカップ。小さな遊園地。
手を伸ばせばつまめそうなそれらを、私はゆっくりと眺める。
と、その時。
窓の方を向いていた私の頬に、柔らかく温かいモノが触れた。
驚いて振り向けば、そこには少し恥ずかし気に笑う少年の姿が。
「ありがとう」
そう、少年は小さく呟くと、スーッと姿を消した。
言葉の通り、スーッと音もなく、跡形もなく。
「まったく、喋らなかった割に大胆な子だね」
少年にキスされた頬に優しく触れると、少し、少年の熱を感じた気がした。
私の仕事はコレだ。
未練のある霊の未練を晴らす手伝いをすること。
ゴンドラの窓の方を向けば、いつの間にか雨は止み、美しい夕焼け空が広がっていた。