異世界は隣に (台所、中学校、湿気)
夏の夜の湿気が、私のふんわりとした癖毛を悪戯にハネさせる。
ふわふわとした毛に負けないくらいふわふわとした気分で、私は親友の悠人と夜の学校内を早足で歩いていた。
「ねぇ、もう帰ろうよ」
悠人の男の割に弱々しい声が、背後から聞こえてくる。
「嫌よ」
勝手に、しかも夜に学校に忍び込むなど許されている筈もない。
しかしその背徳感すらも、私の気分を高揚させるだけで、帰ろうなどとは微塵も思えなかった。
目指すは学校の台所、調理室だ。
「ねぇ、ソレやると何が起きるの?」
「昼間教えたじゃない」
少しふくれっ面で私は悠人の問いに答える。
「異世界への門が開くのよ」
「異世界って……」
呆れたようなため息が後ろから聞こえてくるが、高揚した気分の私の耳にはその音は入らなかった。
今夜試そうとしているのは、とある学校の七不思議だ。
真夜中、調理室の錆びた包丁に2人の顔を写し、その包丁で調理準備室にある鏡の左端に傷をつけると異世界への門が開くというのだ。
オカルト好きな私は、試さずにはいられなかった。
ガラリと、控えめとは言い難い音を立てて調理室へと入る。
「えーっと、確かこの辺に」
ガシャガシャと食器の触れる音を立てながら、私は錆びた包丁を棚から無事に発見した。
「悠人、こっちきて」
「……うん」
2人して錆びた包丁を覗き込む。
錆びた包丁に映った2人の顔は、所々錆びの所為で上手く映っていない。まだら模様のように映っている。
「よし、後は鏡ね」
調理準備室の扉を開け、鏡に掛けられていた布をスルリと滑らせて外す。
月明かりに照らされた教室で、その鏡はそれだけがまるで神聖なモノであるかのように、妖しく、美しい。
ごくりと唾液を嚥下し、私は鏡の左端にそっと錆びた包丁を滑らせる。
錆びた音を立てて、月明かりを反射する鏡に傷が入れられる。
「……」
「……」
沈黙が2人を包み込む。
変化は、起きない。
「何も起きないね?」
心なしかホッとした様子で悠人は沈黙を破った。
「なーんだ」
やっぱり、嘘か。
やっぱりだなんて、信じてた自分に自分で驚きを感じながら私は肩をすくめた。
「 "好きな人" とやったら上手くいくって、噂になってたのに」
「え……」
言ってからハッとした。
この事は悠人には教えていなかった。
頬が一気に熱くなる。
「い、今のは、その……」
恋人ができるという、今までとは違う世界が開かれた瞬間だった。