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Precious Treasure  作者: 葵
運命の歯車
1/1

Prologue

運命の出会いというものは,何の前触れもなく,突然やってくる。



それが友人であろうと、恋人であろうと。




満月の夜。



―――「盗まれてみる?」



そう気丈に微笑んだ彼。




青白い光に映し出されたのは,鮮やかな盗賊のシルエット。



空いたままの窓から,涼しげに夏の風が舞い込んでくる。

ふわりと髪が揺れて,月明かりが顔を照らした。



彼と目が合う。

私を射抜く,蒼く美しい双眼。

思わず見惚れてしまっていて。





そのあまりにも幻想的な光景に,気づけば心を奪われていた。



―――――――Treasure――――――






「綺麗…。」


いつも通りの穏やかな朝。

朝食をとりながら新聞をめくっていたイヴは,あるページでふと手を止めていた。


彼女の目を釘付けにしていたのは,紙面の半分ほどものスペースをとっている,美しい宝石を散りばめた首飾りの写真だった。



「…聖女マリアンヌの首飾り」 


その首飾りはそういう名らしい。


高価な宝石が惜しげもなくふんだんにあしらわれている。


博識なイヴは聖女マリアンヌ,ときけばすぐに一人の人物を思い描いていた。



今からおよそ1500年ほど前,ある帝国同士で戦争があった。

宗教をかかげた,侵略戦争。

大帝国同士の戦いとなると規模も非常に大きく,周辺諸国までも巻き込むこととなり,いよいよ決着もつかず大変な惨事になりかねない,そんなさなか。

聖女マリアンヌは救世主のごとく現れた。


彼女がいったい何をしたのかは全くわかっていないらしい。


しかし確実に,彼女が現れたことで目に見えて状況は一変した。

二つの帝国は停戦条約を結び、戦争は事実上終結した。

もうなす術もないと思われた悲惨な状況を、マリアンヌ一人が一転させたのだ。



その後,マリアンヌは世界の英雄となった。

戦争を終着へと導き、平和を世界に取り戻した英雄、として大いに讃えられた。


さらに,彼女は美しかった。


絹のように美しい黒髪は溢れんばかりに広がり,抜けるように白く,きめ細やかな肌。

艶やかな紅い花弁のような女性らしい唇は,いつも穏やかに微笑んでいる。

そして吸い込まれそうなほど美しい,アクアマリンのように輝く薄い青の瞳をしていた。


その美しさは神秘的なほどにまるで人間離れしていて,どこか遠い雲の上から舞い降りたかのよう。

言わずもがな,貴族,騎士,そして遂には王までもが彼女に求婚した。

彼女の愛をもとめて、様々な贈り物が送られた。


しかし彼女は誰にも応じなかった。

どんな甘い言葉にも乗せられず、純潔を守り通した、と言われている。



そして、そのときに王から贈られたのが、

この首飾りだった。




ところどころに散りばめられた透明な宝石は、マリアンヌの慈愛の涙。


中央で褪せず輝く真っ赤なルビーは、決して流されることのない底に燃える彼女の情熱。



とある芸術家がそう語っていたことを思い出しながら、イヴは写真を眺めた。



「…やっぱり綺麗。」


美しかった。

宝石はもちろん,精巧な作りはとても1500年前のものとは思えない。

イヴは写真に釘付けになっていた。


彼女は美しいものには目がないのだ。


「へぇ。7月20日から一般公開されるのね。」

首飾りは最近みつかったものらしく,一般公開されるにあたってこの記事も書かれたようだ。

今日は7月15日。


つまり,5日後。






「……欲しいな」


暫しの沈黙、不意に零れた呟き。


普通ならばそれはただ,欲しい,欲しいほど美しい,それだけの意味。

しかし彼女のそれは少し違う。

その声音には明らかに違う響きが含まれていた。



「ドワール美術館、か。すぐ隣の国じゃない」


何かを考え込むように唇に指をあてる。


それからすぐ,イヴは少し口角をつりあげて微笑んだ。


それはまるで悪巧みでも思いついた子供のように。



それから心底わくわくするといった風な表情で,彼女は隠し事を囁く風に呟いた。



「…もらっちゃお」



それは、言葉通りの意味以外の何物でもない。



そう,イヴは全く普通ではなかっのだ。

彼女は強く,“欲する”感情に忠実に従う。


その思考回路は,至極単純で明快。



首飾りをすごく綺麗だと思った。

綺麗だから欲しいと思った。



――――欲しいものは,盗ればいいのだ。



イヴはいわゆる、盗賊と呼ばれる部類の者だった。それも非常に有能な。


S級ランク賞金首、という肩書きがイヴの実力を証明している。


彼女は強い。

そして、恐ろしく賢かった。


過去一度も失敗したことなどない。


今だって,盗るとそう決めた瞬間,彼女の頭には緻密な計画が構成され始めている。


普通では太刀打ちできない,法外な,盗みの技量。

一般公開されたその日に盗みに入ったとしても,必ず成功させる絶対的な自信があった。


狙った獲物は逃さない。

もうこの時点で、聖女マリアンヌの首飾りを手に入れることはイヴの決定事項だった。


失敗は,まずないだろう。


しかし,用意は周到に。


「一応,頼んでおいた方がいいわね」



イヴは新聞を閉じてパソコンを開く。


「…美術館の内部情報,およびセキュリティの解除,でいっか」



要点だけを手短にまとめたメールを慣れた手つきで送ると,すぐにパソコンを閉じて電話を掛ける。


勿論,情報を抜かれないようにこちらのセキュリティは完璧だ。

そして,相手も信頼できる長年の付き合い。


コール音を聞きながら,彼女は相手が応答するのを待った。




「はいもしもし」

「もしもし,リュカ?」

「あぁ,イヴか」

「ええ」

「どうしたの?って,どうせまた依頼だろ」

「話が早くて助かるわ」

「はぁ,全く…」


また人をこき使って…。

電話口のリュカと呼ばれた男は,そう言ってため息を吐く。


「ふふ,いつも感謝してるわ」

「当たり前だろ。感謝してくれないと困るよ」


いっつもいっつも急に依頼されて,大変なんだからな,等と文句を垂れながらも依頼を引き受けてくれるリュカは,優しい。

イヴはリュカを信頼していた。


「でね…要件は…」

「マリアンヌの首飾りだろ」

イヴが要件を伝えようとすると,リュカの口からイヴのお目当ての宝の名が出る。


「あら,もうメールみてくれたの?リュカにしては珍しい」

「見てるわけないじゃないか。勘だよ,勘。何年腐れ縁やってると思ってるの」

リュカは少し戯けたような口調で答える。

その裏,何か少し彼が固唾を呑んだような気がしたのだが,気のせいだろうか。

イヴは疑問に思ったが,相手はリュカなのでさして気に留めなかった。


「流石ね腐れ縁。やっぱりメールは相変わらずみてないのね」

「悪かったな」

呆れた,という風なイヴに,リュカは少し口を尖らせる。

リュカはなかなかメールを見ない。依頼して数日後に返信、なんてざらである。

それで何故情報屋をやっていけているのか不思議だ。

彼がメールを見ないからいつも,イヴは正式な依頼文書としてメールを一応送った後で電話をかけるようにしていた。

そんな彼にしては珍しいな,とイヴは素直にそう思ったのだが,違うかったようだ。


「でね,その首飾りがあるドワール美術館の内部情報の調査と,当日のセキュリティの解除。お願いできる?」

「余裕。ドワールなら内部情報は半日もあればすぐに送れると思うよ」

全く不安を感じさせない様子でリュカが返答する。彼は情報においては右に出るものはいないだろう,そうイヴは思っている。

「了解,助かるわ」


「で,いつ動くつもりなの?首飾りの一般公開は20日みたいだけど」

「その20日よ」

イヴが全く躊躇せず答えると,電話口から驚く声が聞こえた。

その驚きの声の大きさにイヴはまた訝しげに眉を顰めたが,彼の過剰なリアクションはいつものことなので,たいして気にもしなかった。


「20日って……また派手にやるつもりだねえ」

呆れたようにリュカが言う。

「灯台下暗し,っていうでしょ?意外に警備が甘いかもしれないわよ」


勿論,冗談だ。

そんな期待はまったくしていないし,警備は十中八九強化体制だろう。


「そんなわけないだろ……また無茶ばっかりする…」

「わかってるわよ。私が負けると思う?」

「思わないけどさぁ」

そういっても尚渋るリュカに訝しさを覚える。彼は神経質だが、私の技量も性格も知っている。普段は愚痴を零しながらも殆ど反対することもなかった。

死闘、不可能と言われる盗み、他にも危ないことを何度もこなしてきた私を知っているのに、たかが首飾り程度でここまで渋るのは変だ。

さっきから、何か怪しい。

いつもに比べて今日のリュカはどこか挙動不審だ。彼らしくないのだ。


「なにかあるの?」

そんなに止めるなんて。

イヴは繕うようにあえて戯けた調子で尋ねてみた。


「いいや、ないよ。でもとにかく、20日はやめときなよ」

リュカの声は真面目だった。

ここまで彼が止めるのは本当に珍しい。

イヴはますます訝しさをつのらせた。


特別な理由もなく止めるほど危ない仕事ではないはず。


「どうして」

これは絶対私に何か隠している。何もないわけがない。


嘘を見抜くのは得意だ。

言葉の裏を読むのも,得意だ。


「どうしてって,決まってるだろ。一般公開された初日に首飾りが盗まれてみろよ,大変な騒ぎになるに違いないよ」

違う。


今まで私が大騒ぎを起こしたことなんで数知れないほどだし、リュカはそれを知っている。

大変な騒ぎになったところで、負けるはずがないということも。



リュカが20日を勧めない理由は,きっとほかにある。


それが何かはわからないが。

リュカが私に隠すということは,仕事関係に違いない。彼は公私混同はしないタイプだ。

多分,依頼。

20日に美術館に首飾りを盗みに来る奴が,私の他にもいるのだろう。

おそらく、リュカはそいつにも私と同じような情報を依頼されているのだ。


そして憶測に過ぎないが,いや,ほぼ確実と言ってもいいだろう。


その依頼主は,強い。


頭の中ではっきりと声に出すと,パズルのピースがはめ込まれていくようにそれは確信に変わっていく。

腐れ縁の勘が鋭いのは,決してリュカだけではない。


血が騒いだ。


リュカが私を止めるほどの人物。

つまり実力は私とほぼ互角,もしくはそれ以上かもしれない。

その人物が,20日に首飾りを盗みに来る。


つまり,20日にいけば,そいつに会える。

首飾りももちろん,いただく。



とてつもない高揚感。

こんなにわくわくと胸が躍るのは久しぶりだった。


綺麗なものは好きだが、面白いことはもっと好きだ。




「心配いらないわ。必ずうまくやる」

勝気な笑みを浮かべ,そうリュカに断言する。


「はぁ。そういうと思ったよ」

くれぐれも,気を付けてね。

リュカは呆れたように溜息をついたが、それ以上私を止めようとはしなかった。




きっと、リュカは私が彼が何か隠していることに気付いた、とわかっているのだろう。

彼も頭は切れるのだ。



つまり、

今の“気を付けてね”は,そういう意味。



彼のもう一人の顧客は、美術館の内部よりよっぽど手強い相手。


「じゃあ,よろしくね。内部情報の方の依頼が完了したら,セキュリティ解除の方の詳細を連絡するわ」

「オーケー」

もう一度依頼内容を確認してから電話を切って,デスクから立ち上がる。


頭の中で組み立て終えた構成を,もう一度確認する。



「5日後が待ちきれないわ」



イヴのほかに誰もいない部屋で,彼女は満足げに呟いた。


まだ見ぬ強敵を求める彼女の純粋な好奇心。


それは,運命の始まりだった。


何かが大きく変わり始めるのは、いつだって偶然で、突然で。


そして、気づかない。


それは彼女が思うより,もっと大切な。


運命の出会い。



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