第三話:咲さん
私立光城高校。この近辺では比較的頭の良い人間が通う高校と認識されている場所に、僕は足切りギリギリのラインで運良く入学することができた。
家庭訪問の時に笹子先生が言っていたように進学校であり、僕もその流れに乗ってなんとなく進学を考えている。長いものには巻かれろ。郷に入りては郷に従えというやつだ。
ただ最低ラインで合格できたということは、言ってみれば自分の学力に不相応な高校に入学してしまったということでもあり、僕にとってはレベルの高い授業内容に入学早々悪戦苦闘している。
「おおユーくん! 昼休みだというのに勉強とは精が出るね! お姉さん褒めちゃるぞ! よーしよしよしよし!」
昼休み、次の時間までに提出しなければいけない数学の課題をしている僕に、栗色ツインテールの女の子がどこぞのどうぶつ王国の国王みたいなノリで絡んできた。頭を撫でないでください。顎の下をわさわさしないでください。
「ねえ捺、いまちょっと真剣だから話しかけないでくれる?」
「おお? そしてよく見るとこれは五限の数学の課題じゃないですか! もしかしてユーくんあれかな、劣等生ってやつなのかな?」
「うぐ……」
実際のところ、課題は遅々として進んでいないので何も言い返すことができない。
しかも、捺は常に頭の周りをちょうちょが飛んでいそうな脳みそをしていそうなのに、あろうことか頭脳は明晰だ。栄養が胸に偏ってしまったのかと思いきや、神は二物を与えてしまったんだ。そんな捺に言われると余計にクるものがある。
「あれ、ユーくんお弁当食べてないの?」
無垢な笑みで毒を吐く捺はふと僕の机に置いてある弁当箱に気がついた。
「うん。課題、結構量あるから食事返上でやってるんだけど……わからなくてさ……」
「なんて殊勝な……! あたしは今猛烈に感動している……! そんなユーくんに免じて今回だけは特別に――」
「え……」
僕は期待した。捺がパーフェクトに仕上げているであろう課題を見せてくれると。
「――勉強をしているユーくんにあたしがお弁当を食べさせてあげます!」
「……………………へ?」
「ほら、あーんして! 唐揚げ食べさせてあげるから!」
「あ……あーん」
「はいそこ、手を休めないで!」
「もご……ふぁい……」
「次はお米だよ! はいあーんって」
「ちょ……まだ唐揚げ飲み込んでな……!」
「手も動かす!」
「やってられないよ!!」
口いっぱいにものを含みながら僕は持っていたシャーペンを机に叩きつけた。
「あ……ごめんね? お弁当、美味しくなかったかな?」
「それ作ったの僕だからね!? そんな上目遣いしても気ぃ遣わないからね!?」
僕は困った風な顔をする捺に大いにツッコミを入れ、肩で息をしていたところではっとする。ところで今は何時だ。大急ぎで時計を見ると――
十三時二十五分。五限開始まで残り五分。
――ああ、なんて、こと。
課題もろくに終わっていなければご飯もほとんど食べていない。この数十分、一体僕は何をして過ごしていたんだろうかと情けなくなってくる。
「あちゃー……こりゃもう間に合わないね……ユーくん、ここはもう諦めて、ストリップをするということで先生に許してもらおう?」
「は……ははは……」
頭頂部から魂が抜けているような気分で、僕は力なく笑う。
そして、僕と捺がそんなやりとりをしている時だった。
「なあ東間」
「はは……僕の輝かしい高校生活が……早くも風前の灯火だ……」
「……大西、こいつは大丈夫か」
「うーん、若干キマっちゃってるよね」
「おい東間、おい」
「ユーくん、光城くんが呼んでるよ! 気を確かに持って!」
「光城……くん?」
しばらく微睡みの中にいた僕はようやく脳内麻痺状態から帰ってきて目のピントを合わせる。ええと、誰が呼んでるって?
「ようやく正気に戻ったか。まったく、この俺を待たせるとは。礼儀知らずな奴め」
この高慢ちきな口調はもしかして……
「……あ、光城くん!? な、ななな何か用!?」
我に返り、僕は思わず立ち上がった。この目の前にいる男は――
「用があるからいるんだろう」
男の名前は光城琢磨。
さらりと流した前髪には清潔感が漂っていて、何が楽しいのかワイシャツは一番上のボタンまで留めるという気合いの入れよう。銀縁のメガネも大いにその存在感を発揮しているため、真面目キャラのテンプレートのような容姿になっている。
苗字からわかる通り、光城くんはこの光城高校の創設者の血族らしく、生徒はおろか先生たちまで彼には頭が上がらない。
そしてその最たるものが――
「その用というのはな……咲」
光城くんは流し目で顎をしゃくった。すると。
「はい、ここに」
どこからともなくメイドさんがやってきた。メイドさんは胸ポケットから黒いメモ帳を取り出すと何やら読み上げ始める。
「東間佑樹。光城高校一年一組、出席番号七。血液型はO型、誕生日は十月七日の天秤座で、幼少の頃、家に置いてあった飲みかけの缶ジュースを飲んだところ、中身がシャボン玉溶液で死にかけそうになった以来、缶ジュースにストローを差して飲むことが出来ないでいる」
ちょっとした黒歴史だった。
「な、なんでそこまで……それは犯人の捺と被害者の僕しか知らないはずなのに!」
「あたし言ってないよー。でもあの時のユーくん面白かったなー、浜に打ち上げられた魚みたいに廊下を転げまわってさー」
まさかこの状況で僕の暴露話が始まるとは誰も思わないだろう。
「――なお、両親は自宅の隣に構えるコンビニエンス・ストアを経営しており、東間佑樹もアルバイトとして店の手伝いをしている」
「はいはーい。あたしもやってるよーそこんとこメモっといてよねー」
「かしこまりました」
黒の上下に白のエプロン。まさにメイド服といった感じの衣装を身にまとった彼女は捺なんかに丁寧にお辞儀をする。
そう。この通り光城くんは学校に家のメイドを連れてきている。名前は咲さん。綺麗に切り揃えられた前髪、背中の真ん中辺りまで伸びる黒髪ストレートヘアに白いフリフリの付いたカチューシャをつけたその姿はどこかおとぎ話の国に来てしまったような錯覚を覚える。……いや、こっちには女騎士がいるわけだからそう驚くこともないのか。
いつもはどこに身を隠しているのか知らないけれど、ただ一声光城くんが「咲」と口にすれば忽然と姿を現すミステリアスな女の人だ。メイドという仕事をしているわけだから、僕たちより歳が上なのは確かだと思う。
常識的に考えて学校にメイドを連れてきても良いなどという校則はあるはずがないわけで、要するにこれは光城くんの独断、個人プレーだ。それを見て見ぬふりする先生たちもどうかと思うけど、きっと大人の世界は大変なんだろうね。
「というわけだ、東間」
光城くんは腕を組み僕にふんぞり返る。咲さんは一礼して光城くんの斜め後ろに下がると目を閉じて微動だにしなくなってしまった。よくわかんないけどメイドの鑑だなーって思いました。
「ど……どういうわけでしょうか?」
僕はぎこちなく首をかしげる。今の咲さんの一連の説明にどこか納得しなければいけないところなんてあっただろうか。確かによく調べているなぁと関心はしたけど。
すると光城くんは辟易とした様子でため息をついた。
「おいおい、今の咲の説明を――」
「はい、ここに」
「いや、今のは別にお前を呼んだわけじゃないからな。下がっていていいぞ」
「かしこまりました」
「……だからな、さっきの咲」
「はい、ここに」
「……お前は俺を馬鹿にしているのか?」
「滅相もございません」
コントですか。
「とにかくだ。東間、お前の家はコンビニをやっているそうじゃないか」
「まあ、うん」
「そこで俺を雇え」
「まあ、うん……………………?」
……え?
何かの聞き間違いだろうか。誰を雇うって?
「光城くんごめん、もう一回言ってもらっていい?」
僕は眉間をつまみながら光城くんに確認を取る。
「この俺に同じことを二度も言わせようとするなど、お前は本当にいい度胸をしているな。だから、東間の家で俺を雇えと言っているんだ」
……ああ。
聞き間違いなんかじゃなかった。確かに今、光城くんは僕のコンビニでバイトをしようとしている。
だいたいおかしい。そもそもこの人は雇われる側の人間じゃない。完全に人を雇う側。生まれながらにして人生の勝者。バイトをする理由などどこを探しても見つからないはずなのに、なんでよりにもよって僕んちなんかで働こうとしているんだろう。
「ええと、話が見えないんだけど……どうしてウチなの?」
「俺はいずれ人々の上に立つであろう人間だ。そのためには俺の下に跪く人間の苦労というものを知っておかなければならない」
「くす」
「咲、今お前笑っただろ」
「そんな。滅相もございません」
「ならいい。だから俺はこの高校生活でアルバイトをしようと考えている。そんな時に東間、コンビニを経営しているお前の家の存在を知った」
「はぁ……」
納得できるようなできないような……。
「だから俺の輝かしい未来のために、お前は俺の踏み台になれ」
納得できない!
「踏み台!? ユーくんもしかしてそっち系でしかもマゾヒストだったの!? どうりであたしに見向きもしないわけだ……」
「ねえ捺、顔を赤くするのは結構だけど話がややこしくなるからちょっと静かにしてもらっていい?」
落ち着け落ち着け……話を整理しろ。
「いやでも……そういうのは僕だけで決められるものじゃないし……」
「あたしは賛成だよーなんか楽しそうだし」
捺が推しても何も変わらないからね?
「じゃあどうすればいい」
「雇えって言っても普通は店長、ウチで言えば父さんに会って面接をしてもらって、それで採用か不採用か決まるんだけど……あ、そうだ」
「どうした」
「ウチの店、変な人多くてさ、すごく大変だと思うよ? 入ってすぐ辞めちゃうのは店的にも光城くん的にも良くはないでしょ?」
「ふむ」
とにかく愛奈さんの存在が知られるのはまずい。僕はそれとなく来ないでくださいというオーラを放って光城くんを牽制する。
光城くんはそれっきり黙ってしまい、思案するように顎に手を当てていた。よし、効果はあるようだ。
「東間は――」
数分の後、光城くんは僕に尋ねてきた。
「お前のクラスに馬の合わない人間はいるか?」
馬……?
突然のことに僕はキョトンとしてしまった。
「う、馬? うーん、まだこのクラスになって一ヶ月だからそういうのはわかんないけど」
「それでは、もしこの先に馬の合わないやつと会ってしまったら、お前は学校を辞めるか?」
「……ええ? これまた極端な話だなあ……まあ辞めないとは思うよ」
「だろう。馬の合わない人間がいない人間などいない。ただ苦手な人間がいるだけでその場から逃げ出すやつなど、そんなやつは俺から言わせれば何をやってもダメなクズだ」
「……」
「だからな東間、俺はただ単にバイトをしてみたいというわけではない。俺がこれから頂点に立つであろう企業にも恐らくどうしても受け付けない人間はいるだろう。だが俺はそんなことで逃げ出したりはしない。そのために今のうちから社会の勉強をしたいという意味でも、俺はバイトをしたいんだ。わかってくれ」
「あ……あうあ……」
そんな真っ直ぐな眼差しで僕を見ないでください!
強い信念を持った光城くんの言葉に、僕は何も言い返すことができなかった。
「善は急げだ。今日の放課後、面接に向かうぞ」
「え、ちょっ……早っ! まだ連絡もしてないから時間が合うかもわからないのに!」
「咲、放課後に車の手配を頼む」
「かしこまりました」
かしこまっちゃったよ!
そして僕の必死の説得も虚しく、ゲリラ面接計画は遂行される運びとなってしまった。
◇
僕は今、車に揺られている。クラスメイトの光城くんが呼びつけた黒塗りのセダンだ。執事さんと思われるダンディなおじいさんの運転。助手席には咲さん。僕は執事さんの後部座席に座る光城くんとその反対側に座る捺に挟まれるようにして縮こまりながら座っている。
いつも乗る車とは違う本革製のシートに違和感を覚えながら、僕はこれから先のことを考える。
変人好きの父さん、母さんの事だからおそらく光城くんは二つ返事で採用される。問題はそのあとだ。愛奈さんのことを僕はどう説明すればいいのだろう。笹子先生には親戚のお姉ちゃんということでなんとか誤魔化したけど、それは笹子先生が従業員室には入らないからできた言い訳であって、これから先、光城くんは絶対にロッカーから出現する愛奈さんを目の当たりにする。一体どんな言い訳ができるというのか。
「東間」
ああ、僕は一体どうすれば……。
「ユーくーん?」
「……? ……ああ、呼んだ?」
「着いたぞ。いつまでそうしているつもりだ」
言われて顔を上げると目の前には不機嫌そうな光城くんの顔があった。どうやら僕が頭を抱えている間に到着してしまったらしい。
「ご、ごめんごめん」
僕は慌てて車から降りる。結局なんの策も浮かばないまま家に着いてしまった。
僕は足取り重く光城くんを店へと案内する。きっと何か策があるはずだ。考えろ。最後の最後まで諦めるな。
「それじゃ、ここが従業員室だから」
「ああ」
僕は顔をヒクつかせながらゆっくりと従業員室の扉を開けた。
――。
しかし瞬間、突風と共に僕の杞憂は吹き飛ばされた。すごく悪い意味で。
◇
「な、何っ!?」
従業員室に入った直後、目を開けていることもままならない程の突風と衝撃波が僕たちを襲った。捺のツインテールが地面と平行に宙を泳いでいる。
「ちょっ……ユーくん! こんなドッキリ聞いてないよ! どうなってるのさ!」
「僕だって知らないよ! なんだよだこれは……!」
――キィン! ガキィン!
「え……?」
そして聞こえてくる鉄と鉄のぶつかり合う音。
開かない目を無理矢理にこじ開けて見たその先には――
「ふっ! はぁっ!」
「むん!」
刀身が見えない程のスピードで繰り出される連続攻撃。それと同時に散らばり爆ぜる火花。
「ふん、愛奈、ここに来てから腕が鈍ったのではないか!」
「抜かせぇっ!」
狭い従業員室で白い鎧の女騎士と、赤い鎧を着た男が激しい鍔迫り合いをしていた。
「ちょっと愛奈さん!? こんな所でなにやってるんですか! お店壊れちゃいますって!」
「貴様のその程度の斬撃など、蚊でも止まって見える!」
「それにしちゃあ瞳に余裕を感じられないが?」
ダメだ。全く聞いちゃいない。
愛奈さんと謎の男は僕たちの存在など目にもくれず目まぐるしい戦いを続けている。舞い散るお店の資料。もはや原型を留めていない細切れにされたパイプ椅子。従業員室の中は巨大なハリケーンでも襲来したような有り様になっていた。力ずくでも止めに入りたいけどそんなことをしたら挽肉になってしまうこと請け合いだ。
「ど、どうにか……どうにかしないと……」
「ユーくん! 一億火の玉って言うじゃん! ほら、お国に身を捧げる気持ちでさ!」
「一人だからね!? 僕が行ったところでどうしようもないからね!?」
「大丈夫! ユーくんの犠牲は恐らく、きっと役に立つ……はずだから!」
「期待値薄いなぁ!」
ああもう本当に馬鹿なんだから!
僕は能天気な捺にツッコミを入れる。そして同時に自分の無力さを痛感している時だった。
「……なあ東間、あれを止めればいいのか」
ふと光城くんは僕に訊く。
「いやそうだけど! あんなのどこかの国の一個中隊でも来ない限り止められないし……!」
「咲」
「ここに」
「あの二人、止められるか」
「私の見たところあの者たち、相当な実力者にございます。私の力では殺せはしませんが、止めることくらいならあるいは」
すごく物騒な言葉を聞いた気がするけど、聞かなかったことにしよう。
「そうか。なら頼む」
「御意」
咲さんは光城くんに向かい胸に手を当てて恭しく一礼をすると愛奈さんたちの様子を伺う。仮面のような咲さんの表情からは何も読み取ることができなかった。
インターバルの無い斬撃の応酬。そんなミキサーみたいな状況の中に突っ込むだなんて自殺行為でしかない。一介のメイドに一体何ができるというのか、僕はちょっとの期待と猛烈な不安が入り混じった心境で咲さんを見守るしかなかった。
すると咲さんはおもむろにエプロンをほどきはじめ、それを手に持った。衣服から白の消えた咲さんはさながらくノ一のようだ。
そしてぐっと足に体重をかけると躊躇うことなく床を蹴る。
咲さんは一瞬で二人との距離を詰めた。
キィィンという音がして二人の剣が交わる。
刹那、咲さんはその時を見逃さなかった。
すぐさま手に持ったエプロンを剣の交点に巻きつけ固定する。その時、ようやく愛奈さんが咲さんの存在に気がついたようだった。
剣はエプロンによってがんじがらめに固定され、これ以上振り回すことはできそうにない。僕は咲さんの流れるようなフットワークにあっけに取られる。開いた口が塞がらないとはどうやらこのことを言うらしい。とんでもないメイドが僕の目の前にいる。
「……む、何者だ」
固定されてしまった剣を眺めながら男は無関心に問う。
「ぼっちゃまに仕えるメイドにございます」
「咲」
「は」
「家の中以外でその名で呼ぶのはやめろと言っただろう」
「申し訳ございませんでした、ぼっちゃま」
「ふざけているのか?」
「滅相もございません」
だからコントかって。
「なんなのだ……よくわからんがしらけた。今回はこの辺でずらかるとしよう。おいメイドとやら、この薄汚い前掛けを早く取り払え」
「……む」
男は短く息を吐き出すと首の骨をバキバキと鳴らしながら咲さんに命令する。心なしか咲さんの頬が膨れているように見えた。男の言いように一応むっとしてはいるらしい。
男は自由になった剣を背中の鞘に収めるとマントを翻して出口とは真逆の方向――まっすぐロッカーに向かっていった。
まさかとは思うけど、まさかねえ?
……案の定、僕の嫌な予感は見事に的中。男は当たり前のようにロッカーの中に入っていく。
「まさかあの女騎士、鳴沢愛奈がこんな腑抜けた連中と一緒にいるとはなぁ! とんだお笑い草よ!」
去り際、男は高々と笑いながら愛奈さんを睨みつけた。
「俺が言うのもなんだがな愛奈よ、あまり俺を失望させるな。これ以上お前が弱くなってしまうと世界征服にも張り合いが無くなってしまう」
「くっ……!」
「ではな、またそのうち会おうぞ」
男はもう一度笑うとロッカーから姿を消した。
男がいなくなり、従業員室はまさしくハリケーンが過ぎ去ったように静かになる。そしてこの部屋の有様を母さんにどう報告するべきか。僕は途方にくれた。
「魔王の懐刀……ですか?」
おもちゃ箱……もといゴミ箱をひっくり返したかのような従業員室の片付けをしながら僕は愛奈さんにそう聞き返した。
「ああ、男の名はジェレミ・イェーガー。奴は魔王と共に世界征服を目論む悪の権化だ」
愛奈さんは苦虫を噛み潰したような顔で怒りをあらわにしていた。
「それがなんでまたうちなんかに来たんですか」
「奴らは常に私たち一行を監視している悪趣味な連中だ。恐らく今回、私たちの泊まっている宿を突き止め、家探しでもしている中でここに行き着いたのだろう」
「はぁ……しかしおかしいですよね。向こうの世界での魔王たちからすれば愛奈さんは勇者として最も危険な存在じゃないですか。なら早急に決着をつけたいはずです。なのにどうして自ら身を引くような真似をしたんでしょうか」
「……奴らは楽しんでいるのだ。世界征服を」
「え……」
「確かに、私たちは王によって世界の平和を取り戻すために結成された最後の希望だ。故に魔王たちにとって私たちは世界征服という野望に対する最大の抑止力となっている。ただ――」
「ただ?」
「生かさず殺さずとでも言うのだろうか。奴らは戦闘において、私たちが疲弊し始めると途端に撤退を始める。勝利も敗北もない無意味な戦闘だ。これによって私の仲間たちは精神的にやられ始め、まるで真綿で首でも絞めるようにじわじわと私たちを追い込んでいる」
「厄介ですね」
「だが私はそのような小細工に屈するつもりはない。日本国王の名のもとに集結した誇り高き騎士として、必ずや世界に平和をもたらしてみせる」
愛奈さんは目を閉じ再び剣を抜くと胸に当てて強く誓った。
「――ところで、先程は助かった。そこの人形師、礼を言うぞ。実によくできた傀儡だ」
しばらく向こうの世界に思いを馳せていた愛奈さんだったが、先ほど咲さんに助けられたことを思い出したらしく、剣を収めながら光城くんに礼を言った。
光城くんに?
「いや愛奈さん? 愛奈さんたちを止めたのはそこのメイドさんですよ?」
「そんなことは知っている。だがな佑樹、人形は人形師がいなければ動かすことができないことくらいわかっているだろう」
「どこに人形がいるんですか」
「だからこれだと言っている」
言うと愛奈さんは咲さんの頭にぽんと手を置く。
「この人形を使役しているのが小僧、お前なのだろう?」
「こぞ……」
光城くんは愛奈さんに小僧呼ばわりされて顔がひきつっていた。プライドの塊にヒビが入っている。
動揺していた光城くんはひとつ咳こんで気を取り直す。
「――確かに、あいつに指示を出したのはこの俺だ。だがな、咲は人形なんかじゃない。俺に仕えるれっきとしたメイドだ」
「つまり、これは人間なのか」
「これじゃない。咲だ」
光城くんは少し語気を強めて反論する。咲さんと光城くんって、今まで結構淡白な関係だとばかり思っていたけど、意外と良い信頼関係が築けているのかもしれない。
「おい咲。お前が何も喋らないから話がこじれているだろう。お前もなんとか言ったらどうだ」
光城くんはメガネのブリッヂに指をかけながらため息混じりに咲さんに弁明するよう求めた。
咲さんは目で相槌をうつとゆっくりと口を開いた。
「申し訳ございませんでした。ぼっちゃまの言うとおり、私は生身の人間にございます」
「……ほう」
咲さんが喋ったことに愛奈さんは目を見開いて驚いていた。
頭に手を置かれたままの咲さんは淡々と話を続ける。
「しかしながら、人形という表現もあながち間違ってはおりません。日中はぼっちゃまに仕えるメイドとして身の回りのお世話をさせていただいておりますが、帰宅したらば私は夜の慰み人形としてぼっちゃまのされるがまま――」
「咲」
「は」
「その手の冗談は冗談に聞こえないからやめろ」
「申し訳ございませんでした」
咲さんは無表情で詫びを入れる。危ない危ない……あやうく信じちゃうところだった。あの愛奈さんでさえ頬が紅潮していたくらいだ。咲さんの無表情から繰り出される冗談は恐ろしいらしい。
「……ごほん、わかった。お前が人間だということは信じよう」
愛奈さんは頬の紅潮をごまかすように咳き込んでみると咲さんの頭から手を離した。
「して佑樹。この者たちはなにゆえここにいるのだ」
「……あ」
言われて僕は思い出した。謎のバトルが発生していたせいで何をしにここへ来たのか完全に忘れていた。
「そうそう、バイトの面接をお願いしに来たんですよ」
「ばいとの? ここで働くというのか」
「はい」
「ふむ、私は歓迎するぞ。このメイド、なかなかの手だれだ」
「いや、働くのは咲さんじゃなくてですね……」
「それでは、私は帰るとしよう。丁度商いを終えたところだったのだ」
「聞いちゃいないし……はい、お疲れ様です」
「ああ」
言うと愛奈さんはそのままロッカーへと消えていった。
「……それじゃ、父さん呼んでくるよ。多分ドリンクコーナーの裏にいると思うから」
「いや、待て東間」
「ん?」
「一つ教えてくれ」
「なに?」
「さっきの男といい今の女といい、そのロッカーは外にでも繋がっているのか?」
はい。さりげなく流そうとしましたが、見事に食いついてきました。
「………………ええと」
僕は大きくうなだれると観念してかくかくしかじかと愛奈さんとロッカーのことについて説明を始める。これでまた僕の家の秘密が外へと漏れてしまう可能性が大きくなってしまった。
やるせなく光城くんに説明をしながら僕は思う。いつも通り愛想のない愛奈さんだったけれど、今回の件は大丈夫なのだろうかと。謎の男と戦っている時、余裕のない愛奈さんを見たのはこれが初めてだったから。変に気にしてなければいいけど。
部屋の隅っこにみすぼらしく佇むロッカーから僕はしばらくの間目を離すことができなかった。
あ、光城くんは無事面接に合格したそうです。明日から早速働くみたいですよ。おめでとうございます。いやほんとおめでとうございます……。




