第一話:家庭訪問クエスト
「ええと、お姉さん……かしら?」
女騎士を前にしての笹子先生の第一声がこれだ。僕は苦笑いを浮かべながらお茶の間に座る笹子先生の前にお茶を置く。
お茶を差し出しながら僕は恐る恐る女騎士へと目を向ける。笹子先生の柔和で温厚な表情とは対照的に、気高き勇者のような凛々しい表情は、何者も受け付けぬ強いオーラを放っていた。
先程まであんなに嬉しそうだった笹子先生だったけれど、まさかの女騎士の登場に言葉が出ていない。
背中に定規でも入っているのかと思うほどピンと背筋を伸ばし正座をする女騎士。しかもお茶の間で。これ以上ないくらいのミスマッチな組み合わせだ。
気まずい空気にたまらず僕は女騎士に挨拶くらいするよう促した。
「あ、愛奈さん。黙ってないで何か喋ってくださいよ」
「――なあ佑樹、この世には礼儀というものがある」
「……まあ、そうですね」
「そしてこういう言葉がある。〝名乗る時はまず自分から〟だ」
「はあ……」
純白の鎧を身にまとった黒髪の女騎士は表情を全く変えることなく僕にそう話す。
そしてそれ以上何も言わなくなってしまったので僕は溜息をつきながら笹子先生に自己紹介をお願いする。本当にすいません。恐縮です。
「あの、笹子先生。本当に申し訳ないんですが、僕から言うのもおかしな話なんですけど、自己紹介をお願いしてもいいでしょうか?」
「自己紹介? ……そうよね。私ったら自分からは何も言わずお姉さんのことを聞こうとしてるなんて、無神経だったわね。失礼しました」
笹子先生は赤面しながら頬に手を当てる。その言葉に女騎士は大きく頷いて反応した。どうやら満足してくれたらしい。
「……改めまして、東間佑樹君の担任をしています、笹子美小夜と申します」
笹子先生はぺこりとお辞儀をしながら挨拶をした。物分かりの良い先生で安心だ。
「ということで、お姉さんは東間君のお母さん……には見えないのだけれど、東間君とはどういったご関係で?」
段階を踏んだ後、改めて笹子先生は女騎士に自己紹介を求めた。
「要領の良さ、感謝する。私の名は鳴沢愛奈。そこの店の用具入れから来――」
「親戚です! 親戚のお姉ちゃんです! 今日は親が出られないということで頼んだんです!」
これはいかんと思い僕は女騎士こと愛奈さんの言葉を遮ってなんとか話を繕った。
「まあ、東間君のご親戚だったのね! これから一年間、若輩者の私ですがどうかよろしくおねがいします」
「私の方からもこの貧弱をよろしく頼む。是非とも屈強な戦士に育て上げてくれ」
「……せ、戦士ですか?」
「えーっとおお! 戦士っていうのは生徒と同様な意味のことで、愛奈さんは僕を優秀な生徒にしてくれっていうことで!」
こうなることは粗方予想がついていたけれど、こうもマシンガンのように弁明の機会がくると僕のボキャブラリーはあっという間に底をついてしまう。なんで自分のことを優秀にしてくれとか他力本願なこと言っているんだ僕は。
「時に佑樹、家庭訪問とは何だ」
「そこからですか!?」
「私は紗江子さんに今日は家庭訪問だから夕方家に来てくれと言われただけでその概要は何も説明されていない。まあ訪問というくらいだから何者かがやってくるのだとは思っていたから、いつ奇襲をかけられてもいいように武装だけはしてきたのだが」
「一体何の奇襲ですか……それと愛奈さん、いっつもその格好じゃないですか!」
「何を言うか、お前はこの耐久性を限界まで高めた鎧の強靭さが分からないのか。更に魔法攻撃も防ぐことができるよう、神秘の首飾りまで提げたのだ。今の私は何者にも屈することはない」
「…………」
うわ、笹子先生、今までに見たことない顔してる。これ完全に電波入ってる人だと思われてる。
「……ユニークなお姉さんなのね。先生、個性のある人は好きよ。いやもう本当最近の若者は没個性でダメよねぇ……」
「そ、そうですよね……僕も見習わなきゃいけないですよ……」
大人の対応力ってすごいなって思いました。
「だから佑樹、私は家庭訪問とは何なのかと聞いている」
僕と笹子先生が動揺しているということなど考えもせず、愛奈さんは僕を急かす。
「ええとですね、家庭訪問っていうのは、学校での僕たち生徒の生活態度や進路の相談などを先生が生徒の家に足を運んでですね、生徒、親、担任の三人でお話をするもののことです」
「お前の親は紗江子さんだろう」
「父さんと母さんは店の仕事があるから家庭訪問には出席できないので、だから母さんが愛奈さんに出席をお願いしたんです」
僕は嫌だって言ったんだ。言ったんだ……。
「なるほどな。ようやく理解することが出来た。要するに、私は紗江子さんの代わりに佑樹の親としてその家庭訪問とやらに出席し、佑樹の近況を聞けばいいのだな」
「そ、そうです! その通りです!」
すごく久しぶりにまともなコミュニケーションを取れた気がして僕は思わず身を乗り出してしまった。
「承知した。ならば早速はじめよう。美小夜……と言ったな、佑樹は学校ではどうだ。真面目に鍛錬に励んでいるか?」
褒めた僕が馬鹿でした。乗り出した身をフェイドアウトするように僕はそっと正座に戻った。
「え……あ……鍛錬……授業のことでいいのかしら……はい、まだ入学して一ヶ月しか経ってないので、六月の中間テストでの結果を見ないと何とも言えませんが、授業態度は良いですよ」
そしてこの順応性である。
「ふむ、そこそこはやっているようだな。紗江子さんにもその旨、しかと伝えておこう」
「よろしくお願いしますね。じゃあ次はこちらから質問させていただきます。東間君はおうちではいつもどうですか? 何か心配事はありますか?」
「家での佑樹か……特に鍛錬に励むわけでもなく、ただいたずらにこの家の食料を食べては睡眠し、また起きてはその学校とやらに行き帰ってきて、飯を食って寝る。まるで自分の家に兵糧攻めでも仕掛けているような男だぞこいつは」
「「兵糧攻め!?」」
しばらくは二人のベタな会話を黙って聞いていた僕だったが、こればっかりは聞き捨てならなかった。
「人聞きが悪すぎます! なんですか兵糧攻めって!? ここは人々が野望を持った戦国の世ですか!? 普通です! 普通の男子高校生が朝ごはんを食べて学校に行って授業を受けて帰ってきて夕御飯を食べて寝る、ごく一般的な生活ですから!」
「そうだったのか。てっきり私はお前がこの家の天下を取ろうとしているのかとばっかり」
「ちっぽけな天下ですね!」
僕は一通りツッコミを終えると乱れ切った呼吸を整える。
「ええと、東間君っておうちでは結構元気なのね」
すると僕たちのやり取りを聞いていた笹子先生が感心したように僕に目を向けた。
「え?」
「先生のイメージでは東間君はもっともの静かな感じで、自分から何かを起こすって感じの子ではないって思ってたんだけど」
「そうなのか? 私といるときは大体このような感じだぞ」
「誰のせいですか誰の!」
「内弁慶ってやつなのかしらね」
やめてくれ! その言葉だけはやめてください! 根暗な人間ホットワードの一つですから! それと先生の僕に対するイメージが結構刺さるんで! それもちょっとやめてください!
「佑樹、内弁慶とは何だ」
「ああもう! 自分で調べてください!」
「なんだ急に怒り出して」
「怒ってません!」
「何なのだ……まあいい、して美小夜よ、家庭訪問とはどれほどの期間をかけて行うのだ。場合によっては野営のを準備をしなければなるまい」
「い、いえいえ! お心遣いは感謝しますが、そろそろおいとまするのでご心配しないでください!」
笹子先生はびっくりして両手をぶんぶんと振る。なんだよ泊まりがけの家庭訪問って。何かの立ち入り検査ですか。
「そうか、ならいい」
「まあ、お泊りっていうのも斬新でいいかもしれないわね。今度やってみようかしら」
「先生、血迷わないでください」
笹子先生までそういうことを言うんだから。
「ふふ、冗談よ。じゃあ最後に、まだ高校に入学してばかりで悪いんだけど、東間君の進路について聞いて今日は帰ろうかしら」
笹子先生は舌を出して僕をおちょくると最後の議題を投げかけてきた。
進路。ようやっと高校に入学することが出来た僕にとってはまるで他人事のような言葉だ。
「進路ですか。今のところ特には何も……」
「そりゃそうよねぇ、進学してもう進路のことなんて、少し休ませてくれって感じよね」
「はぁ」
「進学か就職かくらいは聞かせてくれる? 一応これでも先生だからね」
ここにきて就職という言葉まで飛んできた。僕が就職? ……だめだ。全くイメージできない。
「どっちかといえば進学……ですかね」
僕は自信なさげに返答する。
「そう、進学ね。まあ光城に入ったってことは少なからず進学したいって思ってるわよね。わかったわ、ありがとう」
笹子先生は取り出したノートに何やら書き込むとぱたんと閉じ、カバンにしまった。
「それじゃ、聞かなきゃいけないことは全部聞いたし、先生そろそろ帰ろうかしら」
そしてちゃぶ台に手をついてよいしょと立ちあがる。それに釣られて僕も立ち上がった。
「ほら、愛奈さんも立ってください。玄関まで見送るんですから」
「む、そういうものなのか」
「いいですよ見送りなんて。そんな大層なものでもないし」
「そういうわけにもいきませんよ。さ、行きましょう」
「今日は遅れてしまって本当にすいませんでした」
玄関前で笹子先生はもう一度ぺこりと頭を下げると申し訳なさそうに愛奈さんに謝った。
「気にすることはない。美小夜こそ足労だったな。佑樹まで送らせてしまって。この礼は必ず返そう」
「いえいえそんな」
「私は貸しを作らない主義だ」
「お気持ちだけ受け取っておきますね。東間君は良いご親戚を持って幸せね」
「はは……どうも」
僕は大根役者も真っ青な作り笑いを見せると愛奈さんの方を見る。良いご親戚? こんな鎧を着た女騎士が? 時代錯誤というより時空錯誤のこの女騎士が?
「それでは、これで失礼します。今日は色々とお話してくれてありがとうございました」
「うむ。外も暗い。魔物に見つからぬよう、常に気を張って帰るんだぞ」
「ふふ、魔物って。車で帰るので大丈夫ですよ。それに私みたいなおばさん、誰も見向きはしません」
笹子先生はこの三十分ちょっとで愛奈さんのあしらい方を見事に習得していた。脱帽です。というかまだおばさんというような年ではないでしょ。自己紹介の時年齢教えてくれなかったけど。
「それじゃ東間君、また明日学校でね。あ、ご両親、お店にいるのよね? ちょっとご挨拶に行こうかしらぁ」
笹子先生は言うと柔らかく微笑んで僕の家を後にした。
玄関の戸が閉まる。瞬間、僕は床にへたり込んでしまった。
「……っはぁああ疲れたぁ…………」
「どうした、腹でも減ったのか」
愛奈さんは床にへたり込む僕を覗き込み……もとい見下し、淡白な声音で問いかける。
「確かに減ってはいますけど、それとこれは関係ないので……」
「そうか、それにしても佑樹、お前は良い師の下で鍛錬することができて良かったな」
「そうですか? 確かに他のクラスからは羨ましがられることもありますけど、ちょっと抜けてるところがあるからなぁ、笹子先生」
「抜けてなどいるものか。お前にはわからなかったのか? 美小夜の放つ痛みを感じるほどの鋭利な〝気〟が」
「……へ?」
「佑樹、あの女、私には到底及ばずとも相当出来るぞ。鍛錬を積めば優秀なメイジになれる」
「さ、笹子先生がですか?」
「私が今日、いつもより武装を強化したのはこういうことだったのかもしれないな」
愛奈さんは何が楽しいのか不敵に微笑むとおもむろに玄関を開け始めた。
「どうしたんですか?」
「どうしたって、帰るのだ」
「夕飯食べていかないんですか?」
「今日は向こうで食べるとしよう。たまには向こうの貧相な食事も悪くない」
「そういうものですか」
「ああ。では、また次の『しふと』の時に来る」
「今度いつでしたっけ?」
「明後日の夕方五時からだ」
「あ、僕と一緒ですね。よろしくお願いします」
「うむ」
愛奈さんは言うとコンストの方へと消えていった。愛奈さんが見えなくなるのを見て、僕は玄関を閉める。
ようやく今日イチの厄介なイベントが終わった。時刻は十八時半。一人になった家の中で、僕は台所へと向かい夕飯の準備に取り掛かる。といってもコンストで売れ残った廃棄処分の弁当をレンジでチンするだけの簡単クッキングだ。
父さん、母さんは毎日ほとんどコンストに出ずっぱり状態なので一人での食事には小さい頃から慣れていた。大げさな音をたてながらペペロンチーノを温めるレンジを無感情に眺める。
こんな生活を続けてはや十五年余りが経った。僕はふと愛奈さんの言った兵糧攻めという言葉を思い出して軽く吹き出す。なかなか言い得て妙だ。代わり映えしない日常。学校へ行き、ご飯を食べて寝る。その繰り返しに何か不満があるわけではないけど、退屈ではあった。
そんな僕の些細な不満を知ってか知らずか、ほんの一ヶ月前、彼女は突如として現れたんだ。そしてこれまでの退屈な日常は見事に音を立てて崩れ落ちた。
崩れ落ちた日常は、非日常となって僕に襲いかかる。
――ああ。
なんかもう、退屈だとか言ってすいませんでした。ホント。