プロローグ
僕は今、車に揺られている。担任の笹子先生の車だ。これから年に数回のクラス家庭訪問というやつで、二人で僕の家へと向かっている。正直、すごく、すごく気乗りがしない。
実際、家庭訪問が好きな人間なんてこの世にはいないだろうし、誰だって気分が乗らないと思う。ただ、僕の場合はワケが違う。
女騎士が出席するんだ。家庭訪問に。
「やっぱり夕方の道は混むわねぇ……あ、そういえば東間君のおうちって、コンビニを経営してるのよね?」
帰宅ラッシュで混み合う道にハンドルをこつこつと叩く我が担任はたまらず僕に話題を持ちかける。
「え? ああそうです」
「ごめんねぇ、この通りちょっと予定の時間には着きそうにないのよ。ご両親、忙しい合間を縫ってくださってるんでしょうけど」
「いえ……」
大丈夫です、忙しい両親に変わって女騎士が出ますので、などということは口が裂けても言えなかった。まぁあと少しでバレてしまうことだけれど。
というか一日のうちでも忙しい夕方の時間に、わざわざ家庭訪問の予定を組むわけがない。だったら午後二時くらいとか割と暇なとき時を選ぶと思うんだけど。やっぱり笹子先生って美人な割にどこか抜けてるよなぁ。
午後五時半を予定していた家庭訪問だったけれど、その五時半の時点で僕たちはまだ車の中で立ち往生をする羽目になっていた。無駄にテンションの高いFMラジオのDJが耳につく。
「その、先生は大丈夫なんですか? 僕のあとの家庭訪問の予定とか」
「その辺は大丈夫よ。今日の家庭訪問は東間君だけなの。だからこうして車で送ってあげられるのよ。今日はちょっと長めにお話しちゃおうかしら、なんてね」
「はは……そうなんですか」
妙に意気込む笹子先生だった。僕のテンションは落ち込むばかりだ。
そうこうしている間に車は動き出した。先生がアクセルを踏むたびに絶望へのカウントダウンが刻々と近づいているようで、望むならこのままずっと渋滞に巻き込まれいていたいとさえ思ってしまう。
ああ、絶対にこのことだけは秘密にしていたかったのに。高校に入学してわずか一ヶ月でこうも簡単にバレてしまうだなんて。神様もイジワルなことをする。
「もうそろそろよね?」
「――あ、はい。あのちょっと先に見えるコンビニです。駐車場に停めてくれればいいんで」
「あら! あそこのコンスト、東間くんちだったの! いつもただ通りすぎるだったんだけど、今度から寄るようにしなくちゃ!」
「はは……是非」
コンストとはコンフォート・ストアの略でコンビニ大手チェーンの一つだ。白と緑を基調にした外装が目印で、よく使われる例文として「てか、コンスト行っちゃう?」などが挙げられる。
僕たちの乗った車は約三十分遅れで到着した。車から降りると近所の中学校で部活を終えた生徒たちが店先で唐揚げなどを食べながら駄弁っていたり、店内には運良く仕事を定時で終えたサラリーマンやガテン系のあんちゃんたちなどで盛況している。確かこの時間帯は三人で回しているはずだから大丈夫だろうけど、突然非常召集がかからないか心配だ。
「ええと、家は店のすぐ隣なんで」
「忙しそうねぇ。これは落ち着くまでしばらくかかるんじゃないの? まあ先生はいくらでも待つから気にしないくていいからね」
笹子先生、それは要らぬ心配というものです。
僕たちは大いに盛り上がりを見せているコンストを通り過ぎてそれに隣接する一軒家へと足を運ぶ。本当に何の個性もない、築二十年のふっつーの二階建て家屋だ。
「東間くんち、とうちゃーく」
「笹子先生、嬉しそうですね……」
「そりゃ嬉しいわよぉ、我が子同然のクラスのみんなの親御さんに、学校での近況を説明できる数少ない機会ですもの!」
「はあ……」
たった一ヶ月で我が子同然とは。僕はなんて愉快な担任に当たったのだろう。
ところで、嬉しそうな先生には申し訳ないんだけれど。
「どうしたの東間君。おうち入らないの?」
足が拒むんだ。これから起こるであろう悲劇を懸念してか。
「いえ、そういうわけでは……」
「ほら、早く行きましょう。元気よくただいまーって!」
そう言うと笹子先生は僕の背中をぐいぐいと押して玄関の前まで追いやった。
玄関を目の前にして、緊張からか無意識にごくりと喉を鳴らしてしまう。
「じゃあ……開けますよ」
数回の深呼吸の後、僕は意を決して玄関に手をかけた。
そして、その時は訪れてしまった。