不意打ちから始まる恋
「好きです。付き合って」
にっこりとさわやかに微笑んで、ナナミはカヤにそう告げた。
言われたカヤは、持っていたボウルを危うく床に落とすところだった。
「カヤー」
お店のカウンター奥から、ナタネの声がする。カヤの働くカフェ『オレンジ』の店長だ。
カヤはエプロンとふわふわの髪を揺らしながら、カウンターへとぱたぱたかけて行く。
「はーい。なんですか、ナタネさん」
「今さ、特製のミックスドリンク作ってみたんだけど、試飲してくれる?」
カウンター席に置かれた一杯のドリンクは、鮮やかな緑色に染まっていた。氷がたっぷり詰め込まれ、炭酸がしゅわしゅわと音を立てている。じーっと十秒見つめて、カヤはナタネに聞いてみた。
「ナタネさん、これ、何を混ぜたんですか?」
「メロンソーダをメインに、レモンスカッシュ、カルピス、グレープフルーツジュースにオレンジとアップル。キンキンに冷えた素敵な炭酸ミックスをどうぞ」
「自分で飲んでみました?」
「飲んだよ~。問題ないと思うけどさ、何人かに飲んでもらって感想聞いときたいじゃない」
「……では頂きます」
カヤは恐る恐る飲んでみた。
たくさんのフルーツの味が混じり合って、しゅうっ、と炭酸の刺激が喉を通り過ぎる。思わず、カヤは二口三口と飲んだ。
「おいしいです」
「それはよかった。んじゃ明日からメニューにするわ。今年の夏はひとまず出して見て反応を見る。あ、よかったら全部飲んじゃっていいわよ」
「それじゃいただきますね。……そういえば、ほかの人にも試飲してもらったんでしたよね」
ナタネはコーヒーメーカーに残ったぬるいコーヒーをコップに注ぎ、氷をどばどばといれた。そしてガムシロップを注ぎかきまぜて、一気に飲み干す。
「おー。うちの子とお向かいのジョーに頼んだわ。なじみのお客さんに無料おためしって感じで飲んでもらった。あとは、ジョーんとこのナナミもだわ」
ナナミ。その名前が出された時、ジュースを飲む手が止まった。少しだけ、カヤの表情が固まる。
ナタネはそれにすぐ気づいた。
「どうしたのよ、カヤ?」
「……いえ」
「もしかして、こないだのナナミの告白、まだ引きずってるの?」
「恥ずかしながらそうです」
先日、カヤはナナミに告白された。
ナナミとは、ジョーが向かいに店を構えた時からの関係だ。向かいにあるどこか古風な本屋は、若き店主ジョーの店である。ジョーとは小さいころから仲のよかったナナミは、ジョーが店を開くと聞いて、手伝うと申し出た。
カヤがナナミと出会ったのは、五年前。カヤがまだ十二歳で、ナナミは十四歳。それぞれの店主を間に取り持ちながら、二人は仲よくなっていった。といっても、カヤからしてみれば、深まった情はあくまで友情であって、恋愛感情にまで発展するとは考えていなかった。同じスクールに通っていたこともあり、よく勉強を見てもらっていたし、買い物に遠方まで二人ででかけたこともあった。
お向かい同士、食事を共にしたこともある。
ナタネの子であるシトとユカリと一緒に遊んでくれたこともある。
ナナミとは、長い付き合いだ。だけど、ナナミとの思い出一つ一つをたどってみても、ナナミが自分を女の子として好きになる理由がどうしてもわからない。
カヤは、きわめて醜い顔立ちではないが、取り立てて美人と言うわけでもない。『オレンジ』の店員として働いてはいて、スクール時代からお手伝いをしている。実質、ナナミがジョーと共に越してくる前から、カヤは『オレンジ』の従業員だ。それがナナミにとってのカヤへの恋愛感情の芽生えだとは思えなかった。
強いて特技をあげるなら、カヤの歌は街の人々や精霊たちをも魅了すること。
カヤのすむ街には、あちこちに精霊がいる。精霊はこの街の住人なら誰もが見える。街のどこかにひらひらと漂っていて、街を見守っているのだ。
そして、精霊はきれいなものが好きだ。きれいであれば形のあるなしは関係ない。
その精霊の好きなもののひとつが、カヤの歌だ。カヤの歌う歌は美しく、誰もが聞き惚れる。『オレンジ』では、夜になるとカヤの歌うジャズソングを披露する。
カヤの歌声は、この街では割と有名だった。ナナミもカヤの歌を好いてくれているのだろう。そう考えると合点はいく。
ただ、カヤはそれがよくわからなかった。歌なんてしょっちゅう歌っているし、今更思いを告げるほどのものなのだろうか。
ナタネからもらったジュースをのんびりすすり、カヤはぼーっと向かいの店を眺めた。
そこには、ジョーと楽しく会話しながら本を店頭に並べるナナミがいた。
ふと、ナナミと目が合った。ナナミはにっこり微笑んでこちらに向かって小さく手を振った。
カヤはどう返していいか分からず、あわてて視線をジュースに落とす。
(どう接すればいいんだろ)
ナナミに告白されてから、カヤはナナミを必要以上に意識している。
ふつう、愛を告げられたら、あんなに平静でいられない。ナナミはいつも通りに接している。ナナミが変なのか、自分がおかしいのか、カヤにはわからなかった。
ある日、ジョーの本屋にて、読み聞かせが行われた。児童向けの書籍をナナミがいくつか読むのだ。本屋の奥にある広間には、読み聞かせを楽しみにしていた児童が集まった。
ナナミの声はよく通り、メリハリがついていて、聞いていた人たちをお話の世界へと引き込むにたりた。昼休みを利用して覗きに来たカヤも同じだった。
(ナナミって、こんなにきれいな声だったっけ?)
カヤはふとそう考えた。
今までは、ナナミの声や読み聞かせなんて、ただ何となく、普通に聞いていただけだった。それが今になって急に意識し始めるなんて。
やっぱり、ナナミに告白されたからなのか。
だけど、告白した側のナナミは、今まで通りで生活している。
なんだか、不公平だった。自分だけ舞い上がっているようで。そもそも、誰かに好きだと伝えられただけでどうしてこんなにもこころが落ち着かないんだろう。
「やっぱりナナミはいい声してるよねえ」
カウンターごしに、ナタネがそう言った。
「今まで、意識したこともありませんでした」
「ずっと聞いてりゃね。あの子、自分の声の活かし方をよっくわかってるんだよ。声楽でも学ばせてその道に進めば、それなりに有名になりそうだと思うわ」
「そ、そうでしょうか」
「あ、カヤと組めばいいんだよ。カヤも歌上手だし、デュエットしたらたちまちここの名物になるよ。よし、そうしよう! 作詞作曲はあたしに任せてさ、ジョーにギターでもピアノでも弾かせるか」
「勝手に話を進めないでくださいっ」
「ごめんごめん。でもいいと思うよ?」
ナタネに反省の色が見られなかった。
「もうっ、ナタネさんったら、おもしろがってませんか?」
「いやいや、私はいつでも真剣よ? カヤには昔から助けてもらってたし、幸せになってもらいたいもんだなーと」
ナタネの言葉に、嘘はない。だからさ、とナタネは急に真剣になった。
「気持ちが落ち着いたら、ナナミにちゃんと答えてあげな」
「……そりゃちゃんと返事はしますよ。ただ……少し時間がかかりそうなだけです」
読み聞かせが終わったらしかった。子供たちは笑顔で、書店を去っていく。ナナミとジョーの顔も、満足そうだった。
夜になり、『オレンジ』の店を閉め、ナタネとカヤは軽めの夕食をとった。スクールから帰って来たユカリとシトは、カヤの作った簡単なパスタをおいしそうに食べていた。服を汚して、ナタネに苦笑されていた。
夕食と入浴がすんだカヤは、自室のベッドにばふんと倒れ込んだ。そばにあったお気に入りのクッションを抱きしめる。夏の夜は常に暑さとの戦いだが、今夜に限って少し涼しかった。
とろとろと眠気に誘われる。浅い眠りの中で、カヤは夢を見る。
こんな夜は眠りやすいな。そういえば、ナナミはどうしてるかな。昼間は暑かったけど書店の中は冷房きいてるし、過ごしやすかったかな。……いや、冷房ききすぎてると逆に体に悪いからなあ。
ナナミ、ナナミ。
――――カヤ?
ばっ、と跳ね起きた。夢の中に、とてつもなく完成度の高い状態でナナミが出てきた。おぼろげではない、はっきりとナナミを夢に見た。
(おかしい! 最近の私、ずっとナナミのことばかり考えてる)
カーディガンを羽織って、カヤは外へ出た。夏とはいえ、今夜は少し冷える。ナタネたちを起こさないように、そっと出た。
深夜だというのに、空に散りばめられた星々や月の灯りで、外は意外と明るかった。数少ない外灯も、ちらちらと照っている。
「わぁ……」
思わず、カヤは声を漏らした。星のきらめき、月の光、ちらちらと見える精霊が、夜空を彩る。
こんな夜を、カヤは愛おしく思った。
「あれ、カヤ?」
とても心当たりのある声が、した。
はっとして後ろを振り向くと、ゆったりした服を着たナナミだった。
「なっ、なっ、ナナミ!? なんで……!」
「眠れないから外で涼んで来ようと思ってさ。なんだ、カヤも一緒だったんだ」
ナナミの優しい微笑は変わらない。カヤに思いを告げる前と変わらない。
「うん……。ちょっとね、眠れなかったの」
「そっか。一緒にいていいかな? よかったら、星でも見てようよ」
「……うん」
二人は中央広場のベンチに腰かけた。
のんびりと空を見上げている。
カヤは、美しい星空を眺めながら、心がどこかに行ってしまったような感覚だった。
どきどきしているのか、それとも落ち着いているのかわからない。
となりに、ナナミがいる。そっと横を見やると、何か悟ったような穏やかな笑みで空を見上げている。
星空から目を離さず、ナナミは突然言った。
「で、返事はいつくれる?」
「へっ!?」
思わず、上ずった声を出してしまう。目をナナミからそらす。
「へ、返事って……?」
「カヤに好きって言って、もうずいぶん経ってる。そろそろ答えが欲しいな」
「ま、待って!」
「待てない」
ナナミは急に、カヤに詰め寄る。カヤは顔を真っ赤に染めて、あたふたと慌てている。
「あ、あのね……私も、ナナミにはちゃんと返事しようと思ったの! だけど、考えがまとまらなくって、どういえばいいか分からないで……」
「んー……。カヤは俺といるとき、どんな気持ちになる?」
ナナミは小首を傾げて笑って見せる。
どきどきしながら、カヤはナナミの問いに対する答えを考えた。――ナナミといるとき?
ナナミといると、落ち着かない。心臓の鼓動が高鳴ったり、ナナミをいつの間にか目で追っていたり、とにかく心が忙しい。
この落ち着かなさを、自分はどう思ってる?
「わたし、は……、ナナミといる時間、嫌いじゃ、な、い」
「つまり……?」
「たぶん、ナナミのこと、す、す……すき、なんだと、思、う」
面向かって、そう答えることに、どれだけの勇気を必要としたんだろう。カヤは唇をきゅっと結び、ナナミと目を合わせないように努める。
「す、好きっていっても……その、友だちとしてじゃなくて……その先の好きっていうのかしら……」
突然、ナナミがカヤに倒れ込んできた。
「ひゃっ!!」
「よ、かったあ……」
え、とカヤは言葉を漏らす。
「あー、力抜けた……。フラれたらどうしようかと思ったぁ……」
「……ん?」
「もー、好きだって言うのも怖かったんだよ。時間欲しいってカヤが言ってから生きた心地がしなかった……」
「え、うそ」
カヤは怪訝な声を出す。
「だってナナミ、いつも平気な顔してわたしに笑いかけてたじゃない」
「そう見えてた? ひきつってうまく笑えてなかったってすっごい不安でさ」
ナナミの力は抜けきって、カヤに全部預けっぱなしだ。
ふと、カヤは気付いた。ナナミの鼓動が、かすかに伝わったのだ。
どきどきしている。カヤに負けず劣らず、ばくばくと高鳴っている。この人も、不安な気持ちを抱いていたんだ。
「ぷ……っ」
「カヤ……?」
弱弱しい声で、ナナミが聞く。
「おんなじね、わたしたち」
「……みたいだね」
カヤは微笑んで、ナナミを優しく抱き締めた。
甘々な恋愛モノになりました。愛着わいた二人だったので、完成できてよかったです。




