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向日葵の追憶  作者: 若桜モドキ
二章・恋愛模様は誰も知らない
8/20

八月二十四日 すれちがう

 祭りでの勝負は空振りになり、百合はほかに何か勝負を、と考えていたらしい。

 翌日、棗を引きずるようにやってきた彼女は。


「探検するわよ!」


 びしり、と向日葵を指差した。

「……短剣?」

「刺し殺せる物体じゃなくて、冒険する方よ。OK?」

「えっと、何となく」

「他人が用意したフィールドで戦うのが間違ってるの。だからうまくいかないのよ」

 彼女が言っているのは料理対決の事であり、祭りの事だ。前者が互いに食べ物とは呼べない何かを仕上げ、後者は勝負すら行われなかった。百合はそれが気に入らないのだ。

 しかし、向日葵は戸惑うばかり。そもそも料理対決さえ、ちょっとした遊びの感覚でしかなかった彼女にとって、百合のいう『勝負』の意味や理由がいまいちピンとこないのだ。

 確かに百合は棗が好きなのだろうし、そこまでではないが向日葵だって彼の事が好きだ。

 ありていに言えば、『親しいお友達』の感覚。互いに互いを必要最低限、あるいはごく普通の程度にしか異性として捕らえていない。けれど……百合にはそう見えないのだろうか。

 今更ながら、向日葵は自分が置かれた立場に戸惑った。

 百合が勝負勝負という感覚は、わからなくも無い。誰だって好きなヒト、大切なものを独占したいと思うだろう。向日葵も人間相手では感じないが、似た感覚なら知っている。

「あうぅ……」

 どうやって百合をなだめれば、と向日葵の思考は右往左往する。

 もともと勝負事は苦手。たとえば秋乃や達也達とババ抜きを十回した時、参加者で一番勝率が悪いのはいつだって向日葵だった。それこそ、真剣にお払いを考えてしまうほどに弱い。

 だから気づかなかったというよりも、あえて気づかないフリをしていた。にぎやかな騒動に巻き込まれるのは、向日葵は嫌いではなかった。しかし勝負事だけはどうしても拒否したい。


「そろそろ決着つけなきゃ、私が納得できないの! イヤでも参加してもらうから!」

「あう……」

「棗に秋乃さん! 協力してくれるでしょ、も・ち・ろ・ん」

 きっ、と少しはなれたところにいる二人を睨む百合。

 棗は心の底から嫌だといいたそうな表情になり、しかしぐっと唇は閉ざしたまま。

 秋乃は少し困った様子を見せるが普段通りに微笑んでいる。どうやらどちらも百合にはむかうつもりも気力も無いらしく、向日葵は心の中で主に棗に文句を言った。

 しかし二人だけを責めるわけにもいかない。

 今まではっきりと、勝負に興味が無いと言わなかった自分も悪いのだ。いつか、棗に言った言葉を思い出す。彼に偉そうな事を口にしながら、自分ができていないなんて情けない。

「それで、何をするん?」

「遺跡とかあれば都合がいいんだけど、さすがにそんなのはムリだものね。山の中を歩き回るだけでいいわ。とにかく『すごいもの』を探すの」

「すごいもの?」

「んー、たとえば……都市伝説!」

 アホだコイツ、と小声で呟く棗。それを睨みつけて黙らせ、百合は続ける。

「夏といえば探検よ!」

「意味わかんねぇよ。つか、漫画かなんかの見すぎだろ。現実に帰って来い」

「棗ってば、その年で枯れちゃったの? あぁ、なんてかわいそう! 絵空事のような何かに夢が見れるのは子供のうちの特権なのに、棗はそれができないなんて……!」

「ほっとけ」

「そんな棗を救うためにも、探検よ」

 結局そこかよ、とうなだれる棗のその後の奮闘の甲斐はなく。百合が勝手にルールその他もろもろを決めてしまった、誰が得をするのかわからない探検はスタートするのだった。

 最初こそ、それは探検だった。

 けれどだんだんとルールを削ったり、付け足したりしているうちに別物になる。

 それは世間一般では、肝試しと呼ばれるものに似ていた。


   ■  □  ■


 ふえぇ、と向日葵は棗の背中にしがみつくように歩いていた。

 普段なら何も考えずに通る道だが、肝試しという名前がつくと急に怖く感じる。ただの気分の問題とはわかっていても、怖いものは怖いのだから仕方がない。

 四人は夕方をすぎて薄暗くなるまで施設で過ごし、そこからじゃんけんで二組に分かれて出発した。百合は棗と組みたかったと悔しそうだったが、秋乃と二人で先に出発している。


「あああ、秋乃くん達は大丈夫やろか……」

「あの人なら笑顔ですったすった歩く。ジュース一本賭けてもいい」


 懐中電灯を手に前へ進む棗。確かに怖がっている秋乃は想像できない。きっと冷房が適度にかかった室内のような、涼しい顔でスタスタと歩いていくだろう。

 一方、こちらは向日葵が棗にしがみつくせいで、なかなか前に進まない。目的地は折り返し地点という事になっている丘だ。近くに崖があるため、大人に近寄らないよう言われている。

 そこが見えるところまでいってから、施設に向かって帰る。しかし獣道くらいしかない森の中なので、丘の影がうっすら見えても秋乃や百合とすれ違う事は今のところなかった。

 もう二人とも施設に到着していそうだ。

「よし、帰るぞ……いいから服引っ張るな。伸びる」

「せ、せやかて怖い……」

「お前、この辺はホームグラウンドだろ。肝試しって単語一つでビビるなよ。事故が起きるような道もなければ墓も何もないようなこんな場所で、幽霊の類と遭遇するとでも――」

 思ってんのかよ、という言葉は終わりに向かうごとに小さくなっていった。丘の方をまっすぐ指差しながら、視線も同時にそちらに向いていった棗が、石のように固まっている。

 向日葵がそっと彼の向こう側にある、彼が見ている方向を見た。

 そこには時々遊びに来ていたあの丘があって、空に月が昇っていくつか星が見えて。


 ついでに、丘の上に佇む影があった。


 それが黒いなら良かった。それは真っ白だった。ゆらゆらと風に揺れる煙のような影。ゆだるような暑さの中、今は何かが揺れるほどの風はない。風がないのに、影は揺らいでいた。

 絶句したまま動けない二人の目の前で、その影が動き出した。歩いていると思っていいのか向日葵にはわからなかったが、影はゆっくりと丘を動く。――その向こうにある崖に向かい。

 ぴたり、と身体を止めた影が振り向いた気がした。それは錯覚だったかもしれない。そして次の瞬間にその白い影は、まるで崖の下へと身を投げるように傾いて、じわりと消えていく。

 硬直したままそれを見ていた棗と向日葵は、そろそろと互いの顔を見合わせた。


 見た?

 見た。


 そんな会話を視線で交わし、ゆっくりと後退する。ここにいてはいけない。そして影が消えた方向に背を向けると、そのまま百合と秋乃が待っているだろう施設へと向かい走り出す。

 棗と一緒に逃げ出した向日葵は、頭の中で考えていた。

 身を投げるように消えた、少女らしき白い影。

 そして、『あの場所』。

 ……まさかね、と心の中で呟いた頃、やっと見慣れた建物が見えた。


   ■  □  ■


 よくわからないまま勝負は終り、いい加減にしろと棗に叱られた百合はとりあえず勝負は諦めたようだった。しかし棗は一時的なものかもしれない、と警戒態勢は継続らしい。

 そんな二人を見送って、向日葵はリビングでごろごろしていた。

 今日は楽しかった。肝試しは怖かったけれど、これで勝負も挑まれない……はずだ。

 何より、やっぱり大人数でわーわー騒ぐのは楽しい。

「えへへ、楽しいなぁ、こういう夏もえぇなぁ」

 誰かに言うわけでもなく、ただ思ったままの言葉を口にする向日葵。

「本当にそう思っているの?」

 その声に、淡々と答える声があった。向日葵が声がした方に視線を向けると、そこにはいつの間にか秋乃が立っていて、作り物のように綺麗な笑みを浮かべて、向日葵を見ている。

 秋乃は向日葵に近づきながら、さらに続けた。

「向日葵は、楽しいのかい? 夏が」

「……えっと?」

「僕は楽しくなかったね。夏なんてさっさと終わればいいんだよ」

「秋乃くん……? 何を」

 言うとるん、と続けたかった言葉。

 しかしそれを音にする前に、向日葵の身体は傾き、視界がぐるりと円を描いた。秋乃に腕を引かれたと気づく頃には、向日葵の身体は彼の下に――ソファーに組み伏せられていた。

 仄かな月の光。

 その中に、青白く秋乃の冷笑が浮かんでいた。

「秋乃くん」

 けれどそれ以上に向日葵の声は冷たく、硬い。

「なんでなん」

「……」

「なんでこんな事するん」

「……」

「秋乃くん、ウチは訊いとるんやけど。答えられんの?」

「……」

「こんな事して、なんかえぇ事あるん? それで秋乃くんは満足するん?」


 ――ウチは羽香奈の代わりにはなれんし、なる気も無い。


 向日葵は少し細めた目に、喉を振るわせる音にならない声を含ませる。

 彼が夏を嫌悪するのはトラウマだ。

 大切な者をなくした、その傷が否応なしに疼くのだ。

 甘い疼痛。向日葵にとってそれは悲しみが篭る追憶だが、秋乃にとってそれはその身を引き裂くような激痛でしかなく。声を、姿を、ただ面影を頭に浮かべるだけで苦痛に変わる。

「いつまで――いつまで引きずるつもりなん」

「何を、だい?」

「口ではあれこれ悪く言って、でもずっと追いかけて。そんなんやから、いつまで経っても笑えんのやって、少しも変われんし、前にも進んでいけんのやって。本当はわかっとるんやろ」

「僕が、誰を追いかけているって?」

「羽香奈」

 夢摘羽香奈。それは一年前に死んだ、向日葵の親友で――秋乃の恋人、あるいはそれに近い場所にいた少女の名前。小さな小さな夢を摘まれて儚く消えた、二人の心に残る傷跡の主。

 秋乃から笑顔を奪い取った彼女。温和な彼が悪し様に罵る唯一の人間は、一年前に二人の目の前で事切れた。痛みに泣き叫ぶ子供のように、秋乃へ大嫌いという『心』を吐きながら。


 向日葵は知っている。秋乃へ向けられたあの言葉は全部嘘なのだと。

 いや、嘘であってほしいと思っていたい。そうでなければ、秋乃のようになってしまうのは自分の方だと知っているから。逃げなのかもしれない――だけど、信じたい。親友だから。

 だから、向日葵は続ける。

「気にしてないよ、どうでもいいよ、彼女なんて嫌いさ。そういいながら、秋乃くんはずっと羽香奈の事ばかり考えて、常に羽香奈を思い出して、その背中を追いかけ続けとるんよ」

 以前、学校での出来事を語ってくれた秋乃。やたら女性が寄ってくる、困っていると、珍しく本当に困っている表情で言った。喜怒哀楽のすべてを、あまり表に出さなくなった彼が。

 本当に、本当に羽香奈を忘れたいのなら違う女性を作ればいい。

 向こうからよってくるのは、かなり好都合な展開だ。それこそ困るくらいにモテているのに忘れられないのは、いつまでもなくした者に縛り付けられている証拠だと、向日葵は思う。

「秋乃くんは比べとるん。自分のそばにいる女の子、ウチも含めて、羽香奈と比べとる」

 そして、どこかは満たしていても、どこかは満たされていない。だから『ダメ』。向日葵を含めたすべてを拒絶する。だって彼女らは、秋乃が求める『夢摘羽香奈』ではないのだから。


「……だとしても、僕は」

 身体を離して、秋乃は言う。その表情に感情は浮かばない。


 薄く微笑んだ形に整えられた仮面を貼り付けて、秋乃はゆっくりと立った。

「僕はこれから壊れていくだけなんだろうね。直す方法も知らない、直す気も無い。痛みを再認するくらいなら、直らないまま、壊れ続けている事を選ぶ。……痛みを忘れていたいんだ」

「秋乃、くん……」

「向日葵にはわからないね。その心に、大切なヒトなんて、いないだろう? いないものはなくす事は無い。存在しないものは消えないし壊れない。だから、きっと君にはわからないよ」

「……」

 去り際に呟かれた、静かな秋乃の声。


 向日葵の中を傷つけながら、そこに埋もれていく棘に変わった。

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