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向日葵の追憶  作者: 若桜モドキ
二章・恋愛模様は誰も知らない
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八月二十三日 祭囃子は遠く

 桃色の浴衣は、一目見た瞬間からお気に入りになった。着付けが終わった向日葵は、鏡の前で一回転する。それから髪の毛をきれいに結わえて、いくつか飾りをつけてようやく完成だ。


 絞り染めのシンプルな浴衣。

 しわしわになる加工が施された赤い帯。

 桜を模した飾りがゆれる髪飾り。


 すべて志保が用意してくれたものだ。

 去年、向日葵が浴衣を着たいと言った事を、覚えていてくれたらしい。志保の些細な気配りはいつだって嬉しくて、今回はタイミング悪く仕事で彼女がいない事がとても残念だった。

「携帯とデジカメで写真を撮るわね、向日葵さん」

「ん?」

「きっと栄養剤代わりになるわ。はい、じっとして……」

 まず白い携帯を構えた美奈子は細かく左右に動き、ボタンを押した。ぴこりん、というかわいらしい音と共に、向日葵の姿は携帯の画面に映し出される。次はデジカメだ。近くのテーブルにおいてあった古い機種のそれを構え、ぴぴ、と小さな音と共にフラッシュがたかれる。

 とりあえず撮影は終わったらしい。楽しげに携帯を操作する美奈子。おそらくさっき撮影したものをメールに添付し、仕事で四苦八苦している志保に送りつけるつもりなのだろう。

 しかし志保は浴衣姿の向日葵を見たがっていた。それを知る側からすると美奈子の好意は栄養剤というより、ある種の嫌がらせのように感じられた。……まさか、という想像が浮かぶ。


「さてと、達也達の方はどうかしら」

 ぱちんと携帯を閉じた美奈子は、聖母のような微笑を浮かべた。脳裏に浮かんだくらい想像を見透かすようなまなざしを向けられて、向日葵はびくっと身体を震わせる。

 美奈子に超能力の類があるなんて思わないが、彼女にはそれに匹敵するだけの感覚は備えていそうだった。本能的に嘘を見抜く勘というべきか、極限まで鍛えられた洞察力というか。

 そういうのが、美奈子は普通の人より優れているような気がしている。他人に弱みや本心をあまり見せない秋乃でさえ、美奈子にかかれば何の抵抗もできない様子だった。

「リビングに行きましょうか。ここで待っていても意味は無いし」

「そやね。それならウチ、先に行ってリビングにおるけん。棗達が早く来るかもしれんし」

「気をつけてね。走って転んだら大変よ?」

 わかっとるもん、と向日葵はすねるように答えて、美奈子の部屋を出た。着替えるだけなら向日葵の部屋でもよかったのだが、髪の毛のセットのために鏡台があるこの部屋にいたのだ。


 はだしでペタペタと廊下を走っていく。髪飾りに付いた小さな鈴が、足音にあわせてチリチリとかすかに鳴った。一階に降りてリビングに入ると、ソファーに座っている秋乃がいた。

 その手にはいつものように本――今日は文庫本があり、向日葵がそばによっても気が付かないくらい集中していた。真剣な横顔。読んでいるのは――どうも推理モノのようだった。

 もしかしたら主人公を出し抜こうと、読みながら推理をしているのかもしれない。秋乃ならそれくらいの芸当はできそうだ。圧倒的なの読書量、向日葵の一年分が彼の一日だろう。

「……ん、ああ、ごめんね」

 ふいに顔をあげた秋乃と視線が交わる。そんな長時間見ていたわけではないが、秋乃からそう見えるかもしれない。などと考えると急に恥ずかしくなり、向日葵はあわあわとあせった。

「二人はまだ来ないようだね」

 しおりを挟みながら、秋乃は呟く。浴衣姿でのその仕草は、普段とは違った魅力があると向日葵は思った。色白だが細身で長身の秋乃には、意外と和服系が似合うのかもしれない。


 秋乃が着ているのは藍色の浴衣。縦に入った白いぼやけたラインは、向日葵との同じく絞り染めで作ったもの――だと向日葵は思う。機械的ではないぼかし具合は、おそらくそうだ。


 二人して浴衣を着ているのは、近所の祭りに出るためだ。去年までは特に興味が無かったので出なかったが、今年は『あの二人』に誘われた。もちろん、棗と百合の二人だった。百合の場合は祭りを楽しむと言うより、祭りさえも勝負の手段にしてしまえという感じだったが。

 ……となると、普通の祭りで終わるはずがない。

 想像すると少し憂鬱だった。できるなら、仮病でも何でもいいからサボりたい。しかしせっかく買ってもらった浴衣を着ないのもイヤだし、ウソで心配をかけるのはもっとイヤで。

 そんな微妙にイイコな自分が、イヤに思えたり心地よかったり。

 心中複雑になりつつも、向日葵はちらりと外を見た。

 すでに辺りはうっすらと暗く、遠くからはかすかに太鼓の音も聞こえてくる。この少し時期外れの夏祭りを地域住民は楽しみにしていると、着付けの最中に美奈子が笑って言っていた。

 この辺の夏祭りは時期が遅く、毎年月末に行われているという。土着的な事情があるらしいという話だが、向日葵はそういう由来などには興味が無かったので詳しい事は知らない。

 祭りは由来より何より、楽しければいい。

 小難しい事は後回しにするのが一番だ。どうせ考えたってわからないのだから。

 と、そこへガタガタバタバタと物音がする。誰かが――おそらく達也が応対に出る声が聞こえてしばらくすると、リビングへ向日葵と秋乃の待ち人二人がやっとお出ましになった。


「悪い、遅くなった」


 といい、軽く手を上げながらやってくる棗。何となく彼は普段着で来そうだ、と思っていた向日葵だったが、その予想に反して棗も深緑色の浴衣を着ていた。秋乃の浴衣のようにはっきりとしたラインではなく、うっすらと濃淡をつけた緩やかに波打つ模様になっている。

 手には空が描かれたうちわがあって、今日も暑いな、と呟きながらぱたぱた仰いでいた。

 一方、少し遅れて部屋に入ってきた百合は、白地に花をプリントした浴衣。このメンバーの中では一番ハデで、確かに目立っているのだが……逆に浮いているという気がしなくもない。

 向日葵が髪を軽く結ったのに対し、百合は造花の大きな髪飾りをででんとあしらった目立つ髪形にしてある。誰に結ってもらったか定かではないが、手間とヒマがかかってそうだった。

「それで、もう行くのか? 夕飯はどうする?」

「そやね……向こうでなんか食べようってウチは思うんやけど」

「焼きそばの屋台はあるんじゃない? 私はそれでいいわよ」

「たこ焼きもあるんかなぁ。うぅ、はよぅ行かんと!」

「そんなに焦らなくても売り切れねぇよ。……つっても、そろそろ行かないとな」

 あわあわと焦る向日葵を抑えつつ、午後五時半を示す時計を見ている棗。祭りも始まりを迎えた頃で、これから徐々に人が増えていくころあいだ。早く行かないと食事の前に目的地に向かって歩く事さえままならないような、恐ろしいとしかいえない人波に巻き込まれてしまう。


 さっと行って、パっと買って。

 食べる場所はそれから探してもいいくらいだ。


 田舎とはいえ、祭りの日は『どこからこんなに』と思うほど人が集まる。

「ほら、さっさと行くぞ」

「おー」

「ちょっと! 棗にベタベタしないでよ!」

 三人が盛り上がる傍らで、見守る保護者のように沈黙する秋乃。どこか呆れているような苦笑を浮かべていた。傍目にははしゃぐ子供に呆れる大人だが、その心の内はわからない。

 見送るためだけに顔を出した達也に見送られ、四人は露店と人で賑わう神社の境内へ向かいだす。空はうっすら暗くなり、月が朧な光を放って空の低い場所にゆらりと浮いていた。

 道路沿いにはちょうちんがつられ、浴衣姿で歩く人の姿が見える。からんからん、と奏でられる下駄の音。向日葵は道路から施設への道が整っている事を、心の底から感謝していた。

 もしも道が整っていなければ、下駄どころかスニーカーでも危ない。せっかくの浴衣なのにスニーカーというのは、風情とか雰囲気とかが粉砕されてしまう。それなら普段着がマシだ。


「射的とかは無いのねぇ……つまんない」


 境内にやってきた百合は、腰に手を当てて呟いた。出ている露店は子供向けの玩具を売っているありがちなものから、クレープやたこ焼きなどの飲食関係。もちろんカキ氷もあった。

 百合は射的などのゲームで勝負の決着をつけたかったのか、舌打ちして悔しがる。

「……俺はむしろ、無い事に心の底から安堵してるんだがな」

「昨日の大騒ぎの再来は、さすがに僕も遠慮したいね」

「それじゃ、どうやって決着つければいいのよ! また寝込み襲うわよ!」

「宣言するな……」

「んー、たこ焼きがおいひぃ……あれ、みんなは食べんの?」

 深くため息を零す棗の前に、熱々のたこ焼きを買ってきた向日葵が立つ。騒動の当事者の一人でありながら、彼女はまるで自覚が無かった。そもそも、百合が祭りを勝負の場と考えていた事さえわかっていない様子。その能天気っぷりに、さすがの百合も呆れ顔だった。

 しらーっとした目で自分を見る三人に、向日葵は首をかしげる。

「どないしたん?」

「食べながら歩くなというのはムリだろうが、せめてしゃべるな」

「せやかてー」

「あーもー、口の回り汚れてるわよ。アンタほんとに女の子なわけ?」

「むごむご」

「ったく……」

 ぶつぶつ文句を言いながら、ポケットティッシュを取り出した百合。かなり乱暴だったが向日葵のソースで汚れた口周りをガシガシと吹いていく。傍目には仲がいい親友同士に見える。

 いや、姉妹というべきか。二人とも身長が同じくらいで、それに加えて目元などの顔の作りも似ているので、他人が見ると血縁関係があると思うかもしれない。

「まぁ、無いものは仕方が無いしね。そのぶん別のところで遊ばなきゃ――」

 先頭を歩く百合。その足がぴたりと止まった。視線の先には小さな白い子猫。数秒の後、向日葵と百合は目を輝かせて子猫に駆け寄る。子猫は人間に慣れているらしく、逃げなかった。

「猫だー。にゃーにゃー」

「ちっちゃくて、もふもふでかぁいい」

「ノラみたいだな。おい、あのバカでかい屋敷で飼えないのか?」

「ムリやと思う。喘息とかでくる子もおるけん……あう、でもかぁいい」

「やっぱ猫はかわいいわ。犬がいなきゃつれて帰るのにー」

「そういうのは感心しないね」

 盛り上がる三人の後方にいた秋乃が、少し低い声で呟く。

「面白半分で手元に置くのはやめた方がいい」

「……そりゃ、そうだけど」

「無責任に世話をして、愛という名の虚言を吐いて、騙す行為は醜悪だよ」

 くす、と笑う秋乃の目は少しの光も宿さない。向日葵にしか見えない、狂気。いや、見えないように彼が無意識に、あるいは意識して隠しているのだ。それくらい秋乃は……壊れた。

 百合は、仕方ないかと小さく呟いて、子猫にそっと手を振った。

 そして名残惜しそうに何度か振り返りつつ、四人は神社の奥へ向かった。


   ■  □  ■


 時間はあっという間に過ぎて、四人は笑いあいながら帰路に着いた。

 山に入る手前で棗達と別れ、向日葵と秋乃は施設に入る。リビングからは志保の笑い声が聞こえてきた。きっとバラエティ番組を見て、おなかを抱えて笑っているのだろう。

「秋乃くんはお風呂行ったら、もう寝るん?」

「さぁ……少し読書しようかなって思ってるけどね」

 困ったね、と曖昧に笑う秋乃。祭り会場で四人ではしゃいでいた時より、彼が浮かべているそれはずっと『笑み』といえるものだった。本来の笑顔とはいえないのは同じだが……。

 結局、笑顔を浮かべていても、彼は楽しくなかったのだろう。棗や百合の前では、向日葵より楽しんでいる様子を見せながら、彼は少しも満足はしていなかったし、楽しくも無かった。

 いつから、と考える事は虚しいだけだった。

 誰も知らないうちに消えて行った、彼の本当の笑顔。

 物音を立てずにゆっくりと壊れていった、そして今も壊れていく秋乃。

 気づいていても、わかっていても……何もできなかった、しなかった向日葵は。


「今日は楽しかったけん、寝れんかもしれんねぇ」


 ただ、気づかないフリをする。

 わずかな歪みさえ、この世界を破壊しかねないから。

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