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向日葵の追憶  作者: 若桜モドキ
二章・恋愛模様は誰も知らない
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八月二十一日 恋敵宣言

 少しだけ緊張する。物心付かない頃からずっとここに住んでいたが、こうして関係者以外を招くのは初めてだった。来てくれるのか、という以前に、招いてもよかったのか不安になる。

 部外者自体はよく来ていた。例えば秋乃が通っている学校の担任教諭。

 夏休みや冬休みが終わる一週間ほど前に、体調の具合を尋ねに来るのだ。彼が通っている学校は中高一貫になっていて、担任は入学した時期からずっと同じ人物。四十代の男性だ。

 達也曰く、いまどき珍しいマジメな先生、らしい。先生という存在自体と触れ合わない向日葵にはわからないが、男性教諭が『いいヒト』なのは見ていてよくわかる。

「向日葵、そんなにそわそわしてどうしたの?」

「友達を呼んだんよ。もうすぐ来るんやけど」

「へぇ……」

 自分で淹れた紅茶を飲みながら、秋乃が微笑む。体調が悪くなるらしく、彼はよほど暑くない限り冷たいものを摂取しない。今も息を吹きかけつつ飲むような、熱い紅茶を飲んでいる。

 一方、向日葵は暑い時にはキンと冷えた飲み物を好んだ。今も彼女が座っているソファーの前のガラステーブルには、氷がいくつも浮いた麦茶入りのコップが置かれていた。

 用意してから結構な時間が経っていて、コップの周囲は水浸しだ。

 視線を外に彷徨わせるばかりで気付いていなかった向日葵は、飲もうと手にとってようやくテーブルの惨事を知る。慌ててティッシュで拭き取り、落ち着かせるように一口飲んだ。

 それから。


「はふぅ……うぅ、棗、どこで何をしてんやろ」


 ぽつりと呟く。ため息交じりのその声は、普段の彼女には似つかわしくない。最初は珍しいものを見るような目だった秋乃だが、だんだんと落ち込んでいく向日葵が心配になってくる。

「まぁ、そんなに心配する事はないだろうね」

「秋乃くん」

「向日葵が気に入ったなら、約束をすっぽかすような人ではないのだろうし。町からここは結構離れているんだよ。車でもちょっと時間がかかるし、徒歩ならもっとかかるだろうね」

「そうやろか……」

「そうだよ。ま、少し待っていれば大丈夫なんじゃないかな」

 秋乃は笑い、部屋にいるからと告げて去っていく。おそらく日課の読書だろう。何度か入った事がある秋乃の部屋には、わざわざ実家から宅配してまで大量の本が持ち込まれている。


 とはいえ、半分近くが向日葵には理解できない難解なもので、何冊かは英語などで書かれた小説も含まれている。厚みも辞書のようで、『読んでみる?』といわれたが丁重に断った。

 向日葵からするとあれはもはや書物ではない。武器だ。鈍器だ。殺人行為にも耐えられる強度と威力を備えているに違いない。しかも燃やせば証拠が残らない優れものだ。まぁ、専門家が調べたらすぐにばれてしまいそうな、素人から見てもとても陳腐なトリックだとは思うが。

 そんな空想も長くは持たない。妄想癖は少し危ないとは思うけれど、暇つぶし程度の空想も巡らせられないのは少しショックだった。読書という趣味も無い向日葵は、耐えるしかない。

「ふわぁ……」

 ソファに寝転がりながら、向日葵はあくびを漏らす。

 忍び寄ってくる睡魔は、意識を闇へ引きずり落とそうとしていた。このままでは棗が来る前に寝入ってしまう。招待したのに眠ってしまうなんて、そんなの恥ずかしい以前の問題だ。

 何とかして眠気を追い払わないと。しかし何も思いつかない。

 邪魔にならないようにキッチンに行って、達也の作業でも眺めていようか。あぁ、だけど棗を出迎えなければいけない。そんな葛藤をすればするほど、向日葵の意識は沈んでいった。


   ■  □  ■


 遠くから声が聞こえる。これは――美奈子の声、だろうか。

 誰かと話している感じがする。書類作成、とかで部屋に朝から引きこもっていた志保が出てきたのかもしれない。あるいは達也がこれからの献立について相談しているのかも。

 もし変更があるのなら、好きな料理が増えるといい、と向日葵はぼんやりと思った。基本的に何でも食べるが、一部の野菜はどうしても苦手だったりする。ピーマンやブロッコリーだ。

 隙なのは増えなくてもいいから、嫌いな野菜は減ってほしいな……と、さらに都合のいいワガママを思い浮かべる。達也や美奈子達に聞かれたら『それはダメ』と怒られそうだ。

 それにしても何の話をしているのだろう。

 話し合っているというより、談笑という感じがする。

 誰かお客さんでも着ているのだろうか。

 お客。


「……!」


 その単語で意識は急速に覚醒していく。そうだ、棗を待っていたんだ。なのにこんなところで眠っているわけにはいかない。意識の覚醒に身体がついてこない事が腹立たしかった。

 だんだんと聴覚がはっきりする。

 声は二種類。女性と少年。どちらも聞いた覚えがある。

 どうしようどうしよう。

 頭の中がパニックになっていくのが、パニックになっているのによくわかった。

「――で、それから」

「そうなんですか。それじゃ――」

 身体はまだ動かない。誰と誰が話しているのだろう。

 口調からして秋乃ではなさそうだ。ある意味で最悪の光景が、脳内に広がる。いっそ目覚めなければよかったのにと、向日葵は急速に浮上を開始した意識をうらんだ。

 かすかに身体が動く感覚。ゆっくりと、向日葵は身体をよじる。

「……あ、起きたみたい」

 くす、と笑う声は美奈子だった。

 目を開けると、微笑む彼女の顔が見える。

「おはよう、向日葵さん」

「おふぁ……」

 うまく声を出せないまま返事する。視線は彼女の周囲を彷徨い、次第に彼女が談笑していた誰かへと向けられて――そのまま固定された。最悪の光景が、向日葵の前に広がっている。


 そう、そこには棗がいた。

 少しだけ呆れたような顔をして。


 そして向日葵の混乱はピークを超えていった。

「あわわわわわわ」

「向日葵さん、落ち着いて」

「あわわわわわわ」

「……よぅ」

「ななな、棗がががが」

 手足をばたつかせながら身体を起こす。ソファに横たわって眠っていたらしい。おなかの上にかけられたタオルケットを、身体と顔を隠すように広げる。そして、その奥に隠れた。まったく意味が無い行動だと思うが、こうでもしないと今すぐこの場から逃げてしまう。

 恥ずかしい、なんて言葉じゃ追いつかない。

 ちゃんと待ってるつもりだったのに完全に眠って、しかもそれを今まで見られていただなんて恥としか言えない。顔から火が出るなんて、そんなレベルはとっくに追い越した。


 いっそ消えてしまいたい。

 この場どころか、この世から。


 さようなら十数年ではじめての友達。これまでに友達と呼べる存在が一人もいなかったわけではないが、施設関係以外でできた友達は棗が初めてだった。それが今、遠くへと……。

「あうぅ……」

「向日葵さん、とりあえず水分とらないと……はい、麦茶」

「み、美奈子さぁん……う、ウチはもう」

 震える手で向日葵はコップを掴む。それを呆れ気味に棗が見ている。どうしよう、という言葉だけが向日葵の中で、絶望と言う二文字が奏でる音色にあわせてぐるぐると踊り巡った。

「あー、気にするな」

 今にも死にそうな顔をしている向日葵が、少し心配になったのだろう。立ち上がって近寄ってきて、向日葵の頭をぽんぽんとあやすように撫でる。完璧子ども扱いだが、嬉しかった。

 ぐしぐしと顔をタオルケットで拭って、麦茶を一気に飲み干す。

 寝起きでグチャグチャの脳内が、ゆっくりと冷めていった。別の意味で恥ずかしさがこみ上げてくるが、さすがに同じような失態は見せられない。必死に自分の中で押し殺した。


「えっと、その……ようこそ」

「あ、あぁ」

 互いにペコペコと頭を下げあう。かなり奇妙で、笑える光景だった。実際に見ていた美奈子は肩を小さく震わせている。いっそ大声で笑ってくれれば、と向日葵はむぅ、とうなった。

「とりあえず中を案内してあげたら?」

「そ、そやね……うん。棗、ウチについてきて!」

「あぁ……って待て待て走るな」

 ばばっと立ち上がって走り出す向日葵を、慌てて追いかける棗。一度、頂点まで混乱した頭はすぐに元には戻らないらしい。リビングを飛び出した向日葵はすーはーと深呼吸する。これで少しは落ち着けばいい。さすがに今のテンションのままでは、嫌われるというか引かれる。

「えっとね、二階はウチの部屋とかがあるけん、案内できんのやけど、一階とか庭なら案内できると思うよ。一階にはリビングとキッチンと食堂とかがあって、ウッドデッキもあるん」

「あぁ、それは見えた。新しいヤツみたいだったな」

「昔からあったらしいんやけど、木で作られとるけん、ボロボロになって直したんやって。近くに大きな木があるけん、お昼寝するのにちょうどええ場所なんよ。ウチのお気に入りなん」

 外に出ながら説明を続ける。とはいえ、施設に関する事は向日葵よりも美奈子や志保の方がずっと詳しいだろう。向日葵が知っている事など、事実の半分にも満たないに違いない。


「ここってさぁ」

 ウッドデッキに腰掛けて、棗はつぶやく。


「元は貴族か金持ちの持ち物だろ? そのわりには意外と落ち着いた内装だったな。大昔の貴族や金持ちの持ち物だったって聞いたからさ、もっと豪華絢爛っていうか。近寄ってみればいかにも屋敷って感じの外観だったし、中はドがつくくらいハデなの想像してたんだけど」

 そうでもないよな、と笑う。

 確かに外観はかなりハデだと思う。内装はかなり手を加えたらしいのだが、外観は文化的なものが云々という事で、修復のみでそのまま残したらしい。確かにハデではあるが、どこか美術的な雰囲気も感じる外観。向日葵はこのちょっと派手な建物が、意外と好きだった。

「……ってな事で、内装は『癒し』とか『ぬくもり』とかを求めた結果、あんな感じになったんやって。ウチは写真で見ただけやけど、元々は棗の想像通りにハデやったみたい」

「ふぅん……まぁ、貴族や金持ちの家だからな」

「せやけどいろいろあって元の持ち主は没落して、それから家具とか、とにかくお金になるものは全部持っていかれたんやって。せやけど屋敷は、ほら……ここって田舎やから」

「だな。住居にするには不便すぎるし。夏は暑いし冬は雪が積もる。別荘にするほど気候が穏やかってわけでも無いからな。……だったら静養施設にするのもどうなんだって話だけど」

「まぁ、それは確かにそうやね。せやけど空気はきれいやって、都会から来とる秋乃くんは言うとるし、そういうのを最優先したんと違うかなぁって、ウチは勝手に思っとるんやけど」

「自然だけがウリだからな、ここ」

 大きく伸びをして、棗はそのまま後ろに倒れた。向日葵も同じようにぱたんと寝転がる。さやさやと聞こえる木の葉がすれる音。自然の音しか存在しない、とても静かで癒される――。


「みーつけたーっ」


 はずが、突然聞こえた少女の声ですべての雰囲気は叩き壊された。向日葵と棗ははじかれるように身体を起こす。そして森に続く小道の方から、一人の少女が駆けてくるのを見た。

「なーつめーっ」

 彼女は大きく手を振って二人――というより棗に向かって走る。その顔にはこの上なく幸福そうな笑みが浮かんでいて、向日葵は彼女の周りに桃色のオーラとハートが見えた気がした。

 げ、と小さく聞こえたのは棗の声だ。その顔は引きつっている。

「棗……もしかして、あの子?」

 何の事を言いたいのか、きっと棗には伝わるだろう。そもそも二人が出会う原因となったストーカー、いや棗に恋焦がれている少女。名前も姿も声も知らないが、きっと彼女がそうだ。


 肩につく程度の黒髪、ストレート。彼女も向日葵と同じくワンピースだが、髪の長さのせいかずっと活発そうに見える。しかし向日葵の視線は別の場所――明らかに自分より一回りほど大きい胸に釘付けだった。一瞬自分の胸を見て、うらやましい、と心の奥底で呟く。


 棗は歪んだ顔のままため息をつくと、嬉しそうに自分の前で足を止めた少女を、キっと睨みつけた。心の底から『あっちへ行け』と言っている、そんな表情だった。

「何しに来たんだよ、百合。お前に用は無いって言ってるだろ。俺を追い回すな」

「ひっどーい。わたしは棗が心配で探してただけなのに! だってここだーれも住んでないって噂のお化け屋敷じゃない! 大量殺人があったとか、飛び降りがあったとか聞いたし!」

「……現在進行形で住んでるヤツの前でそういう事を言うな」

「ど、どうも。ウチは夏草向日葵と」

「あんたが棗を誑かした女狐ね。ふん、ぺったんこじゃない」

 ぴしり、とひびが入る音がした。挨拶用に浮かべていた笑みが引きつる。そんな事はどうでもいいと言わんばかりに、百合と呼ばれた少女は棗の腕をグイグイ引っ張って彼を立たせた。

 抵抗に意味は無いのだろう。棗はしかめっ面のまま、それでも素直に立ち上がる。

「ほら、おじさんやおばさんが呼んでるんだから、帰ろっ」

「離せって言ってるだろ。あーもうっ」

 手を引かれながら棗は振り返る。

「じゃあなっ。今日は楽しかったぞ!」

「えーあー、うん、ウチも楽しかったけん、また――」

 しかし向日葵の返答は届かなかった。あっという間に二人の姿は遠くなる。

 帰路に着く二人、というか百合に連れ去られていく棗。それを黙って見送っていた向日葵の脳内では、さっき百合から言われた『女狐』という言葉がグルグルと回っていた。


「――ウチ、売られたケンカは絶対に買うんよ」


 ぐっと握ったこぶしを構え、向日葵は夕暮れの空を見上げた。

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