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向日葵の追憶  作者: 若桜モドキ
一章・最悪で最高の出逢い
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八月二十日  小さく指きり

 向日葵が彼と『再会』したのは、数日前に『遭遇』した場所の近く。正確には近隣住民が日用雑貨を買い求める、小さな小さな古い雑貨店の中だった。

 ここには駄菓子を初めとした、安くお手ごろな甘味物が揃っている。だから近隣の子供は学校からの帰りに、ここでお菓子を買ったり自販機でジュースを買ったりしていた。

 向日葵は日課である放浪――ではなく。

 ちょっとした散歩の帰りに、この店に寄ったのだが。


「あ!」

「ん?」


 自販機で炭酸ジュースを買おうとする、彼と出会ってしまったのだった。

 全体的に長めの黒髪。幼さが残っているのに鋭い瞳。

「お前、森の中の……」

「あ、あの時の最低男やないのっ」

 そこにいたのは、あの日、森の中でぶつかった少年だった。

 互いに、相手が森の中でぶつかって言い争った人物だと気付く。少年は手にジュースの缶を持ったまま、心底嫌そうな表情になった。向日葵も似たような、とても嫌そうな表情になる。

「誰が最低だ、誰が」

「ウチを押し倒して放置したんやから最低や! あーゆー時は『大丈夫ですか』と、手を差し伸べて助けるんが男の仕事。……ふっ、それができへんのは、まだまだガキっちゅー事やね」

「……っ」

「悔しいんなら、過去の自分を罵るんやね」

 ふふーん、と腕を組んでにやにやと笑う。

 相手の頬がぴく、と引きつるのが向日葵には手に取るようにわかった。向日葵自身は大人ぶりたいわけではないが、子ども扱いには腹が立つ。それは少年ならなおの事、と思ったのだ。

 案の定、同世代の少女からガキ呼ばわりされた彼は、相当に怒っている様子だ。


 一矢報いたり、と向日葵は彼の隣をすり抜け、雑貨屋へと入っていく。コレがほしい、という目的のようなものは特にない。何でもいいから百円で買えるだけ買おう、と思ってきた。

 どうせ甘い物を食べるのは向日葵一人だけ。

 百円で買える量などたかが知れているし、一人で食べきる事ができるだろう。

 しばらく狭い店内をうろつき、向日葵は結局飴玉を選ぶ。本当は袋に入ったハッカ飴がほしかったが、売り切れたのかどこにもなかった。仕方なくレモン味の飴を手にレジへ向かう。

 おそらく向日葵一人では食べきれないだろう。まぁ、その時は施設にいるみんなと分け合ったりして、ちゃんと最後まで美味しく食べきらなければ。捨てるなんてもったいない。


「おや、またきたんだねお嬢さん」

 すっかり馴染みになった店主が笑う。

 週に一度は散歩の帰りに立ち寄るので、顔を覚えてもらったのだ。

 今年で七十五歳になったという店主の老婆は、代金を受け取りお釣りを渡しながら。

「そういえばお嬢さんは山の中のお屋敷にいるんだったね」

「うん」

「って事は、お嬢さんも病気なのかい? あそこはそういう場所だろう?」

「えっと……ウチは、その」

「学校にも行けないんだってね。大変だねぇ」

 よしよし、と頭を撫でてくる店主。

 向日葵は気まずくなったが、その撫でてくれる手が嬉しくてじっとしている。

 彼女が暮らすあの建物は一応、秋乃のような病気を患う人の静養施設だ。元々は貴族や金持ちの別荘だったらしく、内装は基本的に豪華で近隣では『屋敷』とも呼ばれているらしい。

 今まで静養にきた人のほとんどが、秋乃のように長期休暇限定。しかし向日葵はある事情から学校にも行かず、ずっと施設で暮らしている。いつもいる彼女の姿は相当に目立っていた。

 とはいえ、向日葵にはあの施設にいなければならない事情がある。学校には通えないが、簡単な勉強なら本を読んで、あるいは美奈子や達也に教えてもらえば事足りた。


「そういえば、お嬢さんは棗くんの知り合いかい?」


 店を出る直前、店主は向日葵を呼び止める。

「棗?」

「さっき表でジュースを買った子だよ。この辺じゃ子供の数は少なくなる一方でね、あの子と同い年の子は一人しかいないんだ。その子は女の子だからね、寂しいだろうねぇ……」

「……」

「仲良くしてあげてね。子供たちの笑い声は、幸せな音楽だから」

 そういって笑う店主は、どこか懐かしい過去を見ている目をしていた。


   ■  □  ■


 レモン飴もなかなかいける。早速買ったばかりの袋をあけ、そんなに大きくはない飴玉を一つ口の中で転がした。舗装からかなりの年数が経ち、ひび割れて白っぽくなった道路を進む。

 セミの鳴き声がぐわんぐわんと、四方八方から響き渡る。秋がくれば、これもいずれ終わるのだろう。毎年の事とはいえ、そう思うと寂しくなる。時間の流れを残酷なほど感じた。

 あと何度、この感覚を味わう事ができるのか。

 未来を知らない向日葵には、それを予感する事など出来はしない。たとえ予知する能力を与えられるチャンスが来たとしても、向日葵がそれを欲しいと思う事はないだろう。

 知ったところで『上書き』できないなら意味は無い。

 むしろ、何がどうなってしまうのかわかっているだけ苦しくなる。

 知らないでいれば、どんな悲劇も『運命だった』と、ある種の諦めが付いた。

 知っていれば、どうして『変える事ができなかった』と後悔の海に沈む。

 向日葵はこう言うだろう。


 ――死にたくなるような後悔を味わうなら、知らない方がえぇ。知らないなら、知らないなりに諦めがつくけん。諦められるって事は傷が浅い事。傷なんて浅い方がえぇから。


 普段、満面の笑顔を絶やす事が無い彼女にも、それなりに傷が付いていた。彼女だって十四歳まで生きてきたのだ、その存在に傷が一つも無いなんて事は決してありえない。

 世の中は棘だらけ。棘を避けて通る事はできない。しかし足元はベルトコンベアー。傷つく事などお構い無しに自動的に前に進まされる。それが、ヒトという種が過ごす『一生』。

 終わらせるには道の果てへ辿り着くか、自分から道を外れるか。

 すなわち緩やかに死を待つか、その前に自ら消えるか。

「……」

 うっすらと心に走る傷を眺め、向日葵はいつも考えていた。自分から消えるという行為にどれだけの救いが存在しているのだろうかと。いつか、自分もその道を選ぶ日が来るのかと。

 消えたい、と思った事はこれまでにたくさんあった。


 何も聞きたくない。

 見たくない。

 感じたくない。

 ただの人形になりたい。


 そう思って、それを願うほど哀しい出来事はいくつか在った。だけど向日葵は、道から飛び降りようとはしなかった。勇気が無かっただけなのか、違う理由があるのかはわからない。

 だけど今、向日葵は自分の道を進んでいる。時に自主的に、時に強制されて。

 いつ途切れるとも知れぬ道の上を――。

「あ……」

 現実の、途切れない道の向こうに人影があった。とぼとぼ、という文字がよく似合う疲れ果てた姿には見覚えがある。相手も向日葵の姿に気付き、二人は向かい合う形で足を止めた。

「……」

「……」

 向かい合って、無言になる。

 別に視線など合わせず足など止めず、すれちがえばいいのに。

「えっと……」

 躊躇いがちに向日葵が口を開いた。

「きみ、棗っていうん?」

「は?」

「名前。店のおばちゃんが言うとったけん。棗くんって」

「……だったら何だ」

「友達おらんの?」

「いきなりだな」

「店のおばちゃんが同い年の子が一人しかおらんから、仲良くしてあげてねって」

 だから話しかけた、と続く言葉を、棗の表情の変化がそれを止める。

 棗ははぁ、と深いため息を零した。

「あれは友達じゃない。俺の天敵。一番嫌いなヤツ」

「……?」

 向日葵はきょとんとする。


 確か聞いた話では、この近隣で彼と同い年なのは『女の子』だったはすだ。普通、女の子相手にそんな言い方するだろうか。苦手というのは、何となく理解できる感覚だったが。それとも普段、接している年が近い異性が温厚な秋乃だから、感覚が他とズレているのだろうか。


「俺の事狙ってるんだよ。寮に入ってまで、ずっと遠くの学校に入ったのに、あの女、わざわざ追いかけてきやがったんだ。向こうではアイドルぶってる反動なのか、地元に戻るとロクな事やらねぇからマジで困ってるんだよ。お前とぶつかった時も、アイツから逃げてたんだ」

「……それって『すとーかー』ってヤツやないの?」

「間違いなくそれの予備軍だろ。世の中って不公平だよな。加害者が女ってだけで、『好きな子を追いかけたい純粋な思いなのよ』で済まされるんだから。親も公認状態だし、最悪だ」

 はああ、とさらに深いため息を漏らす棗。よほど困っているらしい。向日葵も離れたくて遠くへ行ったのに追いかけられたら、ため息の一つや二つ零してしまいそうだと思った。

「前にお前とぶつかった時は、あいつに追い回されてたんだ。悪かったな」

「……」

 ぽかん、と向日葵は無言で棗を見つめた。思いも寄らない言葉に、脳内が混乱する。そうこうしているうちに、棗はじゃあなと言い残し、その場を去ろうとし始めてしまった。

 慌てて服を掴んだ。

 棗が振り返る。

 向日葵は混乱したままの頭をフル稼働し、彼との繋がりを求めた。


「う、ウチが友達になる!」

「は?」

「二人っきりやからいかんのよ。ウチと、ウチの知り合いと四人になれば大丈夫!」


 たぶん、と小さく付け足す。これも何かの縁だろうし、何より向日葵は棗が気に入った。最初は『女の子も助けない最低なヤツ』と思ったが、そうでもないと知ったから。

 最初は『何言ってんだこいつ』、という表情だった棗。しかしいつまでたっても拭くから手を離さない向日葵に、彼は諦めの表情を浮かべた。小さな声で、好きにしろ、と呟く。

 それを聞いた向日葵は満面の笑みで、わーい、とばんざいをした。

「というわけで、指きりするけん、手ぇ出して」

「何でだよ」

「ウチが棗の事忘れんように、おまじないするん」

「お前、記憶喪失になる病気にでもかかってるのか?」

「違うけど、でも棗の事を忘れん事にしたんよ。あんまり気にせんでえぇから。ただ、ウチが勝手に覚えとるってだけの話やけん。絶対に何があっても、棗の事を忘れんっていう……」

「ふぅん……まぁ、俺なんか覚えていても意味ないと思うけどな」

「そんな事ないんよ。ウチはね、どんな事でも忘れたくないん。それがすっごく小さな事だったとしても、ウチは存在だけでも覚えていたいんよ。内容を忘れても、何かがあった事だけでいいから記憶の中に刻んでおきたいん。それがいつかウチを支えてくれるって信じとるん」

「……よくわからないけど、まぁ、好きにすれば」

 ほら、と顔を背けつつ右手を伸ばしてくる棗。

「んじゃ、ゆーびきーりげーんまーん」

 向日葵は彼の小指に自分の小指を絡め、歌にあわせて上下に振る。


 ――忘れない。


 向日葵の中にまた一つ、大切な記憶が刻まれた。

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