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向日葵の追憶  作者: 若桜モドキ
夏の終わりに消えた少女 ~夢摘羽香奈の追憶~
18/20

八月三十日  あめ

 雷が鳴らない雨は久しぶりだった。もうじき夏が終わるという今日、外はむせ返るような雨のにおいと湿気に包まれて、程よく涼しく……そして静かだった。とても心地いい世界。

 ただ、これはにわか雨らしいから、もうじき晴れるという。向日葵はそのタイミングを今か今かと待ちわびて、窓の外をチラチラとうかがったり、部屋の中をうろうろしたり。

 その子供みたいな行動を見ながら、わたしは冷静を取り繕うのが大変だった。

 わたしだって、今日の『お出かけ』は楽しみだったから。

 今日はわたしと向日葵、そして調子がよくなった秋乃の三人で散歩する予定。お弁当を持っていかないピクニックみたいなもの。三人で話しながら、近くの森の中をゆっくり歩き回る。

 早くその時間が来ればいいのにと思いながら、わたしは窓の外に広がる空を見た。秋乃はわたしの近くで読書をしている。今日の体調は落ち着いていて、顔色も悪くない。


「……ん? どうしたの、羽香奈」


 じっと見ていたら目線があった。不意打ちを食らってしまったみたいで、顔が真っ赤になっていくのが嫌になるくらいよくわかる。慌てて『何でもないの』と答えたけど、恥ずかしい。

 わたしと向日葵は同い年だけど、秋乃は少しだけ年上。最初逢った時はわたしも向日葵もまだまだ子供で、秋乃は『とてもかっこいい年上のお兄さん』だった。憧れていた。

 ……いつから、こんな想いを持つようになったんだろう。

 考えるだけでぼーっとしてしまう。風邪をひいて、熱が出たみたいな感じ。安直な感想だとは思うけれど、実際そんな感じなんだから仕方が無かった。

 わたしは、秋乃が好き。最初、彼と逢った時、わたしはとても嬉しかった。彼も一緒に『終わりの向こう側』を見るんだと思って、好きと自覚してから違うと知って……悲しかった。

 彼は、『こちら側』で死んでしまうんだと、絶望した。

 そこからは、どんなに取り繕ってもダメだった。すぐに感情が顔に出て、元から周りの空気を読むのが上手だった秋乃に、わたしの心の内側なんて口に出した言葉よりもわかりやすい。

 向日葵には『言いたいんなら言えばえぇと思うよ』と言われた。信じるか信じないはともかくとして、それをわたしが言いたいのならば、悩む前に伝えた方がいいに違いない、と。

 だけど……わたしは言えなかった。元気になるために生きている彼に、『世界は近い将来に終わっちゃうんだよ』なんて内容、言えなかった。言ってはいけないと思って、沈黙した。

「もうそろそろ晴れるけん、はよぅ準備せなあかんね!」

 向日葵は大慌てで自分の部屋に向かった。……いつもより少し長いだけの散歩に、何を持って行くつもりなんだろう。お菓子とかジュース? あとでチェックしないといけないかも。

「今日も向日葵は元気だね」

 くすくす、と秋乃が笑っていた。

「だって、向日葵だもの。元気じゃなきゃ、ダメよ」

「まぁ、『ひまわり』だからね。夏は太陽を追いかけて、元気に咲き誇らなきゃ」

 読みかけの本にしおりを挟むと、秋乃はそれをテーブルに置いた。帰ってから読むのかもしれない。晴れていたら外で読書、というのもできただろうに……ちょっと残念そうだった。


 二人で並んで外を見る。少しずつ空が明るくなって、雨音が消えた。向日葵が愛用のカバンを手に部屋に戻ってくる頃には雨はやんで、三人は我先にと施設の外へ飛び出していく。

 わたしと向日葵はいい。事情があってこの施設にいるだけなのだから。だけど、秋乃の場合は体調がいい日と悪い日があって、それは極端なふり幅を見せる事がとても多かった。

 そして悪い時の方が圧倒的に多い。今日の調子はいいけど、一週間くらい前は起き上がる事もできないくらい弱りこんで、点滴だけで栄養を取っているという危ない状態だった。

 今は、わたしの隣でこうして笑っているけれど……本当は、怖い。

 また調子が悪くなってしまうのではないかって、本人以上にわたしが怖がっている。なるようにしかならないからね、と言っている秋乃自身に分けてあげたいくらいの恐怖。


「今日はどこまで行くの?」

 この暗い気分を振り払うように、わたしは明るい声で向日葵に話しかけた。

「もう夕方やけん、あんまり遠くには行けんね……うーん」

「それなら、施設の周りをぐるっと歩く? それなら遠出しなくても散歩になると思う」

「おー、それにしよー。羽香奈はどうするん?」

「わたしは散歩さえできればいいけど……うん、秋乃の提案でいいと思うよ。でもまた雨が降るかもしれないし、早めに帰ろうね。特に向日葵はわたしや秋乃から離れないように!」

「な、なんでウチだけ?」

「だって向日葵はすぐにふらっとどこかに行っちゃうんだもの」

「そ、そんなコトないはず……なんやけど、うぅ」

「ちゃんと大人しくついてくる?」

「……はぁい」

 しゅん、としょげた様子の向日葵。

 よし、これで向日葵の暴走は抑えられる。秋乃はまだ本調子と言うわけじゃないし、せっかくの気分転換なのにムリをさせてしまったら元も子もなくなる。

 秋乃はわたしの意図を知っているのか、肩を細かく震わせて笑っていた。とりあえず自分が笑われていると思ったらしく、向日葵がむぅ、と唸ってぷいっと顔を背けてしまった。

 今は必死に秋乃が機嫌を取っている。だんだんと向日葵の機嫌がよくなるのが、こうしてやや離れた場所にいながらもわかった。秋乃の口が上手なのか、向日葵が単純なのか……。


 常々、秋乃はホストに向いている性格だと思う。相手のクセや好みを見抜く能力が同世代と比べてかなり高いし、何より見た目だ。あの顔で優しくされて、メロっとしないわけが無い。

 まぁ、その能力を培った裏には彼なりの苦労はある。彼だって好きで病弱に生まれてきたわけでもないのだから。わたしだって……好きでこんな運命を背負ったわけじゃない。

 本当ならただの女の子でいたかった。学校では友達と普通にお喋りして、休みの日には買い物に行って、服やアクセサリーやメイク道具とかを探して……あと、少し恋の話とか。


 だけど……少し複雑な気分。

 だって、こんな運命を背負っていなかったら、わたしは秋乃や向日葵に会う事は絶対になかったはずだし、そう思うと『今』と『もしも』のどちらが幸せなのかわからなくなる。

 学校に通って、友達といろんな話で盛り上がりたかったと思うわたし。

 望まない運命を背負ったけど、変わりに秋乃や向日葵と出逢えたわたし。

 どちらが、わたしにとっての幸せ?

 ……わからない。

「羽香奈、どうしたん?」

 ぼーっとしていたからなのか、向日葵がわたしの顔を覗きこんでいた。いきなりどアップになった向日葵に驚きつつ、わたしは何故かそのパーツを細かく分析してしまう。

 わたしと違って外をよく歩くワリに、まだまだ白い肌。長いまつげとか、本人曰く出るところが出ていないからイヤというけど、無駄な部分がまったく無さそうなすらっとした身体。

 健康的、という言葉がよく似合うのが向日葵のいいところ。

 わたしみたいに病人扱いされるよりずっといい。本物の病人の秋乃と一緒にいて、何故かわたその方ばかり心配されるのはちょっと……ううん、かなりイヤ。

 そんなに体調が悪い顔色なのかしら。まぁ、でも出歩く時の秋乃は調子がいい時だから、それに彼と比べたらわたしの方がずっと色白だし……見えなくもないのかもしれない。


「……羽香奈」

「え?」


 てくてく、と歩いていると、秋乃に話しかけられた。もしかして考えている事が顔に出てしまったのだろうか。たぶん難しそうな表情をしていただろうし、心配されてしまった?

「まずいよ、空が暗くなってきた」

「これじゃにわか雨っていうより、にわか晴れって感じやねー」

 にはは、と笑う向日葵を殴りたくなってしまった。秋乃の前だし、それはただのやつあたりだってわかっているから我慢するけど、何故か一瞬ほど向日葵を殴りたい衝動に襲われた。

 こんなに暴力的な部分が自分にあったなんて、ちょっと驚きだ。自分で言うのはどうかと思うけれど、夢摘羽香奈という少女は『暴力』なんてものとは縁遠いつもりでいたから。

 もしかして本人が思った以上に、意外と暴力的なところがあったのかもしれない。

 と、その辺の自己追及は後回しで……今はどうするかを考えないと。わたしと向日葵はダッシュすればいいけど、常時病み上がりの秋乃にそんな激しい運動はさせられない。

 にわか雨である事を祈り、どこかで休むべきかも。

「あー、降りだしたー。ヤバいー」

「ど、どうしよう……秋乃を置いていけないよ」

 顔を見合わせて混乱するわたしと向日葵。当事者である秋乃は落ち着いた様子で、細かい雨を零し始めた空を見上げている。その表情は、どこか心地よさそうに見えた。

「秋乃……?」

「あぁ、いや。こうして雨に当たるなんて事、無かったから」

 そういった秋乃は、まるで子供のように笑っていた。彼はわたしや向日葵より少し年上だったけれど、今は少し年下に見えるくらい無邪気な笑みを浮かべている。

 見ているだけでわたしまで、何だか幸せな心地になった。秋乃の幸せは自分に嬉しい事があった時以上に幸せで、彼が笑ってくれたらどんな哀しい事も気にならない。


 やっぱりわたしは秋乃が好きなんだ。


 たったそれだけなのに、認めるだけで心がほんのり温かい。

 だけど……心の底では自分で自分を罵った。

 本当の事を言えていないのに、好きとかいってて、バカみたい。

 いつか、言える日が来るのかな。わたしと向日葵だけが終わりの先を見て、秋乃は終わりの日に死んでしまうって事。それはけっして遠くない日の話だって。信じてくれるかな。

「これがぜーんぶ雪やったらえぇのにねー」

 落ち込んでいくわたしとは対照的に、向日葵は元気だった。無理しているように見えるのは気のせいなのかもしれない。……もしかして、この場を盛り上げようとしているのかな。

 だとすると、わたしにできる事は、ボケ担当の向日葵にツッコミを入れる事。

「何言ってるの。これが全部雪だったら、本当に施設に帰れなくなるわよ」

「せやけどー、雪ダルマとか作って、みんなで遊ぶのって楽しいけん! 今年は秋乃くんがずーっとダウンしてて、二人で寂しかったんやもん。せやから次の冬はみんなで遊ぶんよ!」


 両手を広げて回る向日葵。木にぶつかりそうでこっちはハラハラする。でも、一気に空気が明るくなって、わたしはそっと彼女に感謝していた。秋乃もさっきより楽しそうだし。

 そのまま、はしゃぎながら施設に向かう。結構濡れてしまったし、きっと三人揃ってお説教タイムなんだろうな。昔ならイヤだぁ、と思う事だったけど今はどうとでもなれと感じる。


「冬か……これはちゃんと体調管理をしろ、っていう励ましだね」

 頑張らないと、と秋乃は笑う。

「向日葵が喜ぶね。あぁ、でも今言うと収拾つかないから、後で伝えてあげてね」

「……いや、どっちかっていうと、羽香奈に喜んでほしいな。高熱で寝込んで、ずっと意識が朦朧としてる時に、何度もお見舞いに来てくれたんでしょ?」

「そ、それは……っ」

 ど、どうして秋乃が知ってるの?

 向日葵や職員の人達に、黙っててって口止めしたハズなのに。……あぁ、でもよく考えれば向日葵がこういう事を黙っているはず、無いわよね。空回りしがちなお節介焼きだから。

「嬉しかったよ。ありがとう」

「そんな、お礼を言われる事じゃないよ……だって、その」

 好きな人の心配をして、お見舞いに行くのは……当たり前じゃない。バカ。

 真っ赤になったわたしを、そっと抱き寄せてくれる秋乃。ほんのり温かくて、大好きな秋乃のにおいがする。しっかりと手を握り合いながら、わたしはこの願いを、さらに強く思う。


 ――約束。

 忘れないって、約束した。


 わたしのたった一つの希望で、願いだ。これさえ叶えてくれるのならば、一人でも生きて行けると自信を持って言える。このささやかな一つの願いだけが、弱いわたしを支えていた。

 わたしは向こう側に連れて行くんだ。

 わたしが、ちゃんと向こう側に連れて行ってあげる。

 この願いだけは捨てたくなかった。だから今もずっと抱えているの。

 だから秋乃、少しだけウソをつかせて。

 あと、少しだけウソを……。

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