八月二十九日 はれ
夢は、見たモノすべてを覚えている事。
あの人の事も、セカイの事も。すべて忘れない事。
どんな些細な事でもいい。自分が知りえるすべてを記憶していたい。
それが許されないなら、生きていても意味が無いと思うほど。
いつも、わたしは夢が叶う事を願っています。
嫌になるくらい暑い日々。
「あーづーいー」
屋根が付いたウッドデッキの上で、ごろりと横たわった少女がいた。
日焼けなど知らなさそうな白い肌に、ゴロゴロとデッキの上を転がっているのに汚れ一つ無い真っ白なワンピース。そして傍らには水玉模様のリボンが付いた麦藁帽子。
夏らしい格好の彼女の名前は、夏草向日葵。わたしの友人……いいえ、親友の女の子。
誕生日も八月の初めという、夏に愛されたような子で、でも冬生まれのわたしより夏の暑さに弱い子だった。本人曰く、夏に生まれてしまったからこそ暑さに弱い、との事。
「うぅー、なんで夏はこんなに暑いん? もうちょっと涼しくてもえぇのに」
向日葵は長い黒髪や服さえも日陰からはみ出ないよう、ネコのように丸まっている。本当は手足をばーんと伸ばしたいみたいだけど、そうすると影からはみ出てしまう。
だから暑いのを覚悟して、彼女はこうしてくるりと丸まっていた。
あともう少しで、太陽は山の向こうに沈むだろう。
それまでの辛抱だった。
……とはいえ、さすがにつらくなってきたのだろう。向日葵のみけんには皺がより、まるで悪夢にうなされているかのよう。同性でもかわいらしいと思う顔が台無しだ。
「向日葵、麦茶飲む?」
汗をかきつつ絶える彼女の姿に苦笑して、わたしはそのそばに向かった。そろそろ暑さにダウンするだろうと思い、ちゃんと二人分の麦茶を用意してある。
向日葵のそばの日陰にトレイを置き、コップの一つを彼女に渡した。
「うー。つめたーい。やっぱ夏はきーんと冷えたお茶がええねぇ」
キンとした冷たさが心地よかったのか、目を細めて微笑んだ向日葵はそのままぐびぐびと一気に飲み干した。どうもわたしが思った以上に、喉が乾いていたみたい。
コップについた水滴、そして口の端から零れたお茶が彼女の服の上に落ちた。向日葵はそれに気がつくも、今は喉の渇きを何とかする方が優先らしく、すぐに二杯目も飲み干す。
「ぷはー」
「もう、酔っ払いじゃないんだから」
「せやかて、暑いんやもん」
二杯目も一気に飲み干してしまった向日葵。確かに最近は特に暑い。毎日水をまかないと雑草さえもヘバってしまうような日差し。人間も植物も、この猛暑には困り果てていた。
まだ潤いが足りないのか、三杯目を注ぎ始めた向日葵の隣で、わたしも自分のコップに口をつける。喉がきゅっと絞まるような冷たさが、身体の中を流れていくのがわかった。
その三杯目を少し飲んで、向日葵は空を見上げた。
誘われるように見た空はすっきりと晴れ、日差しがジリジリと痛いくらいに強い。向日葵も私も屋内にいたくらい。だけど屋内は日陰だけど風通しが悪くて、じめっとして暑い。
結局、外の日陰が一番心地よくて涼しい、という事に落ち着いている。
「羽香奈ぁ、なんでここにはクーラーが無いん? ウチらはえぇけど、秋乃くんがそろそろ倒れそうなんやけど……ここって一応は、病気で疲れた身体を癒す場所なんよね?」
「えっと、確か秋乃の病室にはあったはずだけど、遊びに行く?」
「うー、秋乃くんの迷惑になりそうやけん、このままにするー」
残念そうに諦める向日葵。彼女は優しい女の子だ。今日も本当は秋乃の部屋に行って涼みたいだろうに、彼の体調が思わしくないからと我慢している。そんな彼女が、わたしは好き。
秋乃、というのは一緒に暮らしている少年。フルネームは紅秋乃。彼を産んですぐに亡くなったというお母さんと同じように病弱で、今はこの建物――静養施設で暮らしている。
普通の暮らしも、できないわけではないらしい。ただ発作が来てしまった場合、入院しないとひどくなってしまうという。なので夏休みや冬休みは、親から離れてここに来ていた。
でもわたしと向日葵は病気でこの施設にいるわけじゃない。特に向日葵は名前の印象そのままという感じで、わたしや秋乃に少し分けてほしいくらい元気だった。
――そもそもの始まりは、何十年も昔になる。
詳しい事は聞かされていないけれど、近い将来にこの世界は『終わってしまう』らしい。
その終わりが何なのか誰もわからない。どうして終わるのかも、その現象が『終わり』なのかさえわかっていない。天変地異という説が有力だが、未だはっきりした事は少なかった。
ただ確実にこの世界は、そこに住まう命を道連れに死に絶えようとしていた。
だけど、ニンゲンという生き物は『はいそうですか、わかりました』と突然の打ち切り宣告に黙って引き下がる、なんて大人しくてかわいげのある存在ではなかった。
わたし――夢摘羽香奈と夏草向日葵は、近い将来に必ず滅ぶこの世界の希望。世界に何百人か存在が確認されている、『終わりの先を生きるもの』。そう呼ばれる子供達の一人。
だからわたし達はこんな辺鄙な場所に、世間から隔離されて生きている。わたしは両親が関係者で会いに来てくれるけれど、向日葵は生まれてすぐに両親と引き離されているという。
本人もそれを知っているはずなのに、向日葵はいつだって明るくて。時々ホームシックになるわたしや秋乃を慰めてくれる。自分の運命を、しっかりと受け止めている……強い子だ。
一方、わたしは何かにつけて迷ってばかり。自分の運命とか、世界の事。ぐるぐる、ぐるぐると同じ場所を回っているだけで、前に進んでいないような気さえしてくるくらいだった。
思えば、わたしは当事者でありながら、詳しい事は何一つとして知らない。終わるといわれている世界の謎も、どうしてわたしが終わりの先を生きる存在として選ばれたのかさえ。
子供だから……教えてもらえなかったのだろうか。
当事者なのに。
そう思いながら、向日葵とわたしはいずれ来る『終わり』を待っていた。
■ □ ■
「……ねぇ、向日葵。そろそろ寝よっか」
夜中、向日葵の部屋にきたわたしは、ちょうど本を読んでいた向日葵に話し掛ける。
そのまま二人で一つのベッドに入って、背中合わせに寝る事になった。今は、手を握り合いながら向かい合っている。向日葵の手は温かくて、冷たいわたしの手をじわりと温めた。
「向日葵は死んでしまいたくなる事って、あるの?」
「死ぬ?」
「だって、みんな死んでしまうのに。いなくなるのに。わたし達はワケもわからないまま、見知った人々の大半がいなくなった世界を、何が何でも生きていかなきゃいけないの」
それはあまりにも『重い』未来。想像するだけで息苦しい。どんな未来になっているかもわからない世界を、孤独の中で生きていくなんて……わたしには耐えられない。
「大丈夫。羽香奈にはウチがおるけん」
「向日葵……」
「忘れんようにしよ。全部。秋乃くんの事も、お互いの事も」
「……うん」
布団の中で向かい合い、そっと手を握り合う。
向日葵は自分の夢が叶う事を、子供のような無邪気さで信じている。
だけどわたしは、もう――。




