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向日葵の追憶  作者: 若桜モドキ
四章・もう一度出逢うために
14/20

八月三十日  忘れないで

 向日葵と棗は、今日もどこかに出かけた。

 残された秋乃は一人、自分の部屋で本を読んでいる。あれから、向日葵と少しだけ、羽香奈について話をした。懐かしい話、彼女の死についての話。いろいろと、した。

 彼女から聞かされた話は、口止めを必要とするような内容で。

 にわかには信じがたいものではあったけど、何となく、それがすべての『理由』になるような気がした。二人がここにいることも、いたことも、彼女が自分を置いて逝った事も。

 全部、それが『理由』なのだと、そう定義したならば。

 壁にまで貼り付けた写真を、一つ一つ、アルバムへと戻しながら、秋乃は思う。

 好きだ、愛している、そんなことを言いながら、結局。

 自分は彼女の喪失を埋めることさえ、できなかったわけだ。

 向日葵は知らなかったからしかたがないと、言ってくれるだろうけど。今ほど自分が大人であったなら――いや、たとえば達也のような『大人』であれば、演技でも大人だったら。

 彼女は自分に頼ってくれただろうか。

 それをさせない弱さが、きっと彼女を追い詰めて、その背を押したのだ。


「ねぇ、羽香奈」


 写真の中で微笑む、最愛の少女に語りかける。

 そう遠くない未来に終わる世界なら、自分も彼女もその先へいけないならば。

「一緒に寄り添って、向日葵を見送るのも悪くないと、僕は思うよ」

 彼女の記憶の中に残って、その目を通じて未来を見る。そんな事を考えて、手を繋いで終わりを迎えるのも、そう悪くは無いのではないかと。今の自分なら、彼女に言えただろうか。


   ■  □  ■


「なんか、棗ったら一人でがさがさやってるみたいなんですよねぇ」

 一通り写真を片付け終わり、特にお気に入りのものを写真たてにいれ。すぐに目に付く場所においた直後、その少女はいきなり部屋に上がりこんできた。

 春日百合、という名前の彼女に、秋乃は散々振り回された気がしている。

 向日葵やここの誰もがふれようとしなかった部分を、触れるどころか踏みつけて荒らしに荒らした台風のような少女だ。けれど、それが逆に風通しをよくしたのだから、不思議だった。

 とはいえ、こうして押しかけられるのは想定外。

 てっきり朝早くから出かけていった、向日葵と一緒にいると思ったのだが。


「んー、なんか邪魔するのもアレじゃないですか」


 とか何とかいいながら、彼女はベッドの隅っこに座って本を読んでいる。それは秋乃お気に入りの時代小説で、中学生向きではないのだが、意外と彼女は読書家なのかもしれない。

 いろいろ、秋乃は言いたい言葉があったのだが、とりあえず無視をした。今は少しでも荷物をまとめておかないといけない。今年は少し滞在延長となるが、荷物を先に送るのだ。

 アルバムも、ダンボールにつめて実家に送る。

 もう、この部屋を笑顔で埋め尽くすことはしないだろう。

 羽香奈が生前、秋乃を心に刻みつけようとしてくれたように、自分も同じように彼女の存在を心にそっと書きとめようと思う。だから、お気に入りの写真を、思い出す鍵として残す。

「二人がどこに行ったのか、知らないのかい?」

「たぶん、棗の『秘密の場所』だと思うんですけどね。詳しい場所知らなくて。前に一人で捜しに行ったら迷子になって怒られたから、もうしません」

 五年前の話です、と百合は笑う。

 昔から、彼女は今の彼女のままだったらしい。

「夏休みももうすぐ終わるし、向日葵に贈り物でも用意してるのかしら」

「……向日葵は、ここから出ないよ。ここに『住んでる』からね」

「え、マジですか? ……アイツ、骨折り損」

「贈り物は、どんなタイミングでも嬉しいものだと、思うよ」

「まぁ……そりゃそうですけど」

 ばたん、と背後で音がする。どうやらベッドに寝転がったらしい。一応、これは彼女ではない人物が寝る場所なのだが、忘れ去られているのだろうか。


 あぁ、でも。

 そういうところも向日葵と、似ている。


 彼女もよく、羽香奈を引きずってこの部屋に来ては、勝手に昼寝をしていた。体調を考えて適度に空調が整っているから、どうしても耐えられなくなると逃げ込んできていたのだ。

 ごめんね、と苦笑していた羽香奈が、ふと背後にいるような気がして。

 荷物整理を中断し、ゆっくりと振り返った先には、一冊の本だけが残されていた。

 いつの間にか、百合はベッドから離れ、物が置かれた棚の前にいる。

「それにしても……綺麗な子ですね」

 百合が見ているのは、羽香奈の写真だ。

 彼女が死ぬ少し前、様子を見に来た父から借りたカメラで撮ったものだ。庭の草花を植え替えるとかでたくさんの花が手に入り、それをブーケのようにまとめて抱えている。

 花嫁さんみたいやねぇ、と、向日葵が笑っていた。

「向日葵もよく、羽香奈は美人だ綺麗だと騒いでいたな……」

「かなりの美少女ですよ。雑誌とかでモデルやっててもおかしくない系っていうか」

 なんという美男美女カップル、と小さな声で百合が言うのが聞こえる。

 美女はいいとして、自分はそんなに美男だろうか、と秋乃は思った。周囲の反応からそれなりに見目は整っている方だろうとは思うが、羽香奈とつりあうほどとは思わない。

 あまり外に出ないから肌は白く、運動は厳禁なので筋肉も無く、食事も野菜中心なので全体的にほっそりというか、ガリガリというか。不健康そう、というカテゴリーだと思うのだが。


「こう、儚げですよ」

「儚げ……」

「深窓の令嬢的な、ヒロイン属性っていうか」


 ずいぶんな言われように、秋乃はつい笑ってしまう。

 やっぱり彼女と向日葵は同じだ。思考のぶっ飛び具合もそう。そんな似たもの二人に好かれているあの少年の今後は、波乱に満ち溢れたいかにもな『主人公』という感じだろう。

 それを傍で見聞きできないのが、少しだけ残念だった。

 まぁ、来年の楽しみということにしよう。

「……」

 そこまで考え、来年が存在するのか否か、ということに気づく。世界は、そう遠くない未来に終わってしまうという。それは明日かもしれないし、明後日かもしれないし。

 来年なんて無いのかもしれない。

 漠然とした未来のイメージが、ゆっくりと崩れていく音がする。

 これが、羽香奈が感じた絶望で、それを背負う恐怖と彼女は戦っていたのか。向日葵は今も戦っているのか。秋乃は、自分では耐えられないなと、ぼんやりと思った。

「僕は……羽香奈をちゃんと、愛していたのかな」

「え?」

「自信が、なくなってきてね。何もかもわかっているつもりで、僕は彼女が抱えた絶望の気配にすら気づかなかった。向日葵に説明されるまで、ずっと、何もわかっていなかったんだ」

 目を閉じて、彼女を忘れないことだけを考え続けた。そのために、より鮮やかに残り続ける憎を選んで、必死に必死に憎もうとした。すべてを鮮明に、記憶の中に留め続けるため。


 でも、羽香奈は違った。

 秋乃と同じ事をしようとして、違う方法をとろうとした。


 それを知らされた時、秋乃の中がぐるりと回り、何もかもぐちゃぐちゃになったのだ。

 ただ純粋に愛してくれた彼女、その愛をもって秋乃を記憶に刻んでくれた人。

 それに対する自分は、真逆の手段を用い、しかも成功しているとは言い難かった。確かに彼女の存在を忘れる事はできなくなっただろうが、それは憎悪交じりの記憶へと変貌したから。

「彼女は、今も僕に笑ってくれているのかな」

 百合の向こう側にある、一番大切な写真。

 そこにいる、少し恥ずかしそうに――でも幸せそうに笑う、羽香奈に問う。

「今は……笑っているんじゃ、ないですか?」

 答えてくれたのは、百合だった。

「そんな愛し方をしたって、彼女は喜ばないと思いますよ」

 秋乃さんは女心が分かってない、と百合は言う。

「こんな、つらいばかりの愛し方なんて、誰が望むって言うんですか」

「……」

「結局、全部秋乃さんが楽になりたいだけじゃないですか。そういう愛され方されて、一体どこの女の子が『秋乃さんステキ!』とか言うと思うんですか? 誰もいませんよ、そんなの」

 百合は、ずいっと秋乃に接近する。


「忘れても、いいじゃないですか。どうせ人間なんて、大事な事ほどさっさと忘れていく生き物なんですし。だけどそれまで、ちゃんと愛してあげればいいじゃないですか。時々、思い出して自分は幸せなんだよって、記憶の中の笑顔に教えてあげれば、それできっと満足ですよ」


 そしていつか、彼女への愛が薄れても。

 もっと大切な存在が、別に現れてしまっても。

 思い出すことも無くなって、心の中から存在が消えてしまっても。

 それでいいじゃないか、と百合は笑う。

 憎しみを糧に愛を捧げる、という歪な手段より、ずっとずっとマシだと。

「だけど、僕は」

「秋乃さんが写真を飾ってるのは、好きな人をいつも見ていたいからですよね。憎しみを絶えず抱くための手段じゃないですよね。ただ、羽香奈さんを見ていたいだけですよね」

「……」

「じゃあ、それでいいじゃないですか。もう、やめましょう。わたしは、羽香奈という子を知らないですよ。写真と伝聞だけで、声も知らない。だけど写真からでも分かるんです」

 写真の中の彼女は、とてもいい笑顔だ。

 だからこそ、わかる。

 その笑顔の先にも、笑顔があったのだろうと。

 そして彼女は、その笑顔を見て笑っていたのだろうと。

「彼女は、秋乃さんの『本当の笑顔』が好きだったんですよ」

 それを曇らせたくなくて。

 だからわざと、ひどい事を言って嫌われようとして。

 その方が、秋乃が早く笑ってくれるようになると、そう思って。

 自分の事なんて忘れてほしい。それがきっと、彼女の最期の願いなのだと思った。そんなの無理に決まっているのに、できるわけがないのに。残酷な恋人だと、秋乃は苦笑する。

「もう、彼女にすがるのをやめましょうよ」

「……すがって、いたのかな」

「どう見てもすがり付いて、ついでに泣いてる感じです。彼女困ってますよ」

「……そっか」

 肩が揺れる。秋乃は、笑っていた。

 百合は、一瞬息を呑む。

 それはあの日以来消えていた、彼の本当の笑顔だったから。


   ■  □  ■


「ところで」

「はい?」

「失恋したのに、ずいぶん大人しいんだね」

「……まぁ、ショックですけど、でも」

「でも?」

「あの子ならいいかなって。恋してることもわからない子で、妙に男勝りで、変人になりそうだなって感じで。だけど棗を見てる目は、純粋だから。もういいかなぁって思っちゃって」

「……向日葵はいい子、だからね」

「すっごくお節介ですけどね」

「そうだね」

「でも」

「ん?」

「だから、敵わないんですけどね」

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