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向日葵の追憶  作者: 若桜モドキ
四章・もう一度出逢うために
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八月二十九日 想いの証

 言ってしもたね、と向日葵は心の中でつぶやく。

 一応、ほいほいと口にしてはいけないという事になっている、世界の秘密。どうせ言ったところで信じる人などいないだろうが、それでも騒ぎの種にはなるだろうと。

 もうすぐ世界が終わるなんて。


「なんか、ごくごく一部の連中にはウケそうなネタだよな」


 棗は笑って、でも目が少しも笑っていない。

 向日葵の言葉が嘘ではないと、伝わったのだろう。ただ、嘘ではないとわかっても、頭でちゃんと理解できているかは別問題。そこまで、まだ思考が回っていないのかもしれない。

 かつては向日葵も、同じような反応をしていた。

 まだそういう事情を知らないで、別の場所にいた頃だ。

 終わりを越える可能性がある子供達を集め、確実に越えられる子だけに伝えられる真実。そもそも何を基準としているのか、終わりに何が起きるのか。向日葵は知らない。

 あるいは、志保ならば知っているのかもしれないが、もう尋ねることはできないだろう。

 それに――知ったところで、別にどうにもならないのだ。


 世界は終わる。

 あと数年。長くても十年以内には終わる。


 それをいきなり告げられ、はいそうなんですかと納得できる子供などいない。向日葵はぽかんとするだけで終わったのだが、中には泣き叫んで薬を投与するほど錯乱した子もいたとか。

 とはいえ、向日葵が何もかもを淡々と受け止めたかというと、そうでもない。

 今でも心の中はざわついている。

 いや、ざわつき始めたというべきだろう。

 生まれてすぐ『選ばれた』向日葵は、両親から奪われるように施設に送られた。夏草向日葵という名前は、そこでつけられたものである。名前もそうだし、苗字も架空の存在だ。

 向日葵のような子は、あまりいないのだという。

 なのでうっかり道を踏み外したりしないよう、徹底管理して育てるのだ。

 そのせいだろう。向日葵はあまり、執着するということをしないと、自分でも思う。愛着のある服や道具はあるのだが、壊れたり汚れればさほどためらい無く捨ててしまえる。

 全国の施設を転々とする中で、夏目達や秋乃との出会いのように、同類ではない友人もそれなりにできたが、半年から一年で訪れる彼らとの別れも、そう辛いものとは思わなかった。

 どうせ失われるものだと、思っていたから。


 ――その心に、大切なヒトなんて、いないだろう?


 秋乃に言われた言葉を思い出す。

 そう、向日葵にはそんなものは何も無かった。得ようと思わなかったし、得ても意味が無いと思っていた。どうせ失うなら、最初から無くても問題ない。

 でも、羽香奈が死んで、いなくなってから、何かがズレはじめた。

 棗との出会いで、それはズレから亀裂に変わった。

 向日葵は知ってしまったのだ。

 失いたくない、と思う存在の『味』を。

 知らなければよかった。知りたくなんて無かった。今、自分を見ている彼を、あと少しで失ってしまうのだと、それを悲しむ心なんて無ければよかったのに。存在しなくてもいいのに。

「なぁ……」

 涙を必死にこらえていると、彼がぽつりとつぶやく。

 決まっていることなのか、という声がした。疑問というより、確かめるような言葉。

 だから向日葵は、必死にいつもの笑顔を作って。

「ぜんぶぜぇんぶ嘘やったら、どれだけえぇんやろかって。いつもウチは、思っとるんよ」

 ゆがむ視界の向こうにいる棗に、震える声で答えた。


   ■  □  ■


 向日葵の告白は――一応、保留という事になった。

 同時に告げられた事実が大きすぎて、処理できないと棗が言ったからだ。

 彼だって向日葵が、告白のためだけにそんなウソをつくとは思わない。だからこそ、迅速に慎重に自分の中の答えを探した。時間がないと焦った上に、間違った答えだけは出せない。

 その答えを、彼女は、向日葵は抱いて生きていかなければいけない。

 彼女を支えるその『答え』を、適当に出すわけにはいかない。

 ……本当は、もう見えているのではないか。

 答えなど最初から、言われた瞬間に出されているのではないか。

 そんな考えを確かめるために、棗は向日葵を、ある場所へと連れて行くことにした。百合でさえ連れて行っていない、誰一人として案内していない、彼の一番のお気に入りの場所へ。

 二人は朝早くに出かけた。

 そして山の中にある、獣道のような場所を上へ上へと登っていく。木の根が階段のように連なっていて、場所によっては歩きやすくもあり、しかしほとんどの場合で歩きにくかった。

 いつものように白いワンピースに、麦わら帽子をかぶる向日葵。

 彼女は棗より少し遅れ気味に、ついてきていた。


「棗ぇ、まだなんー?」

「お前……あんだけ歩き回ってるくせに、体力ないのな」

「せ、せやかてこんな山道……」


 二人が、というより向日葵がよたよたしながら進んでいるのは、かなり急な山道だ。山をあちこち歩き回った向日葵でも、これほどの道を歩くのは初めての経験になる。

 体力には自信があったのだが、たかが知れていたという事か。

 それとも、彼の体力が想像以上だったのか。

 ――男女の差とは、あまり考えたくない気がした。

 年齢的に、そういうのが出る時期なのは、一応お勉強したので知っている。実際、棗は秋乃と比べればまだまだ小柄だが、向日葵よりは数センチほど身長がある。

 あれで毎年ぐぐっと伸びているそうなので、あっという間に差が開きそうだ。

 思えば秋乃も、離れている数ヶ月などの間にぐっと成長していた。

 何の代わり映えもない世界の中、それは時間を感じさせる。

「ほら、手ぇ、伸ばせ」

 少し離れたところを進んでいた棗が、戻ってきて手を伸ばす。向日葵は少しだけ迷い、彼の手を掴んだ。ぐいっと彼に引っ張られるまま、急な道を進んでいく。

 その力は強いけれど、転びそうになることは無かった。

 向日葵の動きを、ちゃんと見て力加減してくれているのだろう。

 しばらくすると普段歩く場所のような、緩やかな道へと姿を変える。もう手を引かれなくても大丈夫なのだが、なぜか互いに握り合ったまま進んだ。離したくないと、思ったから。

 もうすぐだ、と棗が少し振り返って言う。

 そして、日の光と視界を遮る木々が無くなって、世界が一気に開けて。

「わぁ……」

 向日葵は、ここが目的地なのだと一瞬で理解した。


 山の斜面でゆれる、黄色い花。

 自分と同じ名前を持った――ひまわりの花畑。


 空高い位置に至ろうとする太陽を見上げ、大きな花を咲かせていた。施設の庭にも植えてはいるのだが、ここまでたくさんではない。ここは、見渡す限りが、ひまわり畑だ。

「すごい、すごい!」

「だろ。なんかこの辺りの土地持ってる俺のおっちゃんが、毎年植えてるんだよ。ここだけ木がぜんぜんはえてなくて殺風景だからってさ。毎年、すげー量の種を蒔くんだぜ」

「ふぅん……すごいねぇ」

「結構山の奥だから、知ってる人はあんまりいないけどな」

 確かに、ここまで山道をのそのそと移動した。車道でも繋がっていればいいが、あれしかルートがないとなれば、確かに知る人ぞ知るスポットとなってもおかしくは無い。

 だが、もったいないことだと向日葵は思った。

 こんなにきれいなのに、誰も知らないなんてもったいない。

 カメラでもあれば、限界までぱしゃぱしゃととって回りたいぐらいだった。こんなことならデジカメを借りてくればよかったと、目的地の事を教えてくれなかった棗を恨みたくなる。

 でも、と向日葵は少し考え。

「写真とかより、記憶に残す方がきれいやろうねぇ」

 思い出補正というものは、どんなものより強い。だったら、この光景をしっかりと心に刻み込んでおけばいい。終わりの向こうでは、きっとこの花畑も消えているだろうから。


「ねぇねぇ、あの中、歩いてもええの?」

「あぁ。どうせ植えっぱなしだからな、ここ」

 せいぜい種を取るぐらいだ、と棗が言い終わるより先に、向日葵は花畑に飛び込んだ。

 まるで誰かが通り抜けるのを待っていたかのように、花と花の間は適度にある。そこを麦わら帽子も脱ぎ捨てて、向日葵は走り抜けた。目指すのは少し離れたところにある、小高い場所。

「棗ぇ! ここからやと、すごいきれいにみえるよぅ!」

 山から転がってきたらしい巨大な石の上に上り、そこから手を振る。向日葵の麦わら帽子を回収しながら、棗がこっちに向かってくるのが花の隙間に見えた。

 少し熱いと思ったが、とりあえず向日葵は石の上に座る。

 これくらいは、さほどでもない。


「よっと」

 しばらくすると棗がやってきて、隣に座った。

 二人で花畑を、静かに見る。

 黄色い海と、その向こう側に広がる新緑という色彩は、息を呑むほどにきれいだった。

「ウチね、いろんなところに行ったん。ここに移ってからはずいぶん長いんやけど、それでも二年ぐらいやし。でね、こんなにきれいなところ、初めて見たん。こんなにきれいなんやね」

「そっか……つれてきて、よかった」

「ありがと、棗。ウチ、この景色を忘れんようにするけんね」

 ずっとずっと心の宝箱にしまいこんで、時々取り出して眺めよう。そうすれば、どんな辛いことが終わりの向こうにあっても、きっと笑ってがんばれる。

 自分の頑張りが、この景色をどこかに作り出すかもしれないから。


「向こうでも、がんばるけん。ひまわりも、植えたいねぇ」


 そんな余裕があるのかは、わからないけれど。そもそも、向こう側で何をするのか、知らされていないのだ。ただ、いつか『元通り』になるため、いろいろやれという説明だけである。

 そんな漠然とした要求に、少し戸惑っていた。

 でも、この景色があればまぁ、何とかなるんじゃないかという気になった。

 笑顔を浮かべて、じっと花畑を見つめる向日葵を、棗が見つめる。真剣そうで、でも無邪気なその横顔から、彼は何かを考えるように視線をはずして、そして小さな声でつぶやいた。

「さいしょから……もう、出てたんだよな」

「へ?」

「なんでもねぇ」

 帰るぞー、と棗は向日葵の手を引いて歩き出す。あわあわ、と転びそうになりながら、向日葵は彼について歩き出した。時々、一面の黄色い花畑を、名残惜しそうに振り返りながら。


   ■  □  ■


 施設の近くで向日葵と別れた棗は、その足で近所に住む叔父を尋ねる。例の花畑を作り出した張本人で、ちょうど庭に出て草花に水をやっているところだった。

「おっちゃん、おっちゃんにちょっと頼みがあるんだけどさ」

「ん?」

「例のアレ、まだ残ってないかな……もう、全部蒔いちゃった?」

 棗は庭の隅にもさもさと生えている、ひまわりを見て言う。確かそれなりにあまっていたように記憶しているのだが、あの様子だと全部この庭で消費された可能性が高い。

 叔父はしばし悩み、見てくると言い残して納屋に向かった。

 残された棗は縁側に座って、叔父の帰りを待つ。

「俺は、終わりの向こうには……いけそうに無いから、な」

 でももしかしたら、自分以外は向こう側へいけるかもしれない。向日葵たちが向こう側で何をするのか知らないけれど、何をするにしても道具は必要になるはずだ。

 つまり、何もかもが爆弾を落とされたように、消し飛ぶわけではないのだろう。


 だったら。

 何かを彼女に残せる。


 その記憶に残る面影だけじゃない、実際に傍にいて――彼女を見守るようなものを。

 彼女のためだけに向こう側へもって行きたいと、思った。

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