プロローグ3:学業区域
◇◆
彼女の名は『加賀原 夏樹』。
身長は俺より頭一つ分低く、体重……なんて知るはずもない。
年齢は俺より二つ年上。
前髪を可愛らしい橙色のピンで留め、少し茶色がかかったウェーブヘアーを腰の辺りまで伸ばしている。
胸も人並み以上、多分Dカップ。
容姿端麗を形にしたようなルックス、茶髪が風になびくその姿は幾多の視線を集めることだろう。
普段の行動も含め、それだけ彼女は『綺麗な存在』なのだ。
ちなみに彼女は俺や翔との幼なじみでもある。
同じ学校同じ学年、ただ一つ違うのはクラスである。
俺、翔が在席しているのは三年のAクラス。
一方彼女が在席しているのはBクラス。
お隣さんなのである。
◇◆
教育理念の改正に基づき、この学業区域において特徴的な点がいくつかある。
その内の一つ、それが『席次成績順列制度』である。
生徒数が膨大である学業区域において、一番の問題となったのはクラス分けだった。
一つの学年だけで千人を超える生徒、もと住んでいた地域別に分けることもできたが、それでは学業区域を創立した意味がない。
将来有望な若者たちを、元気よく、真っ直ぐに育てるにはどうすればよいか。
推敲に推敲を重ねた末に導き出されたのがこの制度である。
小等部(昔で言う小学校)に入学して最初の一月は適当に、本当に適当なクラス、席に座らせる。
そして月に一度、学業なんて言葉も知らないような、そんな精神的にも身体的にも幼い子どもたちに『テスト』を受けさせる。
それ以降、そのテストにおいて成績の良かった順に席次が与えられてゆくのだ。
つまり、学業区域にて勉学を営む人々は、月一回席替えならぬ『校舎替え』を余儀なくされるのである。
このような幼い小等部の子どもたちがホイホイ周りの環境を変えられては、たまったものではないという意見もあったらしい。
しかし、この席次成績順列制度の真の目的はそこにある。
教育者たちが掲げたのは『統合されたグループ』、雑に言えば『みんなが一丸となって仲良く頑張ろう!』ということだ。
従来の教育理念において、ハッキリとした上下の区別が付くような処置、これは個人個人に競争意識を持ってもらうという意味では、確かに成功した例であると言える。
だが、それにより生まれたのが『劣等感への妥協』である。
ここが自分の限界だ、自分は頭が悪くてもいい、頑張る必要はない。
そんな考えに至ってしまう生徒だって存在するのだ。
そして、そんな生徒たちは図らずも一つのグループを作ってしまう。
成績下位組、不良集団、おちこぼれetc……。
『全ての人々が笑いあえる世界』に、そんなものがあってはならない。
それの改善策として、小等部からの校舎替えが挙げられる。
年端もないころから上を目指させるというのは苦行かもしれないが、それを乗り越えた先に待つものは決して悪いものではない。
そして校舎、クラスが月一で変わることにより、生徒たちによるグループの固定化が困難となる。
これの狙いは生徒同士でのコミュニケーション能力の向上、縮小社会へ溶け込む協調性を磨くこと。
両者とも磨けば磨くほど、大人社会で光る能力であることは間違いないだろう。
そうは言っても、点数によって優劣を決定している限り上位層、下位層が生まれるのは避けられない。
上位層はそのまま育っていっても問題ないだろうが、下位層には何らかの処置が必要だろう。
……まあ、続きはまた今度にしよう。
実際、そのあたりは見た方が速い。
◇◆
さて彼女、加賀原夏樹が俺にとっての天使だということについてだが。
翔同様に幼なじみという事実から、それなりに長い付き合いであることは理解してもらえるかと思う。
しかし、同じ幼なじみである翔とは決定的に違う点がある。
なんと……この俺が出会った人間の中で唯一『嫌悪感を抱かなかった』人物なのである。
わかるだろうか?
小さいながらも世界中の全てに不快感を抱いていた俺が、家族にすら嫌悪感を抱いてしまう俺が、初めて心を開ける相手を見つけた瞬間の気持ちが。
その時から俺と夏樹は友達になったんだ。
遊ぶ時はいつもいっしょ、そう言えば翔もいたような気もするが、まあどうでもいいな。
だが、しかし、そんな中で。
俺の前に立ちふさがったのがこの忌まわしき『席次成績順列制度』であった。
なんとコイツが俺と夏樹の席を引き剥がしやがったのだ。
忘れもしない小等部一年の春、俺は夏樹に会いに校舎を飛び出した。
すれ違う人々に嫌悪感を抱きながら、一生懸命夏樹のいる教室まで走った。
そして、驚いた表情の夏樹を前に、俺は聞いたんだ。
「なつきちゃん、テスト何点だったの?」
「あー、えーっとね。ぜーんぶ百点まんてんだったよ」
……この瞬間から、俺の猛勉強が始まったのだ。
来る日も来る日も勉強勉強、一ヶ月の間、小等部ながら死に物狂いで勉強した。
それが報われてか、次の月には夏樹と同じクラスになれた。
翔という謎の存在もいっしょに付いてきたが、まあどうでもいいな。
という経歴もあり、その頃から夏樹と離れたくない一心で勉強を続け、現在俺の席次は学年順位一番、最高得点である全教科満点なんて取れば当たり前の席次である。
しかし夏樹はというと、先月のテストでは学年順位三一番。
一つの教室に配置されている席は三十、なんとギリギリAクラスから省かれてしまいBクラスへ。
誠に残念なことに俺とクラスが離れてしまったのである。
まあ? 休み時間はこうしてよくこちらのクラスへ来てくれるので、あまり気にはならないな。
……よくわからんのは、常に俺の隣、学年順位二番に翔の姿がある、ということだ。
まあ、どうでもいいな。
◇◆
「やっほータカヒト。今日も元気にしてた?」
は、話しかけられた。
そりゃそうだ、俺たちは幼なじみ、仲がいい、親密、旧知の仲。
何か、何かうまい言葉で返さなければ……。
「う……ぅん、えっ……と」
「あー、なるほどなるほど。タカヒトはいつも通りってわけね」
「ぁ……ぇ」
おおお、俺のバカアホおたんこなす!
せっかく夏樹から話しかけてもらったってのに、ロクに喋れてすらいないじゃないか。
「おう夏樹、俺とタカは今からゲーセン行くんだがよ。オメーも来る?」
「あー、うん。今日はあたしもそっち方面に用事あるし、行ってもいいわよ。あれ? でもタカヒトは帰るんじゃないの?」
……へ?
夏樹もゲーセン行くの?
「はぁー? 夏樹よぉ、オメー俺たちの会話の何を聞いてたんだよ。タカは俺とゲーセンに行くって言ってただろ?」
「……そうだっけ? タカヒトー、そうなの?」
いや、確かに俺は帰るって言ってた。
翔の話は完全にデマ、夏樹が大正解なわけだが……。
「……俺も、行くよ? ゲーセン」
夏樹も来るんだろ?
なら、行くしかないよな。
◇◆
校舎から出てみれば、辺りは運動部たちの活気に満ちている。
学業区域に校舎が複数あるのと同様に、校庭、グラウンドだって複数ある。
見える範囲だけでも野球、サッカー、テニス、さらには陸上部のトラックだってある。
これが今俺たちから見えない場所でも複数活動しているのだから、それはもう広大な敷地が存在しているのだ。
ま、俺は帰宅部だから関係ないけどな。
「おっ、青空教室のやつらじゃねーか」
突然翔が立ち止まり、校庭の一角を指差した。
そこには透明の屋根だけで構成されたプレハブのような空間、そこに等間隔で並べられた机と椅子、そしてそこに居座りワイワイと談笑している生徒の姿があった。
「おーい! オメーら元気してっかー?」
翔は大きな声で生徒たちに呼びかける。
生徒たちの返事も爽やかなもので、「まあまあだなー」「元気だぜー」「そっちは帰るのー? またねー」とか。
お互い満面の笑みで、何気ない会話を楽しんでいるようだ。
◇◆
これこそが前述した『下位層への対策』の内の一つである。 彼らはテストにおいて点数の低かった生徒、正確には『全体得点の三割未満』の生徒たちだ。
テストで低い点数を取れば、それなりに低いレベルのクラスに配置される。
その中において劣等感を感じさせないために考案されたのが、この『青空教室』だ。
この青空教室は、生徒たちの知能レベルを低く見ているわけではない。
行っている授業難易度は学年それ相応のものだ。
俺たち上位層と決定的に違うところ、それは『学習環境』である。
俺たちのクラスは従来のマトモな授業風景、壁に囲まれたいかにもな教室にて、比較的冷静な教師たちが授業を行っているわけだが、彼らは違う。
従来の教室とはうってかわって開放的な空間、配属される教師も比較的大らかで協調性のある大人だ。
勉学というものに、少しずつ慣れてもらおう。
もっと気楽に、楽しく勉強をさせてやりたい。
そういった理念で生み出されたのが青空教室なのである。
しかし、さすがにこれだけの要因で下位層の生徒たちの成績が伸びるとは言い難い。
ここでもう一つ、上位層との違いがある。
それは『授業時間の拡大』だ。
俺たちが受けている授業は基本的に一時限六十分、長い曜日でも最長五時限、始業は九時だ。
それに対し彼らの授業時間は一時限九十分、最長六時限、始業は八時である。
このあたりで上位層との溝を埋めていこう、というワケ。
俺たちから見れば、授業風景が新鮮で楽しそうだという感想があり、多少なりとも羨ましいと思う。
だが授業時間が伸びるのはいただけない。
逆に青空教室から見れば、授業時間の少ない成績の良いクラスに憧れを感じるだろうが、自分にはこのクラスが合っているのだと思い込む。
そんな生徒たちは青空教室に楽しさを覚える。
この流れでついでに勉強にも楽しさを感じてもらおう、ということだ。
実際、青空教室に半年配置された生徒が急激に成績が伸びるという事案も確かにある。
勉学は質も大事ではあるが、それと同じくらい量も必要だということ。
青空教室はこういった事象において、学業区域になくてはならないものとなっている。
◇◆
俺たち三人は夕暮れの道を歩いていく。
翔の言うゲーセンは学業区域にはない。
学業区域に隣接する『文化区域』まで行かなくてはならないのだ。
『文化区域』にはそれはもう様々なものがあり、日がある間、日が沈んだ後でも賑わいが覚めることはない。
そのあたりも、実際見ればわかるだろう。
「そう言えば夏樹、オメーの用事って何よ? ゲーセンの前に寄ってくんか?」
「あー、あたしの用事はアレよ。いつものアレ」
「なるへそ、んじゃそっちが先だな」
おや、おやおやおや?
夏樹はいつものアレとか言ってるんだが、俺にはサッパリわからんぞ。
こ、これでは俺がお邪魔虫みたいな空気に……むしろ空気になってしまう。
よくない、それはよくない!
「……な、夏樹。いつものって……?」
俺は勇気を出して聞いてみた。
多分、それなりに大きな声で言ったから、聞こえてるとは、思うけど。
「なにータカヒト。あたしいっつも行ってるし、もう見えてるじゃん。あそこだよ、あ、そ、こ」
「へ……?」
そう言われて、夏樹が指差したほうを見てみる。
すると、俺の目に特徴的なモノが飛び込んできた。
行き交う人々で賑わう商店街の一角、その場所だけ静かな雰囲気、冷たい何かを感じさせるような、そんな感じの施設。
和の文化が繁栄している日本には、あまりそぐわない西洋風の建物。
屋根に大きな十字架が刺さっている、信仰が集まる唯一の聖なる場所。
―――そこは『教会』だった。
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