酔いどれとガリレオ
「・・・あのさ、ここはお前の部屋じゃないぞ?」
寮の自分の部屋に戻ったのは午後8時。開け放たれたカーテンの向こうの空は、まだ何となく明るい。
「また更に焼けたな。赤いぞ?」
部屋は今朝のまま・・・つまり散らかったゴミはそのままで、そんな事には一切気にした様子も無く、人の布団の上に無断で転がるジェインは違う質問を返してきた。
「そりゃ、毎日天気がいいからな。・・・そういうお前は白いなー、少しは日に当たったらどうだ?」
俺とは対照的な色をしているのは、人種の差という問題だけではない。
「遠慮する。俺は頭脳労働専門だ。」
このインドア野郎・・・。
「じゃぁ、いつまでも人の布団に転がってないで、お前もバイトに行ったらどうだ? 家庭教師の時間そろそろだろう?」
「布団っていいよなー。畳めばベッドみたいに場所取らないし、少し硬い気もするけど、そこが何となく癖になるよな。」
疲労による苛つきをこらえて、心配してやってるってのに、ジェインの返事はまたも噛み合わない。
「・・・それ、珍しいだけだろ?」
「ジャポネの文化はやっぱりいいよなー。こんなに律儀に伝統守るやつはリョータの家くらいだろう?」
「余所の家は知らねぇよ。とりあえずそこどけ、俺もう疲れてヘロヘロなんだ!」
肉体労働者を甘く見るな? おまけにレポートの資料探しに頭も使って、今布団に転がったらすぐにでも寝てしまう自信がある。
無理やりにでもどかしてやろうと、足蹴にすると、
「ヒドイな、俺も結構疲れてるんだぞ。」
と抗議の声を上げるが、顔はそんな風には見えない。
ジェインは仕方無さそうに起き上がり、筋を伸ばして面倒臭そう脇には寄ったが・・・断固として布団からは降りようとしない。なので、仕方なく座布団程度の扱いで隣に座る事にした。
「ほれほれ、かわいい生徒が待ってんだろう?」
「・・・16歳の男子高校生が、俺にとってかわいいと思うか?」
肘でつついて急かしてみても、その返事は素っ気無い。
「俺たちにもそんな時代があった・・・それを思えばかわいらしくないか?」
無論冗談だ。別に懐かしんでる訳ではない。
「4年しか経ってないのに生意気な口を利くな。じゃぁ変わるか? 何なら紹介してやるぞ? そしたら俺は、今度は女の子を教えられるように取り計ってもらおう。」
左腕に常備しているゴムで長い髪を括りながら、明らかに笑っている目を俺にむける。
それは困る・・・っていうか、分かってて言うな、からかうな。
俺はコイツと違って、人に要領良く教えるのは苦手だ。もちろんそんな自信も無い。
「・・・遠慮する。俺は人に教えるようなタイプじゃないって知ってんだろ? それより本当に時間いいのいか?」
「あぁ、夏休みだから昼間に変えてくれって連絡があった。で、終わってさっき帰って来たとこだ。」
・・・それを先に言えっての。心配した分損したじゃないか。
そう思ってムスッとした顔をしていると、ジェインはにたりと笑う。
「んー、もしかして心配してくれた? 嬉しいねぇ、俺リョータに心配されちゃったよ。」
「あーもう、邪魔だっての!! 俺はバイトで疲れてるし、レポートの資料は足りないし色々忙しいんだっ!!」
事実だが、怒鳴った理由は照れ隠しに他ならない。こいつは毎度、こうなる事を分かってやって、笑いやがる。
「それなら、中央公文図書館にアクセスした方がいいぞ。うちの大学の資料は貧相だからな。」
俺の心からの叫びはジェインには一切届かず、さらりと流されて話題を変えられた。
くそっ、
「・・・あれはあれで膨大過ぎてよく解らん。」
「リョータは検索が下手なんだよ。端末借りるぞ?」
俺とは対照的に機嫌が良いジェインは、おもむろに立ち上がると備え付けの机に向かい端末を起動させた。
「ほら、腕貸せ。」
請われて傍に行くと当然モニターの表示はデータの認証画面で、左腕のブレスをかざすとアクセス可能となり先に進んだ。
そっからの俺は眺めてるだけだ。
時々ピロンピロンと鳴る操作音に続き、机の上にぼんやりと浮かび上がるキーボードの上を、ものすごい速さで指が動いた。
俺はコイツのこれを、特技だと思っている。
「ほら、これでかなり絞れた。当時の記事に、彼の実際の映像、関連書籍に、まぁ、まだまだ数は多いが、このくらいは頑張って目を通せ。」
「えーっ、多過ぎ・・・。」
端末を覗き込んで、リストの上に表示されたヒット数を見て溜息を吐いた。確かに俺が検索した時より遥かに数も減って、興味深そうなタイトルが並んでいるのは確かだが・・・。
「少な過ぎても、分析出来ないだろう?」
裏拳で腹を叩かれた。
「かもしれんが・・・。」
面倒だなという思いは消えない。
「そういや、ジェインのレポートは何で書く気だ?」
「俺か?・・・俺はガリレオだ。」
何気なく話題を変えてみたが・・・ごめん、誰だっけそれ? テキストにそんな名前があった気がするけど・・・さっぱり覚えてない。
「・・・やっぱり、リョータはバカだ。」
何も喋ってないのに吹き出したジェインは、苦しそうにそれだけ言って、その後盛大に笑ってくれた。
「ガリレオ・ガリレイ。地球にあったイタリアって国の大昔の学者だ。」
ジェインはビールを傾けながらそう語りだした。
結局今夜もここが酒場になってしまった。ただし、昨日と違って今日はこいつと二人っきりだ。
大昔、世界は神が創り、その地には同じく神に創られた人間が暮らした。だから世界の中心はそこで、すべてはそこを中心に回っていると考えられていた。宗教第一主義だな。
世界=地球って訳でもなく、それ以前に世界の概念も微妙で、平たい世界の果ては断崖で、星々は遥か天界から吊り下げられている・・・なんて、愉快な発想もあった時代に、ガリレオはそれは違うという認識を持ち、実験や観測を繰り返して、地球ではなく太陽の周りを他の惑星が回っている・・・という結論に至った。そして自身の理論を発表したんだ。
けどその結果、彼は教会に迫害された。
科学は人の作った御伽噺なんかと違う、人が在るから世界が在るんじゃなくて、世界があってそこに人がいるだけだって・・・地動説どころか、太陽だって、太陽系だって動いてるなんて今じゃ当たり前の事なんだがな。
審問裁判で地動説を捨てると誓約させられて、その後は軟禁状生活で、まぁ生きてく上では利巧な生き方では無かったんだろけどさ。
「それでも地球は回っている。」って、何かかっこいいだろ?
己を曲げずに、正しい事は正しいって言い切るのって、何かいいよな?
でさ、時代が下って科学の時代になり、彼の正当性が認められた。そしたら教会は謝罪したんだ。350年も経って、本人はとっくの昔にいないってのにさ。それだけ彼の影響力が大きかったんだろうな。
後の世にまで引き継がれる考えと発見と、凄いよな・・・。
今日のこいつの舌はよく回る。
普段からよく喋るやつだが、それにも増して・・・喋りすぎだろう?
けど楽しそうで、俺は途中まで適当に相槌を打っていた。
・・・そう、途中までは。
俺は途中でつぶれて、そこからは意識が無い。
酒にではなく、眠気に勝てなかったんだ。
その手前も実は、ジェインの話よりヤツ本人に注意が行っていた。
説明する時の話し方は嫌いじゃない。そういう所がやっぱ頭がいいんだろうな。
子供みたいに嬉しそうにしてるのも、何か見てて惹かれるんだよな。
ゴムで結べなかった顔にかかる髪を時折手で払う仕草も、コイツがやると何でサマになるんだろう?
何故だか知らんが、小さい頃から俺はこいつに気に入られてて、仲が良くて、でも俺はコイツに対して色々と羨ましいと思う事がいっぱいで、だけど・・・俺はコイツが好きだから、羨んでも仕方がないと解ってる。
小暗い気持ちを抱えたまま、コイツの隣で笑ってたくは無い。心に嘘を抱く事無く、付き合っていきたい。『ジェインは凄いヤツだ!』心からそう思って・・・出来れば俺も、コイツからそう思われていたい。
そして・・・酒の勢いでこんな恥ずかしい事考えてたってのは、目が覚めたらきれいさっぱり忘れてて欲しい。
鳴り響く電子音に無理やり起こされると、部屋には俺一人だけだった。
そして驚くべき事に、部屋の中に散乱していたゴミがきれいさっぱり消えていた。
・・・ジェイン、感謝する。
あ、書き忘れてた。
「太陽」は太陽じゃないけど、太陽なんです。
太陽系ではなくて、他の恒星を中心とする惑星ですが、
人々はやっぱり太陽と呼ぶのです。