宇宙空間にて
3日目。
俺にしてみれば今日からが本番である。宇宙遊泳は何度やっても楽しい。
とりあえず今日は、ホテル主催の遊泳ツアーに参加する事になっている。
午前中にホテルの施設内で、セーフティースーツの着用、無重力中での移動、非常時の対応等の講習を受ける。
その後、施設内にある円形の0Gフィールドでの体験を経て、ようやく午後から実際の宇宙空間での遊泳を行うのだ。
俺は経験者ではあるものの、前回が子供の頃だったので講習を受ける必要がある。
未経験のフユカも俺と同様に参加の義務があり、ミレイとジェインは船外活動免許・・・つまりEVAライセンス保持者なので本来なら講習の必要は無いのだが、暇だからと言ってついてきた。
おまけにミレイは、スペースシップの操縦免許まで持っている。資格を取るのが趣味なのは知ってるが・・・一体彼女は何になる気だ?
いや、しかしこれは、今回の旅に大いに役立つ事になるので何も言うまい。
遊泳はライセンス保持者の監督があれば、誰でも行う事が出来る。そして、シップが操縦出来れば好きな所で遊泳を楽しむ事が出来る。
好きな所と言っても、もちろん明らかに危険な場所は除外される。
人工衛星や施設の軌道外、スペースデブリの少ない宙域、特殊状況下での禁止区域以外等の条件があり、その日毎の遊泳可能エリアを宇宙航行局が公表している。
なので、明日はレンタルのシップで・・・今の星の並びだとキャッツアイか、シトリン、サファイアが近い。ツアーではキャッツアイ方面に行くので、シトリンかサファイア・・・やっぱり青い惑星には何となく興味がある。
航行禁止がどうなってるかにもよるけれど、出来ればサファイアの方に行きたい。
昼食後、ロビーの端にある講習室に、セーフティースーツの下に着るボディースーツ姿で、再び集合した。
セーフティースーツは何層もの構造で出来ており、当然それなりの重さがある。通常は重力を減じた空間で装着する。それでも大昔の物に比べたら羽根のように軽く、動きやすさも遥かに良い。
今回の参加者は俺たちを含め3組。4人、3人、4人の計11人である。そのうち子供は3人で、姉弟と、もう一人男の子。
今現在その子供たちは、親の制止の声を無視して室内を走り回って遊んでいる。
3人は似たような背格好で、俺はそれを微笑ましく眺めた。
別に子供好きって訳でも無いんだが、俺たちもああだったなぁと思うと、怒る気にはなれない。いや、そもそも俺には怒る気が無いが。
「もう少し静かにして欲しい。」とぼやくミレイを「子供はあんなもんだって。」と、なだめているうちに扉が開いて、インストラクターが入ってきた。
インストラクターから改めての注意事項と、この後のスケジュールを聞いた後、「では付いて来て下さい。」と言う指示に従い、入った時とは違う扉から部屋を出て、でかいエレベーターに乗り込んだ。
「ここを下りると0.4Gの更衣室ですので、セーフティースーツを装着して下さい。もし分からない事があれば、私や他のスタッフに声をかけて下さい。」
大丈夫です、午前の講習で完璧ですから!
いよいよだと思うと、内心で返す返事も興奮気味だ。
更衣室に着き、自分のサイズの青いラインのあるスーツを着込んで無線やライフモニターのプラグを繋いだ。スイッチを入れて左腕のディスプレイの動作チェックをし、無線の送受信のレベルと、実際に音声のやり取りができるかも仲間内で確認した。
よし、これで準備完了。
その後、送迎の時とは違うシップに乗り込み、添乗員の合図で出発した。
・・・何かすっごいワクワクする。
俺の様子に呆れたジェインが「ガキ。」とからかうが、何とでも言ってくれ。
今の俺は、自分でも否定出来ないほど浮かれている。
宇宙空間に出てしばらくは、スラスターを操作して自由に飛んで遊んだ。
しかしそれに飽きると、ただ漂って星を眺めた。
黄色味がかった茶の縞に赤道辺りの白い筋。その姿はまさしくキャッツアイの名が相応しい。もちろん実際の猫の目ではなく、他の惑星同様に宝石の名から採られたものだ。
白い筋の正体は雲で、その流れは速い。こうやって眺めていても、どんどん流れて微妙に模様を変えていく。
向きを変えれば黄色く光る半円のシトリンが見えた。半分は夜の世界で宇宙の闇に紛れている。エメラルドとルビーは、キャッツアイの後ろに並ぶ位置にあり残念ながら見えない。振り返ればコーラルと、その衛星であるの2つの真珠が見え、さらにその向こうにサファイアがあるはずなのだが、遠くてどれか判らなかった。
星の世界に音もなくフワフワと浮き、手ごたえの無い感覚に麻痺してくると、夢の世界にでも入り込んだような心地がした。
が、不意に右腕に振動がきてビックリして振り向くと、セーフティースーツの人物がいた。よく見れば、ヘルメットの向こうの顔はミレイで口が動いているものの、その声は一切聞こえない。
・・・あれ? 無線がおかしいのか?
ディスプレイで送受信のレベルを表示してみると、双方共に0とあり・・・故障か?
急いでサブの無線に切り替えると、ようやくミレイの声が聞こえた。
「・・・ョータ、ねぇ大丈夫? 聞こえてる?」
「あぁ、今聞こえるようになった。無線がいかれてたらしい。」
「そう、運が悪いのね。」
「だな。で、何?」
「うん、あっちで惑星の解説やるって、アナウンスがあったんだけど聞く?」
「いや、いい。俺はここでのんびり浮いてる。」
「そう、じゃあ私はあっちでフユカの個人授業してくる。どうも彼女はスラスターの使い方が下手で危なっかしいから。」
そう言って指した方向には、やたらと回転するセーフティースーツがいた。
・・・なるほど。
あのままだと、下手するとどこかに行ってしまい、戻れなくなりそうだ。
「そっか、じゃあ。ありがとな。」
心配してくれたミレイに手を振ると、彼女は1つ頷いて俺の傍から離れた。さすが個人授業をしようというだけはある。流れるような無駄の無い動きで、あっさりとバタバタと回るフユカの元へと行き、その体を支えた。
摩擦による減速の起きない宇宙では、どこまでも・・・どこまでもまっすぐ行くことが出来る。もちろんその道の途中に何かがあるかもしれないが、理屈の上では慣性の法則に従い、同じ速さで、同じスピードで、止まる事無く進んで行く。
未だ宇宙には想像もつかないほど多くの謎があり、我が物顔で宇宙を行き交うようになった人類も、未だその起点に辿り着いてもいない。
深遠なる大宇宙。
所詮ここは宇宙の辺境で、違う銀河に属するあのアジサイの花でも咲いたような星雲のあたりには、別の起源の知的生命体たちが行き交っているのかもしれない。
あそこの無数の星が集まった辺りにも、何種類もの知的生命体が交流しているのかもしれない。
しかし地球起源の人類は、他の生命体に期待と想像を膨らませるばかりで、未だ出会いは訪れない。
・・・まだまだ遠いもんだ。
そう考えていると、ゾッと寒気がして身が震えた。
ほんの少し。そう、たかだか庭先程度の宇宙に出て・・・闇の中に輝く星々を眺めながら色々考えていると怖くなった。
広がり続けているはずだという理屈の、行けもしない宇宙の果てではなく、今見えている光ですら人の短い時間では果てが無い。
その事に恐怖を覚えたのだ。
スラスターを操作して皆がいる場所に移動する。今は何となく宇宙に1人でいるというのが嫌だ。
しかしそれでも、光と闇の美しさに魅せられる気持ちは否めなかった。