王命で結ばれた婚約を破棄ですか? 頭の中がお花畑の王子は愛で世界を救う
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レーヴェン王城の大ホールでは、創国記念日を祝う大規模な舞踏会が開かれ、王都近隣の貴族だけでなく辺境伯まで集まっていた。
王の祝辞が終わると場が一体となったかのような拍手喝采が起こる。
その波が収まった矢先に第三王子のアルベルトが高らかに宣言した。
「本日をもって、エレオノーラ・クラウゼンとの婚約を破棄する!」
水を打ったような静けさが、辺りを包んだ。
しかし、その沈黙は驚きからでも、怒りからでも、呆れからでもない。
会場のほとんどの貴族たちの頭の上には疑問符が浮かんでいた。
豪奢なドレスを軽やかに動かし、王子と対峙するエレオノーラ。
「殿下、婚約破棄の理由をお聞きしても?」
「私はミーナ・ベルを愛している。平民ではあるが、勉学に優れていて、飲み込みも早い。それに私が唯一自然に振る舞える女性だ」
それを聞いて、みるみる青ざめていくミーナ。それを見たエレオノーラは、王子に視線を戻して話を続ける。
「殿下⋯⋯、この婚約は王命だとご存知ですか?」
「もちろんだ!」
会場内には、二回目の巨大な疑問符があちらこちらから上がる。
ミーナは膝が床につきそうなほど、身体を低くして殿下の前にやってくる。
腰を折るようにして、深々と頭を下げる。
「発言をお許しください」と震える声のミーナ。
「許可しよう」と元気に答える王子。
「たしかに王子との結婚は夢ではありますが、私も夢見る少女の年齢ではございません。私が王子と結婚できないことは承知しております」
その奥から静かに、そして着実にこちらに近づいてくる人物がいた。
この会場内で唯一、疑問ではなく呆れと怒りを抱いている人物だった。
「いつから王命を取り消すほど、お前は偉くなったのか?」
会場内の空気が一気に張り詰める。
それは息をするだけでも目立ちそうなほど、息苦しい。
アルベルトは目を見開きながら狼狽している。
「⋯⋯父上」
「今この場では陛下と呼べ、アルベルト」
「陛下、それでも私は彼女を愛しております」
王は呆れるように長い溜息をついた。
「馬鹿につける薬はない」
王が片手を上げると、どこからともなく魔導師たちがアルベルトを取り囲んだ。
「非常に残念だよ、アルベルト」
「何をなさるおつもりですか?」
「人間界から追放する」
アルベルトは目を見開いた。
王の言葉が終わった直後、魔導師たちは魔法の杖をアルベルトに向けた。
稲妻のような光がアルベルトの身体を包む。
アルベルト周辺には大きな転移魔法陣が現れた。
その光が消える前にアルベルトは王城から消えた。
* * *
アルベルトは遠くの森に転移させられた。
人間界から追放かと思っていた矢先に、自分がゴリラに変身させられていることに気がついた。
全身を覆う、とんでもない量の体毛。腕を撫でれば、まるで絨毯のような肌触りだった。
手も足も顔も、見えるところはすべて黒い。
もう一つ言うなれば、顔は見事なまでに平べったい。
それから声も獣っぽい。野太く漢らしい。
「ふむ⋯⋯」は『ごふぅ』になる。
叫べば、魔王のような咆哮が出る。
(なかなか強そうな雰囲気があるな)
そんなことを呑気に考えていると、アルベルトは倒れて動けなくなった。
アルベルトの身体の力がみるみる抜けていく。
(なんだ⋯⋯? 俺は死ぬのか?)
ぐうぅとアルベルトのお腹が悲しく嘆いた。
アルベルトは力なく空を眺めていた。
誰かに肩を叩かれた。
アルベルトは目を瞑っていたことに気がつく。
メスゴリラが葉を抱えてアルベルトを見下ろしている。
そしてアルベルトの口元に草を押し付けようとしてくる。
「猿はバナナを食べるのだろう?」
そう主張したつもりだったが、実際に口から出たのは『ウホウホ』という声だけだった。
当然、通じない。
それでも草の青々とした匂いがなぜか美味しそうに感じた。
アルベルトは口を開けてみる。
ガサガサとした草が口に入る。
『⋯⋯!?』
口の中には爽やかな草の香りが広がり、かすかに甘みを感じる。
柔らかい葉は甘みが強く、パリパリと乾燥した深緑の葉は、噛むほどに深い味わいがある。
(もっと欲しい)
アルベルトが起き上がって葉を貰おうと手を伸ばした。
アルベルトが握ったのはメスゴリラの手だった。
これがルルとの出会いだった。
* * *
あの日、ルルは急いで葉を置いてどこかへ行ってしまったが、追加の葉を取りに行ってくれたのだと分かった頃には、ルルの瞳が可愛いなと感じていた。
ゴリラに変わったときから、身体も味覚も好みもゴリラになったんだとアルベルトは思った。
それにしてもルルはアルベルトによく尽くしてくれる。
いつも葉を持ってきてくれたし、寝床の作り方も教えてくれた。
そして側にいてくれた。
少しずつ彼女が手話らしきものを使うことに気がついた。
それを覚えた頃に、彼女の名前がルルなのだと知った。
ルルはアルベルトがついてきた日、目を見開いて驚いていた。
今ではルルと一緒に葉を探しに行く。
寝床を一緒に作って二人で雑魚寝する。
夜空に浮かぶ数多の星を眺め、ルルに星たちの話をする。
『星にもお話があるのね、素敵だわ』
『君が望むなら他の話もあるよ』
こんな生活も悪くないなとアルベルトは思った。
アルベルトはある時、手のひらで胸を叩いて音を出すドラミングがあることを思い出した。
(ルルに格好良いところを見せよう)
ルルの隣でアルベルトは手のひらで胸を大きく叩いた。
アルベルトのドラミングは森に響く。
ルルが喜んでくれることを願って。
なんとなくルルが微笑んでいるように見えて嬉しかった。
しばらくするとゴリラたちが集まってきた。
(ドラミングで集まってきてくれたのか!)
ルル以外にもゴリラがいることに胸が踊る。
いろんなメスゴリラがいて、じっと眺めてしまう。
右にいる彼女は毛深いがつぶらな瞳が可愛らしい。
左にいる彼女は顔も身体もゴリラだが、手がとても美しい。
だが、アルベルトはルル以外に目移りすることはなかった。
アルベルトの大きさに及び腰になっているオスゴリラがいた。
今にも逃げ出しそうな様子。
肩を組んで引き止めた。
『ブラザー、逃げるな。メスゴリラも何頭もいるだろう? 俺はアルベルト。隣のルルだけで十分だ』
それから家族が増えた。
ルルは相変わらず隣にいてくれるし、働き者のララ、ネネ、リリたちにスカイもいる。
スカイは積極的に手伝ってくれる青年だ。
アルベルトは頼られる嬉しさを知ったのだった。
ある夜、アルベルトは少し考えていた。
アルベルトは家庭教師から魔法の授業を受けていたもののサボっていた。
第三王子の立場など、期待されない。
だから書籍は読んだが、実践は何もしなかった。
家庭教師も魔導師も無理強いはしなかった。いや、アルベルトに期待していなかったのだ。
でも今は守るべき相手がいる。
『アルベルト、どうしたの?』
『実は──』
アルベルトはすべてを話した。
自分がゴリラじゃなかったと言ったら、ルルはなんと感じるだろうか。
それでも話を遮らずに聞いてくれた。
自分が愚かな王子だったこと。
ルルが好きなこと。
この群れを守っていきたいこと。
『それで、俺は魔法を覚えようと思っている』
つまらないと思って、家庭教師にいくら言われても、魔法陣を描くこともしなかった。
だが、書籍はすべて覚えている。
アルベルトは地面に木の棒で書き出して、魔法の成り立ちを理解することにした。
知識としてはあったが、理解していくと、結びつきが分かってくるようになる。
ただの模様だと思っていたものに規律と法則があることが分かる。
小さな魔法陣。
アルベルトとルルの顔が浮かび上がるほどの小さな橙色の炎が魔法陣から出現した。
驚いたのも束の間、すぐに暗闇に戻った。
二人はウホウホと笑い合う。
アルベルトは毎日魔法陣を描くことにした。
手のひらくらいの小さなものだったのが、今では自分がすっぽりと収まるほどの魔法陣が描けるようになった。
水柱がジャングルの細長い木を通り越していく。
それが雨のように広範囲に飛沫を上げた。
『ルル、見てごらん』
ルルが空を見上げた瞬間、水柱が上から降ってきた。
アルベルトはルルを自分の身体で包み守る。
ザパーッ!
勢いよく浴びた水にルルもぐっしょりと全身が濡れた。
アルベルトは頭を掻きながら謝るしかなかった。
『ルル、ごめんな』
『ふふっ、いいのよ。あなたの腕の中に入る理由になるのなら、また水で濡れてもいいかも』
このあと、嬉しさのあまりアルベルトがジャングル中に響き渡るドラミングをしたのは無理もない。
* * *
夜に焚き火の代わりに魔法陣で火を起こし続けるのにも慣れてきた。
この魔法陣は一度作ると、何度も炎を呼び起こしてくれる。
アルベルトが作り上げた新魔法だ。
ベッドは枝と葉を駆使して快適になった。
スカイには『兄貴』と慕われ、女の子たちにも『頼れるリーダー』と言ってもらえるようになった。
それだけじゃない。
一番はやっぱりルルの笑顔。
目を細めて柔らかな表情を見せるルルのために雷で擬似花火みたいなものを出せるようになった。
『この時が止まればいいのに』
そう言って喜んでくれた彼女に何度だって見せたいと、アルベルトは固く決意したのだった。
* * *
ところがある日、森の様子が変だった。
昼間だというのに薄暗い。
それだけじゃない。
虫の気配がしなかった。
鳥の姿も見ていない。
なんとなく不安に駆られる群れのゴリラたちが集まっていた。
それは一瞬の出来事だった。
ジャングルの空に、巨大な魔法陣が出現したと思ったら、黒いローブを着た集団が現れた。
『あれはカルヴァニア帝国の影の魔導師団か』
圧倒的な力で小国や未開の地を蹂躙し飲み込んでいくカルヴァニア帝国。
その裏には影の魔導師団の存在が必ずあった。
アルベルトは初めて目にしたが、影の魔導師団だと直感した。
容赦なく唱えられる魔法。
アルベルトは直感的に魔法陣を描く。
彼らの杖からは閃光が放たれ、こちらに向かってくる。
息を呑んだ。
爆音が耳を劈く。
それでも無風だった。
間一髪、魔法陣から作られたシールドがアルベルトと群れを守った。
容赦ないカルヴァニアの残虐さにアルベルトの血は煮えたぎる。
瞳は赤く光る。
敵に狙いを定めた。
アルベルトは空中に魔法陣を描く。
青白い光を放ち、津波のような水が敵を襲う。
豪雨のような水がジャングルに降り注いだ。
水を浴びた草木と、濡れた土の匂いが辺りに立ちこめる。
配置を崩しながらも、敵はこちらを見ている。
その様子を見て、違う魔法陣をアルベルトは描く。
(水が来たということは、次は必ずあれが来る)
敵の杖からは火花が散ったと思ったら、炸裂音と共に雷がこちらに向かう。
あまりの速さにアルベルトも動けない。
アルベルトがすでに描いていた魔法陣は巨大な土盾になる。
雷は轟音とともに土盾へ吸収された。
アルベルトは左右に魔法陣を描く。
土盾が崩れるのと同時に、逃げ場のない劫火が敵を襲う。
瞬く間に敵は炎に飲み込まれた。
炎の眩しさと熱でアルベルトは目を細めた。
肌にひりつくほどの炎である。
そして、炎が引いていく。
焼けた木々から立ち上る焦げ臭さが、辺りに充満する。
だが、空にはすべてを包み飲み込みそうな闇の大魔法・虚穴が完成していた。
魔導師たちによる集団魔法だ。
(あれは小国・メリンダーラを一瞬にして無に還したという闇の大魔法か)
そのとき、アルベルトの腕が後ろから引かれた。
振り返る。
ルルだった。
諦めた顔。
それでも穏やかな顔だった。
最後の一瞬まで愛したひとといたい。
そうルルが伝えてくるようだった。
虚穴の影で辺りは暗くなる。
アルベルトはルルを腕の中に引き寄せた。
その手に力がこもる。
アルベルトの瞳には強い希望が光っていた。
『ルル、俺たちは終わらない』
アルベルトは叫ぶ。
『再撃!!』
先程、描いた魔法陣が再び浮かび上がった。
水、土、炎の魔法陣はそれぞれ光り始める。
先程の比にならないほどの魔法が繰り出された。
轟音で何も聞こえない。
それでも光を飲み込む闇が押されていく。
そして爆発した。
強風が吹き荒れ、身体が左右に大きく揺れる。
アルベルトは無意識にルルを庇うように身体を覆った。
アルベルトはルルを守ることに必死で何も考えられなかった。
しばらくして、アルベルトはようやく顔を上げた。
辺りは静かになった。
いつもの夜。
彼らはいなくなっていた。
* * *
アルベルトたちは宴を開いた。
ただ喜び手を叩いて、葉を食べるだけ。
それでも守り抜いたアルベルトを称えた。
ルルは慈しむような目をしていた。
(あぁ、あの顔を見れただけでいい)
アルベルトは心に何度も彼女の瞳を焼き付けたのだった。
だが、次の日からルルは積極的に魔法を知りたがる。
彼女も群れを守りたいのだろう。
アルベルトは防御魔法を教えた。
アルベルトが描いた魔法陣が何なのか、熱心に聞いてくる。
『これは転移魔法陣だから難しいよ。座標を入れないといけないし』
『そうよね』
ルルはすぐに諦めてくれた。
アルベルトは自分の少し後ろに座標一覧表を描いているのをすっかり忘れていた。
そこにはもれなくカルヴァニア帝国の座標も描かれていた。
それからしばらくルルは魔法について聞かなくなった。
またいつもの日常が戻ってきた。
枝を敷き詰め葉を何枚も重ねたアルベルト特製ベッドは見た目以上に柔らかくて快適だった。
ベッドに横になる二人。
『ねぇ、アルベルト。あなたが思う一番強力な魔法は何だと思う?』
珍しくルルはアルベルトに魔法について聞いてきた。
(ルルはすっかり忘れたものだと思っていたのにな)
『一番強力か⋯⋯』
アルベルトがカルヴァニア帝国の影の魔導師団を倒したとき、炎・水・土の魔法陣を混ぜて闇の大魔法に打ち勝った。
(もし炎・水・土に雷を混ぜれば、世界を滅ぼす大魔法になるだろう)
アルベルトはルルの瞳を覗き込んだ。
アルベルトの瞳も優しくなる。
(でも俺はもう知っている。一番強力な魔法は、“あれ”だ)
アルベルトはルルの手のひらに指を滑らせる。
ルルはその指の動くさまを見入っている。
『アルベルト⋯⋯これは?』
『俺が知っている一番強力な魔法さ』
しばらくして、アルベルトはルルと一緒に眠りに落ちる。
アルベルトの寝息が聞こえると、ルルは静かに立ち上がった。
* * *
ルルは静かに木をかき分けてあるところへ向かっていた。
それは洞窟。
中にはいくつもの失敗した魔法陣。
ルルはある魔法陣を指す。
『これは──』
炎の魔法陣。
水の魔法陣。
土の魔法陣。
『それでようやくできあがった雷の魔法陣。混ぜれば最強の魔法ができるのかと思ってた。でもさっきアルベルトは“一番強力な魔法”を私に教えてくれた』
ルルは炎を灯した木の枝を持ちながら、洞窟の床に大きな魔法陣を描き始めた。
大きな転移魔法陣が淡く光り始めた。
もちろん、座標は“カルヴァニア帝国”。
『私たちを滅ぼそうとした憎きカルヴァニア帝国。人間なんていなくなればいい!!』
先程アルベルトから教えてもらった“一番強力な魔法”を宙に描く。
そして、その魔法陣を床に輝く転移魔法陣へ重ねた。
淡い光に包まれ、“一番強力な魔法”はカルヴァニア帝国へと送られていった。
それを見たルルは頬を上気させた。
『やったわ、これでおしまいよ! 私たちの生活を脅かす者はいなくなったわ!!』
*
同時刻、カルヴァニア帝国の上空──。
帝国中に見えるほどの大きな何かが、空に浮かび上がった。
淡く光る何かを多くの者が目撃した。
「あれはなんだ!?」
「何かの予兆かしら?」
それは不気味にも光るハートマークだった。
帝国の民は、その日、自分たちが滅亡を免れたことを誰も知らなかった。
*
ルルは跳ねるような足取りで戻ってきた。
すぐにアルベルトの腕の中に収まる。
ルルはアルベルトの頬にキスをした。
『アルベルト、大好きよ。いつまでも一緒にいてね』
『むにゃむにゃ、ルル、愛しているよ』
王命で結ばれた婚約を破棄ですか? 頭の中がお花畑の王子は愛で世界を救う(完)
お読みいただきありがとうございました!
ゴリラが炸裂しましたでしょうか?
この作品は清坂さまの『ゴリラパーティー』参加作品です!




