スクラップ&ビルドに隠れる欺瞞。
日本語では「破壊と創造」になるだろうか。何だか格調高い言葉に聞こえるが、格好良く見えるものには注意が必要である。
効率の悪い組織・設備を整理し、新たに作り替えることを意味するが、効率の良し悪しを誰が判断するのか、そもそも効率が良いことが絶対的に正しいのかという問題がある。
この言葉の起源についてはよく知らないが、非常にアメリカ的な考え方のように思える。イギリスの植民地であった北アメリカが独立しアメリカ合衆国となったのは18世紀の後半であり、その誕生から300年も経っていない。
いわば歴史を持たない国であり、そういった国が発展していくために、古いものを壊し新しいものをどんどん作っていこうという考え方は都合が良かったのだろう。
日本でスクラップ&ビルド方式という言葉が使われるようになったのは戦後のことであり、アメリカ的な考え方を取り入れて発展しようという機運が当時はあったのではないだろうか。もちろん、それが上手く機能する場合もあるだろうが、軽々しく扱って良い考え方とはどうしても思えない。
壊したものは二度と元には戻らないということに留意する必要がある。壊すとは取り返しのつかないことなのだから、真っ先に壊して作ると考えるのではなく、今あるものを直して少しづつ新しくすることが出来ないかを検討すべきではないだろうか。
しかし、現実にはまずは壊して、そこに新しいものを作るという考え方が広まっている。建物、建築物といった設備に限らず、社会制度の改革を行う際も、スクラップ&ビルドという考え方をよく聞くことになる。政治家や実業家と呼ばれる人々が特に好んで使う言葉のようだ。
なぜこの考え方が持て囃されるのか。単純化すれば、その方が金になるからであり、また、分かりやすく成果をアピールできるからだと考える。
何かを壊すには金がかかる。金がかかるということは、そこで儲ける業種、人間がいるということである。また、今まであったものを壊す、失くすということは目に見えた結果として、人々に強烈な印象を与えることになる。さっきまでそこにあった建物が一夜にしてなくなれば、その結果の良し悪しはともかくとして、それを主導した人間の仕事を分かりやすく認識することができる。そういったアピールによって利益を得る人間もいるのだろう。
それに対して、今あるものを直す、微調整するという仕事は目に見えた成果が出て来づらいものである。場合によっては仕事をしてないとみなされるかもしれない。分かる人には分かるが、大多数の人には見向きもされないということもあり得る。
しかし、本当に社会を良くしていくのは、そういった目立たない仕事、取り組みだと思うのである。
もしも、声高にスクラップ&ビルドを謳う人間が現れた場合、どういった立場の人間か、何を目的としているのかということに目を向け、その主張を疑ってみることが大切だ。
そうすることでスクラップ&ビルドという考え方の裏にある欺瞞を見つけることができるかもしれない。終わり




