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お粗末な婚約破棄

 王立アルヴェリア魔法学園の昼休み。

 降り注ぐ陽光がステンドグラスを透かし、食堂の床に色鮮やかな幾何学模様を描き出している。高貴な血を引く者たちが集うこの場所で、その事件はあまりにも唐突に幕を開けた。


「――リリアナ・フェルディア! 貴様との婚約を、本日この場を以て破棄する!」


 食堂の中央、大理石の床を軍靴で鳴らして立ったのは、この国の第1王子、レオンハルト・フォン・アルヴェリアであった。

 カラン、と誰かがフォークを落とす音がした。ざわめきが波紋のように広がり、数百の視線が一箇所に集中する。

 私は口に運びかけていたスープを一口飲み、静かに、優雅に匙を置いた。


(……予定より、3日ほど早かったわね)


 胸中で呟く。背後に控える側近たちが、騎士団の許可なく剣の柄に手をかけている。これは単なる痴話喧嘩ではない。王家を後ろ盾とした、公爵家への宣戦布告。その裏で、最近国境付近で蠢いている黒い影の資金源が、この学園内の不自然な金の流れに直結していることを私は知っていた。


「理由は明白だ! 説明してみせろ、リリアナ!」


 レオンハルト殿下は、私の目の前で傲慢に指を突き出した。その隣には、桃色の髪をなびかせ、怯えた小動物のように肩を震わせる少女__聖女候補、ミレイユ・ローズが寄り添っている。


「わ、私……怖くて、ずっと言えませんでした。でも……」


 ミレイユは潤んだ瞳で私を見上げ、大粒の涙を零した。


「リリアナ様に呼び出されては、『平民の分際で殿下に近づくな』と何度も教科書を破られ……魔法の実習でも、私にだけ殺意のこもった攻撃を……っ!」


「なんと卑劣な!」

「聖女候補をいじめ抜くとは、高慢ちきな令嬢め」

「侯爵家の面汚しだな……」


 周囲の生徒たちの声が変わる。正義感に駆られた者、便乗して嘲笑う者。

 私は周囲の反応を観察しながら、冷静に思考を巡らせた。ミレイユの手元、袖から僅かに覗くブレスレット。あれは失われたはずの古代呪具__精神を惑わす『誘惑の宝珠』ではないか。王子の瞳に宿る不自然な濁り、そして一部の貴族たちが不気味に沈黙している理由。


 すべてが、1つの陰謀へと繋がっていく。


 私は立ち上がり、感情を削ぎ落とした仮面を被って静かに尋ねた。


「殿下。聖女候補の言葉だけを鵜呑みにされるのは感心しませんわ。……証拠は、ございますか?」


 すると殿下は、待っていましたと言わんばかりに顔を歪めた。


「証拠など必要ない! 彼女がこうして傷つき、泣いている。それこそが、貴様の悪逆非道を示す何よりの真実だ!」


 食堂に轟く声。あまりの論理の飛躍に、私は心底落胆した。

 かつて、幼い頃に「知的な君が好きだ」と笑ってくれたあの聡明な少年は、もうここにはいない。目の前にいるのは、偽りの聖女が振り撒く媚薬と、甘い嘘に脳を焼かれた道化師に過ぎない。


__ああ、この人はもう手遅れなのだ。


「……左様でございますか」


 私は深々と、隙のない淑女の礼を捧げた。


「婚約破棄の申し出、謹んでお受けいたします。フェルディア侯爵家は、今この瞬間を以て、王家とのすべての契約を白紙に戻させていただきますわ」

「……は?」


 勝ち誇っていたはずのレオンハルト殿下が、呆けた声を漏らした。

 私が泣き叫び、縋り付くとでも思っていたのだろうか。そうだとしたら、なんと幼稚なことか。


「承知いたしました、と申し上げたのです。これ以上、殿下の尊いお時間を私のような『悪女』のために割く必要はございませんでしょう?」

「……君は、弁明もしないのか?」

「必要ありません。真実は語るものではなく、明らかになるものですから」


 私が淡々とそう告げると、ミレイユの口角が一瞬だけ、嘲笑を浮かべて吊り上がったのを私は見逃さなかった。

 勝ち誇りなさい、今は。


 私は鞄を手に取り、騒然とする食堂を背にした。

 出口で、1人の青年が壁に寄り添って立っていた。騎士科の次席で、密かに私の動向を探っていた学園の監視役の1人。彼は驚愕に目を見開き、私と視線が合うと、弾かれたように顔を伏せた。


「……リリアナ様、正気ですか」


 すれ違いざま、彼にだけ聞こえる声で囁く。


「3日後、この国は少し騒がしくなるわ。……あなたは、どちら側に付くのかしら?」


 驚く彼を横目に、私は1歩も止まることなく食堂を後にした。



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