2人の訪問者
ウルはアーリックの熱の残る距離から、ようやく一歩だけ後ろへ下がった。
その瞬間、すっかり日が暮れて、さらりとした夜風が肌に触れた。
さっきまでどれほど近かったのかを思い知らされる。
「……帰る」
できるだけ平静を装って告げたが、アーリックの声はその裏を見透かしていた。
「送ってく。危ねぇからな」
反論しようとした瞬間、胸の奥がひゅっとつまる。
――あの距離を思い出しただけで、呼吸が乱れる。
「……勝手にすれば」
ふてくされたように言って歩き出すと、音もなく彼の影が横へ寄り添った。
その気配に、ほんの少しだけ安心してしまう。
潮風がふたりの間を細くすり抜けていく。
会話はなく、ただ足音だけが石畳を叩いた。
(落ち着け……ただ指輪がほしいだけ。深く考えないで)
ちくりと胸が痛いのを無視し、社のそばにある自分の家へと近づく。
――そして。
角を曲がった瞬間、ウルの足が止まった。
社の前に、見知らぬ二つの影が立っていた。
ひとりは背の高い男。黒い外套をまとい、鋭い眼差しで社を見据えている。
もうひとりは細身で、巻物を開きながら、ウルの家と社を何度も見比べていた。
ふたりとも、ただ者ではない冷たい気配をまとっていた。
(……誰?)
息がひゅっと吸い込まれるより早く、アーリックの手がウルの肩を引いた。
その表情は、さっきまでの軽いものではなく、戦場の鋭さを帯びている。
「ウル。下がれ」
低く、ひりつく声。
その頼もしさに、思わず体が従う。
その時、背の高い男がこちらに気づき、ゆっくりと首を傾けた。
「……戻ったのか、巫子みこ」
妙に滑らかで、感情の読めない声。
アーリックは一歩前へ出て、ウルを庇うように立つ。
「ウルに何の用だ」
外套の男がフードを上げ、素顔を見せた。
「お前こそ……誰だ」
その声に、ウルの胸が跳ねた。
(………!)
「シキ!!」
弾かれたように叫ぶと、アーリックの瞳が驚きに揺れた。
ウルは今まで見せたことのないほど明るい表情で、二人へ駆け寄る。
細身の方も顔を上げ、ぱっと花が咲くような笑顔を向けた。
「ウル姉様!!お元気でしたか?」
「アワネ!心配しなくても大丈夫。アワネこそ、体調はどう?」
その瞬間、張りつめていた空気が一変し、
アーリックだけが状況をつかめずに取り残された。
⸻
「二人とも……どうしてここに?」
ウルは駆け寄りながらも手を伸ばさない。
けれど声には隠しきれない安心が滲んでいた。
シキと呼ばれた男は、碧い瞳を細める。
「アワネ様が、ウルに会いたいと言ってな。
どうしても“今”がよいと……こんな時間にすまない」
細身の女――淡音も続く。
「急に、ウル姉様の周りの事象が読めなくなってしまって…その…
気になって……来てしまいました。」
「そっか……ありがとう。
でも本当に大丈夫。社も、私も」
そう言ってウルが微笑むと、アワネは胸に手を当てて大げさに安堵した。
「よかったぁ……!
シキなんて来る途中ずっと黙ってて。すごく緊張してたんですよ」
「アワネ様が“今でなければ”と神妙におっしゃるから……」
シキが短く言うと、アワネは肩をすくめて苦笑した。
そのすぐ後ろで――
アーリックが眉を潜め、完全に置いていかれたまま立っていた。
(……誰だよ、こいつら)
視線がウルの後ろから二人を観察する。
そこには明確な警戒と、得体の知れないざらつきが混じっていた。
ウルはようやくアーリックの様子に気づき、振り返る。
「あ、えっと……アーリック。
この二人は、昔からの知り合いで……」
説明しようとしたが、言葉がまとまらない。
アーリックはゆっくり一歩前へ出た。
「……で? ウルになんの用で来たんだ」
その声には穏やかさの欠片もない。
シキが鋭く視線を返す。
「あなたに説明する義理はない」
その瞬間、空気が一段重く沈んだ。
――カラン。
風鈴でもないのに、社の方から澄んだ音が鳴った。
ウルの心臓がひくりと跳ねる。
(……縁切り様……?
こんな時に……?)
夜気とは違う透明な冷たさが境内に満ちていく。
シキとアワネは自然と姿勢を正し、アーリックは社を振り返った。
ふっと闇が揺れ、白い衣が静かに姿を現す。
足音もなく、ただ存在だけが近づいてくる。
「……騒がしいな、ウル」
縁切り様の声に、ウルは思わず息をのんだ。
普段は決して姿を見せない神が、なぜか自ら現れた。
アワネとシキはすぐに頭を垂れた。
だがアーリックだけは――
驚きながらも一歩も退かず、ウルの横で縁切り様を真正面から見据えていた。
その瞳には、わずかな“面白がる光”が宿っている。
ウルには届かないほどの小さな息で、アーリックは喉の奥で笑った。
縁切り様は四人を見渡した。
「四つの縁が、夜更けに重なり合うとは……尋常ではない」
星読がウルに向き直る。
「ウル姉様……実は、“会いたくなった”のもそうなのですが……星渡様が動きだしました…」
アーリックだけが理解していない。
だが――好奇心が勝っていた。
「星渡? 神託?
……お前ら、平然と面白いこと言うよな……」
軽く呟いたあと、その瞳は真剣に三人を追った。
アワネは胸元のお守りに触れる。
「星渡様は“未来の揺らぎ”を感じると、巫女である私に神託を渡します。
それが今夜、急に降りてきまして。
“ウル姉様の縁が揺らぐ”って」
ウルは小さく息を呑む。
シキが巻物を持ち上げる。
「……アワネ様が動くのは、神の兆しがあったときだけだ……」
縁切り様が深く頷いた。
アーリックはぽつりと呟く。
「……縁だの神だの、さっぱりだが……」
そしてニッと口角を上げる。
「ウルのことなら、ぜひ教えてほしい」
縁切り様が目を細める。
「お前は……混乱を恐れぬのだな。
むしろ“未知”を楽しむ気配すらある」
アーリックは肩をすくめた。
「まぁ……悪くはねぇ。
ただ、よく分からないまま巻き込まれるのは趣味じゃない」
縁切り様は静かに頷く。
「ならばよい。
今夜ここに集まったのは、偶然ではない」
夜風が四人の間をすり抜け、
見えない糸が静かに揺れた。




