表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/19

影が縁を侵し始める頃②

その日、ウルはいつも通り、

縁切り様と海から流れ着いた縁の糸をほどいていた。


(今日は、あの男の姿はない…)  


「……この縁は、短く終わるな。」

縁切り様の落ち着いた声が、潮騒に混じって響く。


ウルは頷き、手の上の光の糸をそっと払う。

すると新たに、別の細い縁が指先に触れた。


──冷たい。


「……あれ?」


「どうした、ウル。」


「いえ……最近、少し変なんです。」


縁切り様は静かに目を細める。

ウルは、指先に残る違和感を確かめるように糸をつまんだ。


光の糸に、ほんのわずかだが“濁り”が混じっている。


色でいえば、淡い灰のような。

澱が沈んでいるような。


普段ならありえない。

縁は、切れかけのものでも透明に近い色をしているはずだ。


「町の縁が……重たく感じるんです。」


思わずこぼれた言葉に、

吹き抜けた海風がひどく冷たく感じた。


縁切り様は答えず、静かな眼差しでウルを見つめていた。

沈黙が、逆に肯定のように思えた。


見れば、外をゆく人々の縁も、

どこかくすんでいるように見えた。


「穏やかなはずなのに……どこか濁っていて。

 絡まり始めているような……そんな気が。」


「気づいたか。」


縁切り様の声が少しだけ深くなる。


「この町の“底”が動いている。

 まだ誰も気づかぬほど、静かにな。」


ウルの胸の奥がざわついた。


「……何が起きているんですか?」


「まだ姿を見せる段ではない。

 けれど──縁の濁りが広がりつつある。」


縁切り様は、ウルの手から糸を取り上げ、

その濁りを確認するように指でゆっくりと払った。


そして、小さく息をつく。


「……やはり、お前の力は確かだな。

 歴代の巫女の中でも、“濁りの兆し”にここまで早く触れた者はおらぬ。」


ウルの指がぴくりと揺れた。


「わ、わたしは、ただ……感じただけで……」


「感じられることが、すでに才だ。

 ──ウル。お前ほど“縁そのもの”と近い巫女は、かつていない。」


縁切り様の声音は静かだったが、嘘や慰めの気配は一切なかった。


「この町の変化を最も早く察するのは、お前だ。

 ……“見過ごすな”。」


その言葉に、ウルの背筋が震えた。


外では、子どもが笑い、大人たちがいつも通りに働いている。

けれどその足元で、不自然なほど細い糸が、

じわりと町中に伸びているのが見えた。


まるで、誰にも気づかれないように。

静かに、静かに、毒が染みていくように。


ウルはその濁りの方向へそっと目を向けた。

港の方角だった。


胸の中で、理由のわからぬ不安がゆっくりと膨らむ。


(……何かが動き始めている)


―――――――――――――――――



胸の奥に生まれたざわつきが、静かに波紋を広げていく。

その濁りが向かう先は──港。


まるで誰かが意図的に、

“港から町へ縁を濁らせる細い糸”を這わせているように見えた。


「……行くべき、ですね。」


呟くと、縁切り様は短く答えた。


「港には、まだ“形にならぬ影”がある。

 見極めよ。ウル。」


その言葉に押されるように、

ウルは祠をあとにし、港へ向かって歩き出した。


海から吹く風の温度まで、どこか変わっている気がした。


―――――――――――――――――



同じ頃。港の荷揚げ場。


港の朝は、海賊にとって都合がいい。

荷役に紛れれば、堂々と船腹の中身を覗ける。


アーリックは、縄の結びを確かめるふりをしながら、

積まれた木箱を片手で軽く揺すった。


(……重さが違う)


記載は「干し魚」。

だが、揺れ方が違う。もっと細かい何かが詰まっている重み。


「おい、そっちの荷、急ぎだ!」


荷主の男が声を荒げる。

急がせる割に、目はやたら泳いでいた。


(普通の商人なら、重さをごまかす必要はねぇ)


アーリックは気づかれぬよう、木箱の角に指を滑らせた。

新しい木。急拵えの箱だ。

にもかかわらず――麻縄の締め付けだけ異様に厳重だった。


(見られたくねぇもんが入ってるときの仕舞い方だな)


港の匂いに混じって、淡い甘さが漂う。

潮でも魚でもない。


チッ

と思わず舌打ちをした。


甘ったるくて、鼻の奥がざわつく匂い。


(……まさか、この港でか)


さらに気になることが続いた。


・見知らぬ顔の船が増えた

・夜の出入りが妙に早い

・漁師のひとりが、目がうつろで足元がふらついていた


どれも小さな異変だ。

だが――海賊は“臭うもの”に敏い。


(誰かが、この町で“商売”を始めやがったな)


縄を締め直すふりをしながら、アーリックは周囲をぐるりと見回した。


その瞬間──

港の出入り口側で、数人の男たちがバタつくように歩くのが見えた。


粗野な雰囲気。

西の領主に仕える者のしるしが、外套の端に小さく縫い込まれている。


(なんであいつらが港に……?)


ほんの一瞬、目が合いかける。

アーリックは無意識にキャップを深くかぶり、

荷役のひとりを装って肩を回した。


男たちは港の奥を一度見やり、

何ごともなかったかのように引き返していく。


しかし、彼らの足跡を追うように、

さっき感じた“甘い匂い”が、まだ風の中に残っていた。


(……厄介なもんが動いてるな)


胸の奥が鈍く疼いた。


昔、船で運ばれていた“禁制品”と、似た匂い。

思い出したくもない種類の荷。


だが、港の者たちは何も気づいていない。

普段通り働き、笑い、汗を流している。


(おかしい。気づかねえはずがないのに……)


アーリックの中で、軽い警戒が深い疑念へ変わり始めていた。


―――――――――――――――――



ウルが港へ着いたのは、

まさにアーリックが木箱を見て眉をひそめた少しあとだった。


海岸で見た“濁った細い糸”が、

港の地面に触れた途端、さらに濃く重たくなる。


(……ここだ)


ウルは胸の前で小さく手を合わせ、

縁の気配を探るように目を閉じた。


周囲の人々の縁は、

さっき祠で見たときよりも、明らかにくすんでいる。


短い会話、笑い声、荷車の音──

そのすべての後ろで、細く黒い縁が静かに波打っていた。


(何かが……流れ込んでいる)


ウルの指先が震えた。

その濁りが、港の奥の方へまっすぐ伸びている。


そこはまさに──

アーリックが木箱の前で立ち止まった場所だった。


―――――――――――――――――



互いの存在にまだ気づかないまま、

ウルは縁の濁りへ、アーリックは匂いの正体へ向かって歩き出す。


全く別の理由で。

だが同じ一点へと。


交差の気配だけが、

港の風にじわりと揺れていた。


―――――――――――――――――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ