迷信と海賊
港の酒場。
アーリックは喧騒の隅で、情報屋の対面に静かに腰を下ろした。
「“縁を断つ指輪”……持ち主に心当たりは?」
情報屋は言いにくそうに口を歪める。
「……この町の娘です。潤ウルという」
その名が出た瞬間——
店内のざわめきが、ぴたりと止んだ。
(ふむ……名前ひとつで“空気が変わる”か)
アーリックの瞳に、興味の色がかすかに灯る。
何人かは席を立ち、
残った者は視線を逸らすか、深く酒杯に沈んだ。
(表情・仕草・動き。全部“拒絶”……いや、“恐怖”だな)
アーリックは周囲の反応を一瞬で読み取った。
「その娘、何をした?」
淡々と尋ねると、情報屋は小声で言った。
「ウルは……縁の糸が見えるんです。
触れなくても、人の縁が切れるのを見る、と……」
背後の男が吐き捨てる。
「見られただけで、縁が千切れる。
あんたも気をつけな」
アーリックは鼻で笑った。
(“事実”を語っていない目だ。
これは“思い込み”だな)
理屈ではなく感情で拒んでいる群衆。
だがその感情は妙に統一されていた。
(町ぐるみで同じ反応……
つまり“意図的に植え付けられた”恐怖だ)
アーリックの視線が鋭く細くなる。
(誰が? 何のために?
——そこが本命だ)
「市場で夫婦の縁が切れたと聞いた」
「ええ……あれはウルが近くにいたせいで……」
情報屋が言い終わる前に、アーリックは静かに断じた。
「“偶然”か“拡大解釈”だ。
その程度で人間の縁が切れるなら、海は死体で溢れてる」
情報屋が息を飲む。
アーリックの目は冷静そのものだった。
(この町……閉じているというより、“縁”を理由に思考停止している)
(この国の閉鎖性は、“異物”を排除して保たれたもの。
ウルはその最たる犠牲ってわけか)
「案内しろ」
低い声で告げる。
「俺がその娘に会いに行く」
酒場の客たちが凍りついた。
“関わるだけで不幸を招く”という迷信を信じきっている目。
だがアーリックは歩き出しながら、小さく呟いた。
「迷信でお宝を捨てるほど、俺は馬鹿じゃねぇよ」
そう内心で冷たく笑い、
彼はウルのもとへ向かった。
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潮の匂いがいつもより濃い夜だった。
古びた社の前で、私は縁の糸の光をそっと両手に包んでいた。
(……帰そう)
ほどかれた魂は、淡い光となって闇に溶けた。
ぽつ、と火花が弾けた。
顔を上げると、社の外に松明が三つ。
いつの間にか、逃げ道が塞がれている。
「……っ」
胸がぎゅっと縮んだ。
足が震える。
それでも社の奥に逃げ込む気にはなれなかった。
闇の向こうから、低い声が落ちる。
「やっぱりここか……それが、お前の力か」
男が一人、ゆっくりと現れた。
夜目にもはっきり見える金髪。刈り揃えられた短髪が松明の光を受けてちらちら光る。
日に焼けた肌に、海風で鍛えられたような筋肉。
深い緑の瞳がまっすぐ私を射抜いた。
(……この人、怖い)
呼吸が浅くなる。
けれど、目を逸らすことができない。
男は歩みを止め、私の手元へ視線を落とした。
黒檀の指輪が、脈を打つように熱を帯びて光る。
緑の瞳が僅かに細められる。
「……何を見てる?」
「あなたの……縁」
言った瞬間、少し後悔した。
逃げたいのに、逃げない自分がいた。
男は短く息を吸った。
驚きか、警戒か、判断がつかない。
でも——その目は、縁など信じていないかのように冷ややかな目をしている。
背後の松明の気配がじわりと広がる。
誰かが私を囲んでいる。
息を潜めた敵意が、空気を重くした。
「その指輪を寄越せ」
低く、荒い声だった。
海の男特有の強さと、言い慣れた命令の響き。
私は首を振った。
「……嫌」
その言葉に、闇が一瞬揺れる。
誰かが踏み込もうとした。
だが彼——アーリックは剣を抜かなかった。
短い金髪が風に揺れたまま、低く言う。
「下がれ」
その一言で、周囲の気配がほんの少しだけ引いた。
男の言葉には、乱暴さがあるのに、妙な“納得させる力”があった。
アーリックは私を見据えたまま続ける。
「今奪えば、ただの飾りだ。
使い手が分からねぇ力は、重りみてぇなもんだ」
乱暴な言葉なのに、理屈は正確だった。
胸の奥が熱くなる。
アーリックは顎を少しだけ上げ、指輪ではなく“私”を見た。
(……この人、恐ろしいほどまっすぐ人の目をみる)
「それに。
力を引き出せる“巫女”が持ってるなら——
奪うときは持ち主ごとだ」
息が止まる。
脅しのようなのに、不思議と“真実を述べただけ”の声に聞こえた。
荒っぽくて、頭が回って、嘘を嫌う目。
(……こんな人、知らない)
怖いはずなのに、胸がじんと熱くなる。
緊張なのか、興味なのか、自分でも分からない。
アーリックは私に背を向け、松明の光を肩に受けながら言った。
「……次は話をする番だ、巫女。
逃げてもいいが、俺は追うぞ」」
振り返らずに歩き出す。
「俺は、人を見る。
噂よりも、実際に会った人間をな」
潮風が吹き抜け、夜に静寂が戻った。
私はその背中を見送りながら、
胸の奥の震えがなかなか収まらないのを感じていた。
恐怖とは違う——
もっと複雑で熱を帯びた感情だった




