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錨を上げる理由

夜の海は静かだった。

月明かりを受けて揺れる船体の上で、アーリックは甲板の端に立ち、風の匂いを確かめた。


背後で足音がした。

馴染みの船員が声を潜める。


「カシラ……。

 例の“西の領主”の動き、またありやした」


アーリックは答える前に、無造作に髪を払った。

いつもの飄々とした雰囲気はない。

その目は鋭く、深いところで何かを計算している。


「……で。どこまで来てる?」


「手の者が、こっちの港の周りを探っているそうで。

 “縁を断つ指輪”を探してるのは確かでさぁ」


アーリックの表情がわずかにゆがむ。

笑ったのか、苦味が走ったのか判別できない。


「やっぱりな。あいつが黙ってるわけがねぇ」


船員は恐る恐る尋ねた。


「カシラ……その、“西の領主”って、そんなに因縁が……?」


アーリックはふっと目を細める。

月光に照らされた横顔は、普段の彼よりもずっと年上に見えた。


「……昔、ちょっとだけ借りを作った。

 いや……あいつに《借りを作らされた》って言った方が近いか」


「……!」


「それに、あいつとは正面切ってやり合ったら終わりだ。

 “縁”ってもんを、金にも権力にも変える化け物みてぇな男だからな」


船員の喉がごくりと鳴る。


「で、でも……カシラは、この港のことを守るつもりなんで?」


アーリックは短く笑った。

しかしその笑いは冷たく、どこか決意を帯びている。


「守るさ。

 ……あいつの安い欲得で回る世界からは、ろくなもんが育たねぇ。」


 言葉には、長い年月に染みついた苦味と、

 誰にも語らなかった悔恨が、静かに沈んでいた。



「…カシラ」


アーリックは振り返り、船員に指示を出す。


「船を張っとけ。

 西の連中が本格的に動く前に、こっちも先に手を打つ」


「了解でさぁ!」


船員が駆けていく。

アーリックは再び海を見下ろし、小さく吐き捨てる。


「……西の領主。

 今度は、俺がお前の“縁”を断ってやる」


海風が、彼の低い声をさらっていった。


船員が去り、甲板にひとり残ったアーリックは、

指先で欄干を軽く叩いた。

そのリズムは、昔いた西の領地の港で使われていた合図だ。


「……あいつら、本気で来るつもりだな」


呟く声は低く、風に紛れた。


背後で木箱がきしむ。

もう一人、古株の船員がゆっくり姿を現した。

アーリックがまだ若造だった頃から付き合いのある男だ。


「カシラ。

 お前さんの顔を見るのは長いが……こういう表情をするのは、久しぶりだな」


「俺がどんな顔してるってんだ?」


「……殺す覚悟の顔だよ」


アーリックはわずかに口の端を吊り上げた。


「間違っちゃいねぇ」


男は肩をすくめ、横に立って海を眺める。


「“西の領主”、まだあの雰囲気のままだろうな…」


「変わっちゃいねぇよ。

 欲しいもんを手に入れるためなら、

 土地も、人も、家族も平気で縁ごと潰す」


言葉に、数年分の険しさが滲む。


古株の男は目を細めた。


「……お前さんはまだあの件を、引きずってるのか」


アーリックの指が、欄干を握りしめた。


「引きずってるというより……“始末が終わってねぇ”」


「そうか」


「あいつは西の領主に使い潰された。

 “役に立たねぇ縁は切る”ってのが、あいつの常だ」


アーリックは深く息を吐いた。


「だからこそ、今回は俺が切る番だ」


古株の男は静かに頷く。


「……で、どう動く?」


「俺は陸に戻る。

 港の連中を動かして、西の息のかかった奴を炙り出す」


「カシラが直接か?」


「あぁ。あいつらに手を出されたら、あの巫女の嬢ちゃん――」


言葉が喉の奥で止まった。


昨夜の光景が、妙に鮮明に思い出される。

焚き火の薄明かりの中、まっすぐこちらを見据える強い瞳。

なのに、袖の下で握りしめた指先だけが、

堪えるように小さく震えていた。

強がりながら、それでも痛みに耐えていた顔。


――その震え方が、どうしようもなく、

昔の自分に似ていた。


権力に踏みにじられ、

声を上げる術も持たず、

それでも――

縁を必死に握りしめていた頃の、自分と。


アーリックは、ほんの一拍だけ目を伏せた。


「……あんな顔、もうさせたくねぇんだよ」


古株の男は、ゆっくり息を漏らした。


「嬢ちゃんに情が移ったってわけか?」


「情なんかじゃねぇ。

 あいつに“縁”を潰されて苦しむ奴を、これ以上見たくねぇだけだ」


言葉は荒いが、その奥にあるものは「怒り」ではなく「痛み」だ。


そのとき――

古株の男が一歩、前へ出た。


「カシラ。

 お前さんが動くなら、俺たちも動く」


気づけば、他の船員たちも影の中から現れ、頭を下げていた。


「命を預けられた日から、

 カシラの敵は俺たちの敵でさぁ」


「西の領主がどれほどの怪物でも、

 共に立つ覚悟はできております」


アーリックは目を伏せ、低く言った。


「……勝手に死ぬんじゃねぇぞ」


「はいよ。

 カシラが生きる限り、ついていきやす」


海の夜気が、彼らの誓いを包み込んだ。


―――――――――――

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