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耳をふさぎましょうか? ~幼馴染が家を出ていった理由~

作者: ひいらぎ

拝啓

 敬愛なるお父様 お母様

 芍薬が咲き誇る今日この頃。いかがお過ごしでしょうか。

 ご体調などお変わりありませんか。

 これを読んでいる今、私……。

 なんて決まり文句のようなことは割愛します。

 そんなことをいったところで何も変わりませんので。

 というかどうでもいいでしょうから。

 さて。

 手紙なぞお二人に向けて書いたことがないので何をどうしていいのやら。まだ他の領主の方へ手紙を書く方が筆が乗るというもの。

 とりあえず、現状の確認をいたします。

 今お二人のそばに私はいません。

 その点はご理解いただけていますでしょうか。

 どこを探したとしても、見つけることはできないでしょう。

 というかそもそも探してます?

 ああ……。ラシードを責めないでください。

 きっと手紙を渡されたのならもっと早く気づけというのでしょう。

 ただただ、私がラシードから借りた本に挟んだのです。

 ああ。先に伝えておきますが、直接渡すとか、執務室に置いておくとかそんなことはありえないので。だってお二人ともこの屋敷を不在にされることが多いので。いつまでたっても手紙を見つけてもらえないと思いまして。

 私は私の意思でここを出ていったことをしめしたかったので。

 どれくらいたったのか知りませんが。

 どれくらいあなたたちが探したか知りませんが。

 本当にお別れです。

 今まで、ありがとうございました。

 と表向きには伝えておきます。

 お二人のおかげで私はこの世に存在できたのですから。

 お二人のおかげで妹に出会えたのですから。

                    敬具

  

 こんなもんでいっか。

「僕が渡していいの?」

 目を通して誤字がないかぐらいは確認した。

 うん。いいでしょう。というかこれ読んだからといって、あの人たちが変わるとは思えないけれど。伝えたいことは簡単に書いてるし、こんな風に書けば、私の嫌悪も伝わるだろうし。

 適当におって、本に挟んで渡した。

「うん。頃合いをみて渡して」

「……はぁ。まぁそれが君のしたいことなら僕はとめないけど。でもどうするの?」

「どうもしない。私は私として生きるだけ。ここの家の子じゃなくなるだけだよ」


 寂しそうに、悲しそうに見ないでよ。

 私は悲劇のヒロインなんてなりたくないし、なれないから。

 ……まぁ。だからといって傾国の美女でもないから、何にもなれないんだけど。

 というかこんなこと頼まれるラシードのほうがかわいそうか。いきなり手紙書いたから渡してほしい。で私はいなくなるから。あとよろしく。なんて。そんな雑なわがままを聞いてくれるなんて。

 近くに住んでるから、いっしょにすごしてきたけれど。

 もしかしてこいつおかしいのかもしれない。説明した以上のこと、聞いてこないし。まあ聞かれても困るんだけれど。

 ……そういえばこいつ、必要以上に質問してきたことないな。というかそもそも私のしたいことならとめないって言葉のとおり、とめられたことも異議を唱えられたこともない。

 帰っていく後ろ姿に、だからこいつが好きなんだと改めて思った。

 こんな時にこんな感情、どうしろというのか。自分にため息をつきながら。荷物を抱えて。ゆっくり家をでる。真昼間だというのに誰もそのことをとがめない。というか視界に入っていない。

 ん? ……ああ。サーラか。

 妹のサーラが部屋の窓から私を見ている。

 にっこりと笑って踵を返して。さあ。私のしたいことが始まる。


ーーーーーーーーーーーーーーーー

 ヴァレリアがいなくなって。想像していた以上にその事に気づかない彼らに僕は気分が悪かった。

「この手紙を君にあの子は托していったのか」

 領主である父親が僕をにらんでいる。

「……貸していた本に挟まっていました」

「そんな……。あの子……」

 絶句する母親。

 黙って手紙を見つめる妹のサーラさん。


 ……きっとサーラさんだけが本心なんだろうな。


 ヴァレリアがいなくなって騒ぎ出したのは、次の領主会議に向けて領主が準備を始めた時だった。

 周辺の領主で集まって、農作物の状況や天候を共有する。

 規模の違いはあったとしても。歴史の違いはあったとしても。腐っても貴族だ。そして、その家の長子が行方不明。自分の意思で出ていったとしても。こうして置き手紙があったとしても。というかそもそも貴族でなかったとしても。自分の子どもがいなくなれば慌てふためくのが常だと思っていたが。


 ……必要にならないとその存在に想いをかけないとは。


 領主としての仕事のほとんどをヴァレリアが仕切っていて、最後の署名だけの状態まで準備して、書類や前もって周辺との調整もして。


 全部全部あの子がしていて。


 次の領主会議の会場がこのお屋敷だったけれど、何をどう準備していいかなんてこの人たちは知らなくて。まあ、過去の記録や会議には参加しているわけだから準備は見よう見まねでできないわけでもないけれど。


 ……。

 手紙でいないことを。

 帰ってこないことを。

 頼れないことを気づいて。というかたいして探してなかったよね。それまで気にも留めてなかったもの。


 本当にどこまでも自分勝手なんだと思った。

 ずっと見てきたけれど、それがしたいことなんだと思っていた。


 手紙をサーラさんからお借りして、僕も読んだ。

 ……ため息をこぼしてしまった。

 なんなんだこの手紙は。別れの手紙なのか。親に向けてのものなのか。

 敬意も何もない。明らかに態度が悪い。冒頭の挨拶だけそれらしいけれど、それも大して体裁を整えられていない。自ら崩しに来ている。

 こんなことを書くような人物だっただろうか。


 僕の知るヴァレリアは礼儀正しかった。


「とっとりあえず。会議の場はこの部屋を使うにしても。連絡をしないと。ここで行うことを。あと。えっと。お菓子やお茶の用意。会議の議題も確認しておかないと。っ前回の会議の議事録があったはず。おい。茶と菓子の準備を」

「どこのお店? へんなお店はだめでしょ? あなた、希望のところとかあるの?」

「しらん店なんて。メイドとかに聞いたらどうだ? ああそうだ。クルル。あいつに聞け」

 クルルとはこの家の執事。恭しく後ろに控えていて。

「承知いたしました。準備いたします」

 目が死んでいるが。


 ……とても仕事は出来る方だと知っている。先代領主の時。耳に届いている。でも、この領主に変わってから仕事を振られない限り何もさせてもらえてなかったらしい。この方はできるけれど、領主はできないから。それが嫌らしい。


 だから全部ヴァレリアにさせて。

 ヴァレリアが黙って言うことを聞くのをいいことに、自分は好き勝手して最低限取り繕えるぐらいのものだけ準備してその場に来ていた。それでどうにかなるように前もって全部ヴァレリアが準備をしていたらしい。

「メイドも食器をそろえてきれいにしておいてね」

「承知いたしました」

 メイド長がスッと頭を下げると、そのままお部屋を出られた。


 はあ。探すとか心配するとか慌てるとか。形だけでもいいから。そぶりだけでもいいから。それを期待していたのは僕だけだろうか。


 この手紙からして、ヴァレリアがお二人の事をよく想っていないことが伝わってくる。


 『そんな期待なんて意味ないよ。するだけ無駄だ』


 そんな声が聞こえた気がする。

「……手紙に書かれていること以外に、何か言っていませんでしたか」

 バタバタと使用人に仕事を命じるだけ命じて。

 当の本人たちは、それだけして。それぞれどこかに出かけられて。残っているのは僕とサーラさんだけ。一応僕、お客になると思うんだけれど、それをほっといてどこかに行くのはどうかと思うけれど。

「いえ。ただ自分の思うように生きるということだと思うよ」

「……そうですか」

 寂しそうに眼を伏せた。


 ……妹はどうやら君の事を想っているみたいだよ。よかったね。それが僕の救いになりそうだ。関係に問題はないと見ていたけれど、それに間違いがなくてよかった。

 でも君の手紙には妹へのほとんどなかった。それはどうして?


「じゃあ。僕はこれで。何かあったらおいで」

 残された彼女のことは気がかりだったけれど。この家の事を僕が口出しする権利も義務もない。頼まれたことを僕はちゃんとこなした。

「お気をつけて」

 メイド長が僕を見送ってくれた。

 ……その後ろにも何人かメイドが並んで見送ってくれたけれど……あんなにこの家ってメイドいたっけ? 人数が多い気がしたけれど。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ヴァレリアの家で実害が出たのは、会議の日ではなく、その後の徴税や収穫、保管にかかわるところだった。といっても会議はギリギリだった。点数をつけるのなら最低点。他の領主たちも表情が訝しんでいた。

 会議にはいつだってヴァレリアが側に控えていて、会議の場で取り上げられるだろう情報を前もって用意して、想定問答集をつくって手渡していた。それがいない。側にいるのは現領主が好まない執事。想定問題集など作っているわけもなく、しどろもどろになる領主にそっと耳打ちをしてその場を乗り切った。

「どうしてこうなるんだ!」

 ドンッ!

 机をたたく音が鳴り響いた。

 会議をのりきったとはいえ、領主としての仕事は多数ある。領民の管理、徴税、収穫、保管、流通。

「どこでどんな風に農作物があるかなんて知らん。ここに書いてある通り持ってこさせろ」

 大きな声が屋敷中に響き渡って。

「ですが、同じだけの徴収は出来ません。今年は雨が少なく、日照りが多かったため不作とのこと。量を減らさなければ民は生きていけません。流通も同量で同額も厳しいです」

 クルルさんが苦言を呈している。

 聞こえていないのか。聞きたくないのか。同じように怒鳴るだけ。

 そして、また屋敷を出ていかれた。


 ああ。ちなみに、母親である奥様は手紙が見つかってからまともにお屋敷にいない。敷地の奥にある小さな離れがある。そこに数名の人が住んでいる。そこに奥様が出入りをされている。のは確認した。


「我々にできることをするのみです」

 クルルさんが使用人の皆さんにそれぞれ仕事を振り分けていかれた。

 先代領主のときにしていた仕事を見ておられただろうし、ヴァレリアがしていたのを手伝っていたようだったし、まったくなにもできないということではない。だからきっとここでもそれなりのものは出来上がるだろう。

 でもそれはその場しのぎにもならない。焼石に水だろうな。

 領主が心を入れ替えて仕事に専念すれば話はちがうだろうけれど、そんなことありえないだろう。ヴァレリアからして現領主は領主としての仕事に興味がなく、遊び惚けているとのことを聞いていたけれど。まさかここまでとは。


 この家がダメになるのは時間の問題か。部外者である僕がいるというのに取り繕うことも僕への配慮も何もなく。喚き散らしている時点で領主としての体裁をなしていない。いや。大人としての問題か。


「クルルさん。ヴァレリアの部屋を見てもいいですか」

「……申し訳ありません。誰もいれるなという命でした」

 申し訳なさそうに謝られた。

「そうですか。……わかりました。無理をいってすみません」

 ……ヴァレリアの事がわかるものが部屋にあるかと考えたのだけれど。

 ん?

 誰か見てる?

「ラシード様」

「サーラさん」

 視線はサーラさんのものだったか。

「この家にしばらくお越しになるのはお控えください。ラシード様のお名前に傷が入ってしまいます。……このような家。関わるべきではないかと」

 憂いに満ちた目。視線の先は主のいない領主執務室。


 ……サーラさんのこと、ヴァレリアは自慢の妹と言っていたが。

 どうして置いていったのだろう。……どこに行ったんだろう。


「僕の事を気にかけてくれてありがとう」

 他人の家の事だからと割り切ったつもりだったけれど。どうしても気になってしまって、こうして様子を見に来てしまっている。

 改めてサーラさんを見た。

 音もなく近づいてきて、音もなく立ち去って行ったけれど。

 長い黒髪がつややかに光を反射させて。線が細くて折れてしまいそうなほど。伏せられた目も、憂いに満ちた顔も。どれも絵になっていて。

 ……絶世の美少女と言われているのを耳にしたことがある。ヴァレリアとよく似ている。ヴァレリアのことはそんな風に言われているのは聞いたことないが。


 いつも自慢していたな。

 サーラさんの言葉に従って、仕事以外でくるのは控えるようにした。それでも届いてくる。今までできていたことができなくなった。というかできていないのレベルではないぐらいひどいありさま。


「あのご子息はどこに行ったんだろうな」

「いなくなったという話は聞かないが」

「何も言われていないからな」

「ああ。とてもできた令息だったのに」

 ヴァレリアのことだ。民からの信頼も会議での立ち振る舞いも。ちゃんと他の人は見ていた。評価していた。


 もったいない。

 いなくなることなくこのままここに居れば、正当な評価と共に、この家の主人になれたんじゃないだろうか。


 とそんな風にヴァレリアが評価される声が大きくなっていった。大きくなればなるほど。領主の評価はどんどん下がっていく。

 ヴァレリアがいた時は、いいご子息だとか、自慢の子息だとか、次期領主として教えているとか。ヴァレリアが動いていることをいいようにとって、ほめていたのに。掌を返したように。やれ何もできない領主だの、仕事をまかせっきりだの、わかっていないだの。

 まあそれも仕方ないか。あまりにもひどいありさまだから。こんなにも何も知らなかったなんて。いくらヴァレリアにさせていたとしても、ある程度知っているだろうと思っていたのに。

「こんなにも書類に不備が……。どうされたんですか?」

「はあ。これではだめです」

「こんなのでこの額は不当だ」

 クルルさんが進言していたのに、それを聞かなかった。料金の変更も徴税金額も何も考えてない。ただただ例年通りで。それだと何も変わらないのに。そんなことさえもわからず、考えてないなんて。それで領主だなんて。他の方に対して失礼だ。

「なんで! なんで周りはこんなにもあいつのことばっかり!」

 怒りにまかせて。当たり散らしている。


 ……そんなにもヴァレリアの事をほめられるのが嫌? さんざんこき使っておきながら。いいご子息だと言われて鼻高々だったのに?


「あなたがちゃんと扱わないからでは? 使えたのですから、もっとうまくしなかったのがいけないのでは?」

「お前に言われる筋合いはない! お前がもっとちゃんとした子を産んでさえいれば、それでよかったんだ。あんな使えないものを。それにお前だってこの屋敷の事全部まかせていただろう!」

「そのほうがうまく回るからですわ。いちいち私の生活に口出しなんてされたくなかった。使用人なら使用人らしく私たちの言うことを聞けばいいのに。身の程もわきまえずに」

 はあ。

 こんな風に言い争う声が屋敷中に響き渡って。……サーラさんに聞こえていることを考えないのだろうか。メイドたちに聞こえているのをわかっていないのだろうか。それとも聞かれてもいいのだろうか。

「さっさと探せ」

「なんで私が探さないといけないのよ。人を使えばいいじゃない」

「っそんなことをしたら、出ていったことがばれるだろ! ちょっとは考えろ。これだけ周りは評価している。それがいなくなっただなんて、何かあると勘繰られるだろう。それにいなくなってこの有様といわれているんだぞ! 今は体調不良で休んでいることにしているんだ。このままどうにか探して、しれっと回復させてまたもとに戻さないと、俺たちが何もできない無能だって言われ続けるんだぞ」

「一緒にしないでよ。私は確かに任せていただけ。 まったく知らないわけじゃないわ」

「はあ? 何言ってんだ。お前が使用人の人数も顔も名前も覚えてないことぐらい俺だって知っている。毎日毎日離れにいって、楽しんでいるくせに」

「それはあなたもでしょう? 全部させて、自分は署名だけ。それ以外はあの女のところに入り浸ってるくせに」

 聞こえてくる罵詈雑言に頭が痛くなってきた。


 ……こんな家にヴァレリアは。


「クルルさん。ヴァレリアの部屋に入れてください」

「ラシード様。それはお断りをさせて」

「入れてください。ヴァレリアがどこにいったのか探したいんです。手がかりが欲しいんです」


 ずっと誰も探していなかった。

 自分の子どもがいなくなったというのに。長子が家を出ていったというのに。あれだけみんなが評価しているのに。誰も探そうとしない。妹のサーラさんだって。部屋にいて、顔を合わせない。


 僕はヴァレリアのことを何もわかっていない。

 この家の事をわかっていなかった。

 そう思った。

 年が近くて。隣の領地だから付き合いはあって。何度も遊んだ。

 木登りも農作業も勉強も。一緒にしてきた。

 この家で実務のほとんどをしていたから、僕なんかよりも圧倒的に領主としての力は持っていて。民からの信頼もあった。ヴァレリアが跡をつげば、ここは安泰だと思った。継ぐものだとばかり思っていた。一緒に領主として。ヴァレリアがいれば僕も頑張れると思ったのに。


「……申し訳ありません。あの方からの命に背くことはできません」

 ……どうして?

「ですが。ラシード様のような方がいて。ヴァレリア様の事を想ってくださる方がいて。安心いたしました。ありがとうございます」

 深々と頭を下げられた。


 ……そんなのいらないから。

 ヴァレリア。

 あれから君に貸した本を持ち歩いている。手紙が挟まれていた本だ。

 僕は君がしたいことだからと言ってきたけれど。それ以上聞かなかったけれど。君のいうわがままを聞いてきたけれど。でもそれは全くわがままなんかじゃなくて。……ああ。今更だ。僕は。君から目を背けていたんだ。

 君が本当にしたいように生きるとなったら。

 こんな風に僕の前からいなくなって。

 二度と会えなくなって。

 君のわがままを聞けなくなるから。

 君の横にいることができなくなるから。

 君にとって僕は他とは違うと思っていたのに。


ーーーーーーーーーーーーーーーー

 ヴァレリアがいなくなって。

 でもそれは公になっていなくて。

「最近、ヴァレリアを見ないけれど。体調まだ悪いのかな」

「あの家どんどん悪くなってるみたいだけれど、サーラ嬢は大丈夫なのか?」

「今は執事によって成り立ってるらしいけれど、時間の問題だろうって」

「ああ……サーラ嬢を妻にという家もたくさんあっただろうに。つぶれる家のご令嬢はどこも手が出ないだろうな」

 領主会議の場に連れてこられていた子息や令嬢たちの話題は、ヴァレリアの家の事。

「下手したら婿になるんだろう? サーラ嬢との結婚は望みたいが、傾く船には乗りたくないな」

「というか。あの家二人とも問題しかないみたいだな」

「聞いたわ。領主も奥様も。どっちも外に愛人がいるみたい。まあそれは当事者で問題ないなら部外者が口をだすことではないのかもしれないけれど。それ。こんな状況なのに続いているみたい」

「ほんとすごいよなぁ。とう様が呆れてたよ。領主として何にもわかってないって」

「そう考えると全部ヴァレリアで成り立ってたってことだろ? ってか家にいるのかな?」

「それ! 俺も思った! 本当に病気なのかな。もしかして家出とかじゃなくて? あんな家出て行ってやる! みたいな」

「だとしたら、サーラ嬢がかわいそう過ぎる。置いていかれたんだぞ?」

「そこがちょっと考えにくいよな。仲よかったし」


 ……。

 そっとその場を外した。

 ……上着をもって出るべきだったと後悔するほど、強く冷たい風が吹いた。

 ……ヴァレリアがいなくなって季節がここまでうつってきてしまったのか。


「ラシード様」

 また音もなくサーラさんが僕の後ろにいて声をかけてきた。

「来ていたんですね」

「はい……。父にいい殿方を見つけなさいと」

 ……仕事をしていると自分の時間が作れないから、と当たり散らしているのを見たけれど。サーラさんに婿を取らせて、その人に全部押し付けるんだ。ヴァレリアの変わりを探しているんだ。


 ……本当に探さないんだ。

 自分の子どもなのに。


「……父も母も。何も変わっていません。それぞれ自分の思うがままに生きています。それがきっと羨ましかったのでしょう。妬ましかったのでしょう」

 まっすぐ前を見ている。

「姿を消す少し前に話をしたんです」

 横顔を見つめる。


 ……あれ? 前と色が違う。


「親の顔を見てみたいという言葉があるでしょう? 朱に交われば赤くなる。類は友を呼ぶ。郷に入っては郷に従え。そういった言葉から考えたと。……自分も同じように好きにしても。思うがままにしても文句を言われる筋合いはない。二人ともそうしているのだから。それでお互いがよしとしているのだから。それを子が真似をしたとしても。咎める権利などないと」

 僕の知るヴァレリアは淡々と仕事をこなし、丁寧な人だった。誰に対しても礼儀正しく、領民からも慕われていた。

 必要に応じてわがままと称して、僕に頼みごとをしてきていたが、それも全て領主として必要なことばかりで。

 いつだってその行動は誰かのためで。だからそんなヴァレリアが自分の好きを考えて。思うように生きる。その結果が、家を出ていくということなら。

 ……僕は必要とされていないのか。


「私の事を愛していると言ってくれました」


「え?」

 その流れで?

「自慢の妹。愛する家族。幸せになることを願っている。叶うのなら自分が幸せにしたい。そういって私に微笑んで。……今まで見たどの笑顔よりも優しくて暖かかった」

 静かに笑みを浮かべている。

「私を置いて出ていったとしても。あの時の言葉は嘘ではないと思っています。私は親に願われたからと言って、婚約者を決めるつもりはありません。言われてしまいました。……自分たちが好きに生きたいから。家の事を任せられるものがほしい。だからさっさと条件のいいやつを婿に。……それは私の幸せではありません。幸せになってほしいといった言葉の通り、私は私の思う幸せを手に入れたい。いいえ。手に入れなければならない。それが。私を愛していると言ってくれた家族にできる私なりの愛情表現だと思うので」

 そんなことを面とむかって言われたというのに、サーラさんはとても晴れやかな表情をされている。


 ……違うな。これはあきらめだ。

 子どもがいなくなって。残された娘の事も顧みない。ただただ思うがままに生きている。ヴァレリアの最後の言葉が、サーラさんのために生きるようにとあったのに。その願いすら聞く気もなくて。

 どうして? 

 どうしてそんなにも勝手なことができる? 

 僕にはわからない。

 そんな親のもとにいて。どうしてそんな顔ができるのか。

 ヴァレリアがこの家を出たのは、家が嫌になったから? 

 家を継ぎたくなかったから? 

 それで出ていったのだとすれば、それがしたかったこと?

 自分がいなくなれば家が成り立たないことぐらいわかっていたはずだ。こうなるのをきっと想定できたはずだ。

 自分の家をつぶしたかった? 

 いやそれはない。ヴァレリアは先代領主を尊敬していた。というか先代領主に育てられたんだ。言っていた。自分の父親と母親はおじい様とおばあ様だと。ならそのお二人が守ってきた家をつぶすなんてことはしないはずだ。

 それに、サーラさんのことだって。自慢の妹。いなくなる前に話したという内容。どう考えても残していくなんて考えられない。そんなことを考えないほどに、家を出たかったのか?

 自分の事だけを考えて。周りなんてどうでもいいと? そんな風に振る舞う両親をみて。自分もそうしようと?

 違う。そんなの違う。僕の知っているヴァレリアはそんなことしない。そんな考えを持つはずがない。ヴァレリアは聡明で優しくて。誰よりもこの家を想っている。だからあの日までちゃんと仕事をこなしていたんだ。


 ……ああ。そうか。

 ストンと落ちた。

 僕はヴァレリアの事を何もわかってなかったんだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ラシード様が家に来なくなった。

 来ることを控えるようにといった手前。来てほしいなど言えない。

 ……ああ。

 またあの人たちが騒いでいる。

 ラシード様の姿を見ると少しだけ安心する。探そうとする意思が見えるから。この家のおかしさを再認識できるから。

 聞こえない。聞こえない。聞こえない。聞こえない。

「お嬢様。そのように小さくなられて。……泣かないでください」

 あれから、私専属だとメイドを一人当ててくれた。

「我々にできることは、ヴァレリア様が気にかけておられるお嬢様を守ることです。何かありましたらこのメイドを」

 見慣れない顔だった。新しくメイドを雇ったということは聞いていないけれど、クルルがそういってくれたのが嬉しくて。それにすがった。

 屋敷ではいつもそばにいてくれるメイドが私の髪を整えてくれる。

「……耳をふさいで」

 そうお願いすると、わかりましたと笑って、私の両耳をしっかりとふさいでくれる。

 その手が温かくて。

 目を閉じて。

「おやすみなさい」

 その声に従って私は眠ることにしている。

 そうして私は日中寝て過ごすことが増えた。

 起きていると聞こえてくるから。


 醜い声が。

 汚い言葉が。


 そうして眠っている間に、メイドたちが家の事をしてくれている。本当なら私が代わってするべきことなんだろうけれど。それを彼らは求めていなかった。

 ただただ。私にきれいなものを見るように。前を見るように。


 ヴァレリアを信じるように。と。


 どうしてメイドたちがそういうのかわからなかった。でも。信じたいと思った。


『サーラは自慢の妹だよ。サーラを妻にできる男はきっと世界中から嫉妬されるだろうね。そして世界中で自慢するだろうね。ああ。可愛い私の妹。どうか。幸せになって。サーラを愛し。サーラの愛するものを愛し。サーラを見続けてくれる。そんな人を選ぶんだよ。家のことなんて考えなくていい。できることなら私がサーラを幸せにしてあげたいけれど。ごめんね。でも。これだけは忘れないで。私はサーラを愛している。誰よりもだ。たとえ私に伴侶ができたとしても。サーラが一番だ。私のこの気持ちに嘘偽りはない』


 そういって抱きしめてくれた。

 その言葉を信じている。

 私が婿を選ばないことに、あの人たちはいらだっていた。

 美しいのだから。きれいなのだから。賢いのだから。引く手あまただ。さっさといいものを捕まえないと取られるぞと。

 それまで私のことなど気にしてもなかったのに。婚約者のことなど話題にも出したことがなかったのに。今ではそうやって口出ししてくる。私に声をかけてくる人はみんな家をみて、乗っ取ることを考えている人たちばかり。いいように言いくるめてすべての権限をもらって。好き勝手するのだろう。

 民の事を考えていない。そんな人たちだ。そういう話がくると、結納金をもっと上げろとばかり。そんなにもお金が欲しいのだろうか。この家はそんなにもお金に困っているの?

 それはない。ちゃんと出納簿はつけられているし、生活に困っていない。いや違う。困っているのはこの家の生活ではなく、自分たちが遊ぶためのお金。それに気がついてしまった時。


 ……本当に勝手な人たち。


 人には見えなくなった。

 そして言うことを聞かない私に手をあげようとしてきた。

 そうしたらさすがにそれは悪いことだと思ったのか間に入ってきたけれど、止めた言葉は、顔はやめてだった。……傷がつけば価値が下がるからと。

 ああ。本当に。

 あまりの事に涙も出なかった。

 メイドの顔がすごいことになっていたのが、救いだった。

 私の事を私以上に怒ってくれた。


 まだ。私を想ってくれる人がいる。


「私が眠るまで側にいて」

 今日もメイドにそう願う。

「お嬢様が望むのならば」

 そういって手を握って私が眠るまでいてくれる。

 それが支え。


 早く早くつぶれてしまえ。


 そんなことを願ってしまうぐらいに。私のこの家に対する想いがなくなっていた。

 ラシード様が居場所の手がかりをと部屋に入ることをクルルに何度か願っていた。でもそれをクルルは断っていた。それは正しい。あの部屋にラシード様が入ることをきっと望んでいない。

 ラシード様が家に来ていようと関係なく騒ぐ姿に恥ずかしいという感情もなくなっていた。おじい様とおばあ様の事は大好きだったけれど。もう無理。この家は終わる。

 その引き金を引いたのが長子ヴァレリアで。黙認したのがもう一人の子どもサーラ。

 何もしない私の事を周りが避けていることはわかっている。それでいい。

 もう。どうでもいい。

 ただただ信じよう。愛しているといった言葉を。私を抱きしめてくれた体温を。


 ……。ああ。私はこの温かさを知っている。

 ……夢をみた。おじい様とおばあ様と一緒にお庭で歩いた日の夢。


ヴァレリア。

はい、おじい様。

サーラ。

はい、おばあさま。

いいかい。お前たちの命は、お前たちのもの。お前たちの人生はお前たちのもの。だから後悔しないように生きること。これは私たちとの約束だよ。


 おじい様とおばあ様の優しくて。穏やかな声。

 大好きだった。

 四人でお庭を歩いた。

 あの時間が今までで一番の幸せな時間だった。

 こうして思い出す記憶のほとんどに、あの二人はいない。いつだって私の家族はおじい様とおばあ様とヴァレリアだけだ。

 ああ。どうして?

 そんなにも自分の思うように生きたいのなら、結婚なんてしなければよかったのに。

 思うように生きるのに必要なものだけを手にすればよかったのに。

 残っている娘の事だって眼中になくて。

 目の前にある問題ごとだって全部任せっきりで。

 そんなにも今の自分にいらないと思うのなら。

 煩わしいと思うのなら。

 手放せばいいのに。

 手紙を毎日眺めている。この手紙から伝わってくるあの人たちへの想い。


 どんな気持ちで書いたの?

 この家をどうしたいの?お願い教えて。

 私にだけは教えてほしかった。伝えてほしかった。

 そうしたら。一緒に私も出ていったのに。

 二人ならどこだってよかった。側にいてくれるならそれでよかった。

 ねえ。

 早く迎えに来てよ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 想像以上に、しぶとく生き延びている。

 といってもクルルさんのおかげで相変らず成り立っているのだけれど。

「あの家。案外すごいな」

「ねえー。その場その場でどうにか乗り切ってるみたいだよ?」

「それだけ使用人の人たちがすごいってことでしょ」

 同じように聞こえてくるヴァレリアの家の事。

 婚約者の話を聞いてしまってから、一度も言っていない。

 ヴァレリアがいなくなって一年がたって。

 クルルさんたちが家を守り続けている。

 やっぱり優秀な人たちだ。

「絶対ヴァレリアいなくなったよな」

「そうだよね。一年も病気でそれ以降何もないんだよ? 家でたろ」

「ほんとサーラ嬢がかわいそうだよ。この一年でやせられたみたいだし」

「婚約者とか決まってないんだろ? ここまでくると悲劇のお姫様を救う王子様みたいな扱いになるんじゃないか?」

「それ姉さんが言ってた。ここで救い出したら話題になるって。それを狙っている令息がいるんじゃないかって」

「親の評価は下がって、使用人と子供の評価は上がってるってことだろ? ほんとどうなってんだろうな」


 ……。そっと耳をふさぎたくなる。


「耳をふさぎましょうか」

 耳元で声がして、思わず耳をふさいでしまった。

 え?

 今の声?

「ふふふ。どうかされましたか?」

 え?……笑っているメイドさん。

 声はヴァレリア……。

「え?」

「ふふっ。あはっはははは。すごい顔だよ。そんな顔するんだね。いつもいつも君は穏やかにしてるのに」

 目の前にいるのはメイドさんで。

 黒髪に黒い瞳。左目が隠されている。肩ですっぱりと切られている髪。知らないはずの女性。

 なのに声はとても聞き覚えがあって。

「……ヴァレリアは女性の服が好きなの?」

「好きとか嫌いとかそういうことではないよ。私は女性だよ?」

「は?」

「はははっ。ほんといいね。ここではなんだ。外に出ませんか?」

 にこやかに笑って僕の手を引いた。

「待って。本当にヴァレリアなの?」

「本当にヴァレリアだよ」

 スッと前髪をあげて、両目が見えた。

 ……ヴァレリアは左目の下にほくろがある。

「……ヴァレリアだね」

「そうだよ」

「さっき君は女性だといったけれど。本当に?」

「本当に。出生届確認する? 女性で出ているし、身体的にも精神的にも女性だよ」

「でも君は、男性としてみんな思ってる。子息だって。自慢の跡継ぎだって……。え? 待って。頭が追いついていないんだけれど」

「追いつくも何もないよ。ラシード。君は理解するのを放棄してるんだよ。幼馴染が。木登りもかけっこも。領主としての勉強も。これだけ長い時間を過ごしてきた相手の性別を勘違いしていた。それを認めたくないんだよ」

「自分の誤りを認めたくないとかないよ。間違いなら正すべきだ」

「それは正しいことだね。でもいくら頭で正しいとわかっていても体が拒絶することもあるだろ? で。君の場合。行方をくらまして、戻ってきた幼馴染がメイド服で登場したあげく、性別も違った。てんこ盛りだね」

「そうだよ! どこに行っていたんだ」

 面白そうに。意地悪そうに笑っているけれど。肝心なことを忘れていた。

「ずっとあの屋敷にいたよ」

 さらっと答えた。

「屋敷にって……。僕は何度も訪れている。君を……」

 ……ああ思い出した。

 見慣れないメイドがいるとは思ったけれど。まさか彼女がヴァレリアだったということ?

「屋敷に君が来るから少し不安だったんだ。君に気づかれるんじゃないかって」

 ……僕の感じていた視線はヴァレリアのものだったんだ。

「さあ。ここから君の問いに答えよう。聞きたいことあるだろう?」

 とってもきれいなヴァレリアの笑顔だった。


ーーーーーーーーーーーーーーー

「僕の聞きたいことは……。まず。ヴァレリア」

 と手元にある紙を見ながら聞いていく。

「まさか、一晩待ってほしいと言われるとは思わなかった。そんなに理解が大変だったか?」

「当たり前だ。君に会えたと思ったら、思ってもなかった再会の仕方だったから」

「私も驚きましたわ。まさかお姉様がメイドとして側にいるとは考えもしなかったです」

 カップを口に運ぶ動作がとてもきれいなサーラさん。

「あの時のサーラの顔。とても可愛かったよ。きょとんとして。その大きな目がさらに見開かれて」

「いつサーラさんはヴァレリアがメイドとしていたことを知ったの?」

「私が少し精神的に崩れて始めた時に。ラシード様が来られなくなったあたりでしょうか。その前からメイドとして私の側にいてくれて。お姉様がお考えを話してくださったので。私は安心して今日まで過ごしてまいりました」

 とても穏やかな表情をしている。

 僕がヴァレリアのことで何もわかってなくて、自分だけが勝手にちゃんと関係性を築けていると思っていたのにと打ちひしがれているときだ。


 ……サーラさんが精神的に苦しいときに助けてあげられなかったのか。ヴァレリアの大切なものを僕は守れなかった。


「なら。サーラさんに話したことを僕にも話してほしい」

「承知した。じゃあ。まず。この家について話そうか」

 笑顔のまま、淡々と話し始めた。

「ラシードも見ていたと思うけれど。あの二人は、家のことも領地のことも興味がなくて。でも。残念なことに領主は一人息子だから、自分以外跡継ぎはいなくて。奥様もどこかにお嫁に行くしかなくて。でも行った先で妻として、奥様として家のことをする気もない。遊びたいという考えしかない」

 世間話でもしているかのような口調。

「で。それを許してくれる存在を見つけた。それがお互い。領主はとりあえず結婚して、跡継ぎができればおじい様に指導してもらって、自分は遊ぶ。奥様も嫁いだ先の家が続くようにさえすれば、それでいいと考えた。だからお互いが何をやっても口出ししなかった。結果みんなが知ることとなっただろうけれど。それぞれ外に愛人がいる」

 ……。確かにお二人が自由に動いているのは見ていた。

「長子は私。ヴァレリア。まあ女だったから、家を継ぐことはできないんだけれど。二人からすれば、誰もが振り返る美を持っていれば、いいところの次男坊ぐらいを夫に迎えて、そうそうに継がせて、自分たちは隠居する予定だった。でもそうじゃなかったから次を考えた。そんな二人をみて、先代領主であるおじい様は私を育てることにした」

 少しだけ表情が動いた。

 とても懐かしそうな……。

「領主の妻となる立場だから、最低限の領地の知識を持っておくべきだってお考えのもと、私に領主の仕事を教えた。それ幸いと私に男の恰好をさせて、周りに子息と認識させて、領主にしようとした。それが似合う私だったし、私も別に嫌じゃなかったからよかったけれど。背格好や声も中性的ってことでみんな考えてくれたから。まあさすがに? 妻をって話になるとそれは無理だろうから、二人目を考えた。性別は問わなかったみたい。女性なら、夫を迎えて、不出来な兄に代わって領主に。男性なら、同じように勉強させて。って感じ。サーラはとても美しく聡明で優しい子だから、サーラの夫を領主にする考えが出てきた。私はそれまでのつなぎ。という扱いだね。それを二人は私に明言した。そのために勉強し、仕事をしろと。おじい様もおばあ様も二人の事を信じていなかった。私とサーラに必要な勉強をさせてくれた。そういうのさえもあの二人はしなかったから。礼儀作法なんて、見た目さえよければ問題ないと考えたからね。だから。私の家族はおじい様とおばあ様とサーラで。私の親はおじい様とおばあ様」

 にっこりと笑った。


 ……そんなあっさり話すことだろうか。

 わからない。どうして? 

 自分たちの子どもをそんな風に……。


「あの二人にとって。私たち子どもは、自分たちが遊ぶために。自分たちの地位を守るために。そのための存在でしかなかった」

 ヴァレリアの言葉が頭を巡ったのち、抜けていく。とどまってくれない。

 サーラさんも表情を変えず、お茶を楽しんでいる。

「……ヴァレリア」

「なあに?」

「君はそういわれてどう思った?」

「どう? 今言った通りだよ」

「……なに?」

「親でもない人に何を言われたってどうでもいいよ。私がここまでやってきたのは、おじい様とおばあ様、サーラのため。お二人が愛したこの地を守るため。で。その守る方法として。二人の考えるような形で領主でいるよりも、違う方法を選んだ。私の人生を生きることをお二人は望んでくれていたから。それもかなえたかった。私が男の恰好をすることをお二人は気にされていた。男になるのであれば、きっとそれも受け入れてくださっただろうけれど。私は女だからね」

 ヴァレリアはとても嬉しそうに微笑んでいる。

「遠い親戚で、とても優秀な人がいてね。彼にこの地を譲ることにしたんだ。いくら優秀でも、その家は長男が継ぐ。彼は三男で。この地を気に入ってくれたから。引き渡すための準備をこの一年でしていたんだ」

 僕の頭が理解を拒絶している。体が震えている。

「ああ……。ラシードは本当に優しいね。そして正しい。君は二人の行動も私の行動も理解しようとしている。けれど。それを拒んでもいる。無理をするな」

「無理とかそういうことじゃない。……君は。ヴァレリアは男として振る舞ってきた。その上、君の考えなどなく、君の人生なのに無視されて。それをこんな風に何でもないことのように話して。……僕は近くにいたのに。あれだけ君と会っていたのに。何もわかってなかったことに君がいなくなって気づいて。何もかも遅くて。だからせめて。ちゃんと君の置かれた状況を理解して、君たちが受けた想いを僕もちゃんと受け止めたい」

 まっすぐに見つめると。

 ヴァレリアとサーラさんが笑いあって。

「君に手紙を託してよかった。ラシード。私を君の妻にして」

 ……。

「え?」

「君が好きなんだ。君を愛している。あっといっても。悪いがサーラの次になるな。私はサーラを最も愛している。二番目なのをゆるしてくれるか?」

「待ってくれ。意味が分からない」


ーーーーーーーーーーーーーーーー

 妻として横にいることに慣れてきた。

 まあ「妻」という立場にいるだけで、二人の間で何か変わるわけではないのだけれど。

「君が一年かけて行ったことは領地を譲るための準備といっていたが、と同時に、使用人の皆さんの価値を高めることだったんだね」

「気づいてくれたんだ。あの一年のおかげで、あの二人の無能さを理解してもらって、使用人たちの優秀さを認めてもらって。いくら親戚とはいえ、使用人をそのまま雇ってくれるかどうか不明だったから。そのまま雇う意味があること。家を変えるにしても箔が付くようにって。ちゃんと使用人たちに話していたから簡単な引継ぎもしていた。予想以上の働きぶりに驚いたよ。やっぱり彼らは優秀」

 特にクルルには恩返しなんていうと、大袈裟だけれど、おじい様が一番信頼していた。右も左もわからなかった私に、丁寧に指導してくれた。

 正当な評価を得るべきだと。

「本当に君は、あの地を愛しているんだね」

 そう。私は愛している。

 あの地を。

 いきる人たちを。

 だからこの形で守ることにした。

 ちゃんと二人にも『説明』して『納得』してもらって。領地は『正当』な手続きで受け渡された。

「私も聞いても?」

「なに?」

「どうして私を妻にしたの?」

 あれから、ラシードから事細かな説明を求められて、私が計画したこと。願ったこと。叶ったこと。それらを話したけれど。

 ラシードが理解しようと頑張ったのか。どうして私を妻にすることを受け入れたのか。私に何を求めているのか。私にはわからない。

 私から提案したこととはいえ。

 それにラシードは長子。家を継ぐ。婚約者の話は耳にしてないからいなかったんだろうけど、問題行動をした私をよく、妻にって思う。

「ねえ?」

 何度も聞いているが答えてくれない。

「考え続けて。僕の行動を。君のわがままを僕は聞いてきただろ? これが僕のわがままだと思ってかなえてほしい」

 にっこりとほほ笑んで。

「……そんなにも私が君に何も話さずに行動したことを根に持っているの? これは私のしたいことだったし、結果巻き込んだけれど、必要以上に巻き込むつもりはなかったんだよ?」

「そんなこと気にしていないよ。ちゃんと君は話してくれたから」

 ……怒っている。まだ気にしているのか。

「なら。僕も聞くよ。どうして僕の妻になることを選んだの?」


「どうしてかずっと考えて」


 それをラシードが願うなら、私もそう願おう。

 そうしたら、それぞれ相手のことが頭にあり続けるから。


 ……ちゃんと私を見てくれていると思えるから。

 私を私と見てくれるから。


「いつかこの問いに答えてくれる?」

ありがとうございました。

20250327 一部修正

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