ハニートラップの行方
俺がアシェル・ラーザッドを一言で表すなら、要領のいい男。自分自身を評価するならそんなところだ。茶色の少し長めの髪と琥珀色の瞳は、人目を引くこともないだろうが、21歳、侯爵家の次男であり、容姿もそこそこ整っているほうだろうこともあって、お買い得。今は仲の良いご令嬢達に囲まれていたりする。
「アシェル様にお願いがありますの」
今日も彼女達はかしましくも可愛らしい。
「知っていまして? 魔女の話」
「魔女?」
この世界に魔女なんていないはずだ。聞いたこともない。だからこうして俺たち騎士があくせく働いているわけだし。
「ライア・シェルトンさんをご存知?」
ライア・シェルトンというとシェルトン子爵の娘だったか。
「名前は知ってるけど、話したことはないかな」
「彼女、人の婚約者を手玉にとって弄ぶ魔女ですの!」
彼女の言うところによると、ライア・シェルトンは男性を虜にして、婚約をぶち壊したり、婚約自体は壊れなくても、婚約者が彼女に懸想してるという、婚約相手としては将来が不安になる状態になっているという状態をいくつも引き起こしているという。
「そこで、アシェル様ですわ!」
そうよそうよ。とご令嬢達が頷いて、なんだかすごく嫌な予感がする。
「俺?」
「アシェル様にお願いがありますの。ハニートラップを仕掛けてこっぴどく振って差し上げて欲しいのですわ!」
なんだかすごい言葉が飛び出してきた。聞かなかったことに出来ないかな。面倒くさいと思う反面、ここで無碍に断ったら、俺の評判って地に落ちたりする?
ご令嬢達の印象操作能力は侮れない。ひそひそ噂話でもされて、人でなしな騎士にでもしたてあげられたら人生詰むんじゃないかな! まあ、ハニートラップも人道的にどうかと思うけど。
「よろしくお願いいたしますわ!」
というわけで、勢いに押され、流されて今日は非番の日、王立学院の出口をひっそり見ている。シェルトン嬢は王立学園3年生らしい。
隣には、今日も今日とてあの元気のいいご令嬢がいて、ふいに彼女が指を指す。
「あの方ですわ」
どうぞ、皆様の仇をとってくださいましね。と見送られて、門から出てきた黒い髪のご令嬢の後をゆったりと追いかける。
一つ深呼吸。そして__
「こんにちは。シェルトン子爵令嬢、であってる?」
彼女が振り向くと陽の当たった湖のような青い瞳がこちらを向いた。
「はい。私がシェルトン子爵の娘ですけれども……」
困惑したように首を傾げる。意外と警戒心がないんだなぁ。
「救護院を手伝っているって聞いたんだけど、俺はこう見えて騎士なんだ。いつも手当してもらってる側だから、少しでも何かできないかと思って。そうしたら、知り合いのお嬢さんが、シェルトン子爵令嬢が救護院を手伝っているというから、お供させてもらえないかと思って」
「そうだったのですか」
彼女は感心したように顔を綻ばせて頷く。いや、演技派だな。というか演技じゃなかったらものすごく心が痛むんだが。
こちらです。とふわりと微笑まれて、ちょっとドキッとした。可愛い。容姿は可愛い系じゃないんだけども、なんというか仕草というか小動物系な感じ。すり寄ってくるあざとい系でもないし、これもう白では? この子本当に男引っ掛けて弄んでるの?
いやいや、と首を振る。自分が引っかかってどうするんだ。
「どうかされました?」
こてんと首を傾げられて、可愛いと叫ぶ脳内を黙らせて問いかける。
「歩いて行くの?」
「少し歩きますが、歩いていけないわけでもないですよ」
あっと、声を上げて、この距離を歩くのって普通じゃないのかしら? と真剣に悩み始めてしまうのを見る限り、天然さんかなこの子。
とりあえず、行こうか。と声をかけて歩き出す。
やや貴族が歩くには長すぎる距離を歩いた後、ついたのはちょっとぼろっちい救護院。この辺り、ちゃんと騎士の巡回入ってたかな? 少し危なくない? ルートの見直しを提案した方がいいかもなぁ。
「こんにちは、先生」
腰をさすりながら出てきたのは、かなりご高齢のおじいちゃん先生で、どういう経緯でこの子ここに? と繋がりが全く見えない。
「いらっしゃい、おや、そちらは?」
「彼は騎士様です。えと、お名前は__」
「アシェル・ラーザッドと申します。我々騎士は職業柄どうしても怪我が多いので、お世話になっているお返しになにかお手伝いができないかと__」
と先ほどシェルトン嬢にした説明と同じことを繰り返す。
先生は口元に手を当てて何か考え込んでいたけれども、一応は納得してくれたらしい。
「人手があるのはありがたいことです」
これは疑われてるのかもな。今までもシェルトン嬢目当てで誰かやってきたんだろうか。
指示された手伝いをはじめて、動き始めると先生の疑いは逸れたようだった。
自分で言うのもなんだが、俺は要領はいい。人あたり良く話しかけることも職業柄苦手ではないし、よく怪我をするから、手当の手順も大体わかっている。
彼女はよく働いていた。怪我をした子供をなだめ、ご婦人の相談に乗り、お年寄りにさりげなく手を貸す。びっくりするほど真面目だ。
そんな感じで、あまり長く会話という会話も出来なかったので、今度の非番の日も、もう一度だけ頼まれてるし調査に使うか。まあ、この子ほぼ白だけど。帰り支度をしつつ問いかける。
「シェルトン嬢、次の非番の日も来ていい?」
「まあ。あの、お休みなのに身体を休めなくて大丈夫ですか?」
心配そうな顔、眉を下げて見つめられるのもいいな。ではなく、
「心配ありがとう。シェルトン嬢も気をつけてね。結構通っているって聞いたけど」
というと、はい。と彼女は微笑んだ。
「小さい頃、迷子になってしまって、この治癒院の先生に助けられたのです。それからなんとなく通ってしまって」
言ったことはないし、伝えるつもりもないけど、祖父のように思っているのだと彼女ははにかむ。
ええー。めっちゃいい子。
その時、彼女の顔が強張った。
「ライア! 会いにきたよ。僕の運命の女神!」
治癒院の扉に大柄な男が押しかけて熱っぽく叫んでいる。
彼女は、青ざめてきゅっと口を引き結んでいる。震えてる?
「帰ってくれ。ライアはお前さんなど知らん」
先生が声を張っているのが聞こえる。いや、これ、まずくないか。
先生はだいぶ高齢だし、あの男、貴族だな。面倒ごとが起きるかもしれない。
「私は伯爵家の息子だぞ! ライアは怪我をした私を助けてくれた女神だ。彼女も私に気があるに決まっている。そこをどけ!」
まずいな。よし、これでとりあえずいくしかないな。
「災難だな。あいつ、ああ言ってるけど、違うんだろう?」
ひそひそとシェルトン嬢に問いかけると、彼女は頷く。怪我をした人は等しく助けているけれども、彼に特別な思いは抱いていないという。
「あの方、何度もいらっしゃるのですが、お気持ちにお答えできませんと言っても聞いてくださらなくて」
今にも倒れそうな顔色をしている彼女には申し訳ないけど、ああいうのはきちんと追い返しておかないとどこまでも追ってくるからな。
「今日会ったばっかりで、俺のこと信じられないかもしれないけど、あいつをとりあえず追い払う。だから協力して」
俺に合わせてくれればいいから、というと彼女は不安げにしていたものの大きく頷いた。
「行こうか、ライア」
言って腕を差し出すと、彼女は一瞬固まったけれども、俺が何をしようとしているのか理解してくれたみたいで、彼女は緊張でこわばった手をそこにのせた。
「ここは救護院だ。騒ぐところではないよ__エルダス伯爵子息」
俺がライアをエスコートしつつ現れると彼は、信じられないものを見たという風に目を限界まで見開いた。
「ラーザッド卿?」
この男はダズウィル・エルダス。伯爵家の長男で、最初に俺にハニートラップを仕掛けて欲しいと依頼してきたご令嬢の友人の婚約者だった男だ。
まあ、婚約者がこんな状態なら恨み事を言うのもわからなくもない。それと、ライア嬢に迷惑かけていいかは別だけど。というか、この男、復讐とか捧げられるほどいい男かな? とか疑問に思うわ。
「なぜ貴方が? ライアは俺と運命的な恋をしている最中なんだ。貴方が出る幕はない!」
だいたい、貴方は軽薄で軟派で顔だけの男だ。口が上手い詐欺師だ。爵位もつげない次男だし、ライア嬢は騙されている! この顔だけ男が!
ってまだ言うのか、全部聞いてたけど、余計なお世話だわお前なんか顔もよくないくせに。
それからも、何回か同じ言葉を繰り返しつつ罵られるままに言わせておく。こういう頭に血が上った奴って一回言いたいこと言わせて頭冷やさせたほうがいいよね。でも__
「__違います! 彼はそんな人じゃありません。見ていればわかります」
ライア嬢が反論し始めてしまった。
曰く、顔が整っているのは確かに長所かもしれないけど、本当にいいところは分け隔てなく優しく笑えるところとか、口が上手いのは、気が利いて人の手伝いをよくしているけど、それを気にさせないような話運びにしていてすごいとか、
「爵位があってもなくても、アシェル様はあなたよりもずっと素敵な人です! 失礼なことを言わないでください!」
とか言われちゃってさ、や、これもう堕ちたわ。告白よりすごいこと言われた気分。
「エルダス伯爵子息、ライアは君の好意を受け取れないと断っていると聞いた。君は、彼女を愛していると言うけれども、彼女自身のことを少しでも考えているのか? 彼女は君が来た時おびえていた。震えていたんだ。怖がらせてどうするんだ」
彼女はこの治癒院を本当に大事に思っている。先生のことは実の祖父のように慕っているんだ。それを権力を振り翳して脅すなんて最低だし、嫌われるだけだ。
「__君は最近、ライアの笑顔を見たか?」
問いかけると、ダズウェル・エルダスは沈黙した。
「それが、答えなんじゃないかな?」
そして、エルダス伯爵令息は帰って行った。
しばらく、沈黙が降りて、ライア嬢は俺の腕から手を離した。ちょっと寂しい。
「あの、ありがとうございました、ラーザッド卿」
赤くなったり、青くなったりしながら最後はちょっと寂しそうにそう言った彼女に俺は言った。
「__アシェルでいいよ。さっき名前で呼んでくれただろう? ラーザッド卿って言われるとせっかく少し仲良くなれた気がするのに、遠くなった気がして、さ」
「では、私のこともライアと」
ライア嬢は、と話し始めるとライアです。と訂正が入る。
「ライア? そういうこと言うと勘違いされるよ。君、婚約者いないの? さっきみたいな勘違い男が出たら危ないし」
ライアは困ったような顔をして、遠くに目線をやった。
「……ああいった感じの方は、たまにいらっしゃいますが、私はどうも女性にも男性にも嫌われているみたいなのです」
あの噂か。ライアが魔女とか言う。そういえば俺、ハニートラップ仕掛けに来たんだっけか。
「失礼ながら、アシェル様は私を嫌っている方々と仲がよろしいので、てっきり私を嫌っているのだと思っていたのに。親切なんですもの、ずるいです……」
俯いて目を逸らしながら言うのは、そっちがずるいんじゃないかな。
「ねえ、俺が嫌な奴で、君に不利なことをするために近づいたんだったら、どうするの?」
覗き込んで言うと彼女は意外にもまっすぐ見つめ返してきた。
「あなたがそうするなら、そうする理由があったのでしょう。アシュル様は今日、会ったばかりの私が困っていた時、助けてくださいました」
あれは、私が本当に困っていて、こちらに非がないと思ったから手を貸してくださったのでしょう?
「そんなあなたが、誰かに言われたからと言って嫌がらせをするとは思えません」
いや、困ったな。本当に困った。こんなに真っ直ぐに言われたんじゃ、隠し事なんてできないじゃないか。
「実は__」
俺は、ここに来た経緯や頼まれたことを、そのままぶちまけた。ちょっとくらいいい奴ぶっておきたかったけど、彼女の誠実さに報いるにはそうしなくてはいけないと思ったから。復讐なんてするつもりはないけど。としめくくると、
「そう、なのですか」
ややあって、肩を落とした彼女はそう呟いた。
「ごめんな。嫌なら、もう来ないから、非番の日に来るってやつ忘れて__」
「来て、くださるのですか?」
遮られるような勢いで返されたそれに押されて息を呑む。
私が嫌な女でもまた来てくださるの?
すがるような目で見上げられて、
「違う。君は嫌な女なんかじゃないだろう。あの男が来た時に言った言葉は、全部本当に思ったことだ。嘘なんてひとつもない」
ライアは、嫌な男につきまとわれているだけの、頑張り屋の女の子じゃないか。
続けると、彼女の頬がさっと赤く染まった。
なんか、めちゃめちゃ恥ずかしいこと言った気がする。
「私と__仲良くしてくださいますか?」
彼女がどこか期待するように怖がるように聞いてくる。
「俺でよければ、もちろん」
ああ、俺も勘違い男だから、婚約者もいないし、気をつけた方がいいよ。と言うと彼女は真っ赤なまま頷いた。
__どうか、勘違いなさって。
小さな声だったけど、俺の耳にはそう聞こえた。
や、もうハニートラップとかさ、俺が仕掛けるはずだったけど、完全に堕ちたのこっちじゃん!
彼女の方がずっと上手だし天然だし可愛いし。
でも仲良くなって俺たちが婚約したら、あの頼んできたご令嬢だって安心するし、これってどう考えても、みんなみんな、めでたしめでたし! だよね。