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ミシェルはご機嫌でイカロスに話を促す。
「ありがとうミシェルさん。だけれども、今は昔で。一体どうしたものだろう。私は毎年、72の神殿の儀式のうちの、半分の警備責任を担当してきたんだが、どうも心も体も元気が出なくて、去年から三分の一に減らしたんだよ。だというのに、減らしても減らしてもなんだかずっと気持ちが落ちて、ずっと身体に力が戻ってこないんです。もっと減らして4分の一にするべきなのか、それとももうやめるべきなのか、どうも気持ちが沈んでしかがたなくて」
ふー、とイカロスは大きなため息をついた。
神殿の儀式の警備は、いろいろな制約だの規定だのがあってかなり気を使うらしいが、実際に敵が襲ってくる事などは想定もしていないので、ひたすらルーティーンで毎回同じ事の繰り返しなんだとか。
国の英雄の天下り先としてはとても良い就職先だと思う。
イカロスの後ろの光の渦が、何かを伝えようとしてぐるぐると輪を回っていて美しい。
何かを伝えようとしている事はミシェルにはわかったが、何が言いたいかまではわからない。
そもそもイカロスの後ろの光は、戦闘の神の祝福を受けて、かつてはあんなに大きく光り輝いていたというのに今の光の少なさっぷりとは一体何があったのだろう。
だが、光の粒ひとつひとつはとても大きくて、とても退職して余生をたのしまなくちゃいけないような光の弱さじゃない。
腐っても戦いの神の祝福を受けた光を持っているのだ。
(うーん。いっちょ聞くか)
困った時の占い頼り。
ミシェルは手元のサイコロをカラオケ本を取り出して、放り投げた。
後ろのメイドの女の子が目をキラキラさせながら、身を乗り出してワクワクとミシェルの手元を見つめている。きっと結構な占い好きの子なのだろう。和む。
サイコロに誘われたのは、恋の歌。それも悲しげなやつ。
「私達はまた同じところを堂々巡り。私たちはどこにいくの。どこにも行かないで、立ち尽くしているの?また歩き出すけれど、また同じところを堂々巡り」
関係がうまくいっていない、堂々巡りを繰り返しているカップルの悲恋の歌だ。
どこかのドラマの主題歌になったはず。
(さっきの光のうずも、ぐるぐる回ってそのまま終わってたな・・)
そんな時、ミシェルの目に映ったのは、ビュリダンにもらった可愛いものシリーズの、卓上噴水のおもちゃだ。
動力は魔力で、一度魔力を通すと延々と滝から水が流れるデザインになっている。
最近忙しいカロンが、ミシェルのおもちゃまで掃除してくれる時間がないがため、ここのところずっとほったらかしにしてる。
水を入れると、チョロチョロと滝が流れてとても可愛いのだが、水をもうずいぶん変えていないので、ちょっと臭い。
正直ズボラもいい所だし、もうちょっと水が悪くなっているので、もういい加減洗わないといけない。
お客様をお迎えするのにとりあえず、見えるところは軽く掃除したのだが、めんどくさい物はちょっと横に寄せて隠してるだけなのだ。
「あ」
ミシェルはそこで、気がついてしまった。
水は同じ場所でずっと堂々巡りをしていたら、腐る。
ミシェルの卓上噴水は、同じ水が同じ場所を堂々巡りしているので、腐り始めているのだ。
カラオケ本の歌詞のカップルは、同じ関係性の場所を堂々巡りしているので、別れは目の前。
水はあちこちに動いてこそ、生きる。同じ場所で堂々巡りすると、少しずつ腐っていく。
そうか。
「ねえイカロスさん、ひょっとしてあなた、同じ仕事を同じ事ばかり何年も、何年もしてませんか?同じところにぐるぐるとずっといると、力は澱んで、そのうち尽きてしまうんですよ。人の生の力とは、水のようなものです。止まってしまうと、そこから腐敗が始まる」
ん?とよくわからない顔をしたイカロスに、ミシェルは言い方を変えてみる。
「止まっている状態って、本人は現状維持のつもりでも、現状維持っていうのは、基本的に金利のつかない貯金みたいなものなんですよ。持っているだけだど、どんどん価値が下がっていく、資産はどんどん目減りしていくんです」
時代は変わるし、環境も変わる。自分の体も変わるし、金利も、ものの価値すらも変わる。
変わらないものなどこの世にはありはしない中で、何も変わらないのは、緩やかな下降だ。
「同じことを何年も繰り返し繰り返しやっているから、年々ずっと力が衰えてきたように思うし、心も沈むんですよ。同じ水が同じ場所を堂々巡りしていくと、ああやって少しずつ腐敗していくように」
ちょっと恥ずかしかったが、ミシェルの悪臭を放ち出した卓上噴水のおもちゃを指差した。