10
「賭けてもいいけど、あなた小説を出すときの名義もオルフェウスのままなんじゃない?」
「ええ、その通りです。なぜお分かりになるのでしょう?」
オルフェウスは不思議そうに顔を傾けた。
「オルフェウスの名前に引っ付いているいろんなものでがんじがらめになっているから、自由に穴の底に落っこちられないのよ。肉体すらない、ただの小説の中の三次元の命なんだから、ここでは好きに自分の魂を解き放って大丈夫よ。弟妹も、意地悪なおじさんも何もないのよ。無責任にあなたが好きな場所を勝手につくって楽しめばいいんだから!」
ミシェルのオンラインでの友達にいわゆるネカマがいる。
ネット上では性別も性格も変えて、相当強気なギャルだというのに本来は非常に暗いオタク青年だ。
ネカマのギャル状態のそいつとは非常に気があうので、ミシェルはその男とはオンライン上の友人ではあるが、リアルではあまり付き合いたくない。
だがオンライン上では完全に人格も性別も、もちろん名前も違って、そりゃ楽しいのだ。
「新しい、名前ですか!」
パッとオルフェウスの顔が輝く。
オルフェウスは考えた事もなかったらしい、色々な思いが頭を巡っている様子で、一人でいろんな表情を浮かべて忙しそうだ。そしてどうやらこの考えはたいへん魅力的にオルフェウスに思えたらしい。
「ミシェルさん。素晴らしいアイデアをありがとう。ぜひ、是非に私の名付け親になってください」
ミシェルは頷いて、光り輝き出したオルフェウスの光のさざめきに、名前を聞くことにした。
ミシェルにはまた映像が見えた。
今度のオルフェウスは、上を目指すわけでもない。下に落ちてゆくわけでもない。ただ地平線の彼方を真っ直ぐに、ゆっくりと楽しげに歩み進んでゆくオルフェウスの姿だった。
平な地平線の彼方には、扉があるのだろうか。それともそんなことは、もうどうでもいいのだろうか。
真っ直ぐに歩いてゆくオルフェウスの顔は、希望に満ちていた。
「平な道・・」
さざめきは、ミシェルに微笑んだように感じた。
「そうね、タイラーなんてどう?」
「タイラーですか!良い名前です。私にピッタリだ」
「あなたがオルフェウスであるのは、必要な事であったわ。しっかり頼もしい誠実なオルフェウスがいなければ、あなたの家はつぶれていたし、弟妹はどこに売られていたのかもわかりはしないわ。オルフェウスは、立派だったのよ」
ミシェルは微笑む。
「でも、小説を書く時までオルフェウスである必要はないわ。ペンネームで書けばいいのよ。小説の世界は自由なのよ。もっと風のように、自由なタイラーに小説をかかせてあげればいい」
でも実際の世界にタイラーがでてこられたら、生活がたちゆかなくなると思うから、タイラーになるのは休みの日の夜の小説の中だけでいいんじゃないかしら、とミシェルは笑った。
「そうですね、ミシェルさん。タイラーなら、あの子たちのように飛び込めそうです」
そういうと、オルフェウスはいきなり走り出し、見事な二回転半捻りまでつけてどぼん!と冬の海に身を投げた。
あまりの見事な飛び込みに、あちこちから拍手があがる。
「ミシェルさん!ありがとう!良い小説が書けそうです!」
タイラーのいたずらっぽい顔になったオルフェウスは、なんとそこから泳ぎだして、離れた所の小島をめざす。
「ちょっと!オルフェウスさん!」
ミシェルがあわてて止めようとしたとき、神殿から大きな鐘の音がした。
神殿の大きな馬車が到着した。
カロンが正装でやってきて、まぶしい。




