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ミシェルは、その後、セイに、ありあまる休職中のその時間中に、手芸の教室にいくように勧めた。
この世界での手芸の扱いは、伯爵となる為のエリート教育にふくまれない、女性の手慰みだそうだ。
普通の貴族男性は絶対に習うようなものではないらしいが、セイは、ミシェルが勧めてくれるなら、と頷いた。
「できたら平民で、心の優しい、お年寄りの先生を紹介してほしいわ」
ミシェルは先生を選抜するにあたってそう、ここの領民をよく知るダンテにお願いをした。
セイの父親を思わせる全てのものを排除した学びがいい。
優しい平民の先生から、女性の芸術を、女性的なやりかたで教えてもらうのだ。
競争相手がない学びだ。
セイがこれまで経験してきた「学び」は、間違えは罪であり、罪には罰を与えられ、競争相手を蹴落として一番にならなくてはいけないという歪んだものだった。
だからセイは、部下の失敗を許す方法も、理由も考えられないのだ。
結果、パワハラ男と化してしまった。
これからは、優しい女性の平民の先生の下という、とても安全な環境の中で、安心して沢山の失敗して、失敗をしっかり許してもらって学ぶという成功体験を繰り返してもらうしか、ない。
この男は、優秀な男だ。たくさんの失敗を、ゆるしてもらう経験を重ねれば、人の失敗を許す事など、すぐに学べる。優しく教えてもらう経験を重ねれば、優しく教えても、失敗を重ねても、人は伸びる事を、学ぶだろう。
・・そして、今まで自分が部下に行っていた事は、相当酷い、パワハラに相当する事も、学ぶだろう。
加害者の自覚。それはセイにとって、辛いものであるだろう。
だが人生は長いのだ。ここで逃げるわけにはいかない。
(まあ、いままでパワハラした分に関しては、残念だけどチャラにはならないから、一生懸命償わないといけないけどね)
セイは被害者だが、同時に加害者でもある。
セイのパワハラで心を壊した人々を償う義務も、きちんとあるのだ。
ダンテに紹介してもらった、5人も孫がいる平民の優しいおばあちゃんにセイは今、刺繍を習っている。
針など触ったことのないセイ、あまりに不器用なので、おばあちゃん先生は頭を抱えているとか。
おばあちゃんのまだ10歳に満たない孫達に笑われながらも、みんなが応援してくれる中での新しい学びは本当に楽しいそうだ。
セイの一つ作品ができあがる度に、子供達とおばあちゃんが、ミルクで乾杯してくれる、温かい場所らしい。
ダンテはいい先生を紹介してくれた。
下手くそな刺繍が施されてある上等な布地のハンカチが、丁寧なお礼の言葉と、そしてデートへのお誘いの記してある手紙と共にミシェルに届けられた。
(イケメンなんだけどな)
「行かないの?」
手紙を読み上げてくれた、カロンが、ミシェルに、不思議そうに聞いた。
デートのお誘いの事だ。
ミシェルは興味なさそうに、答えた。
「うーん、行かないわ。やっぱり過去の事とはいえ、まだ被害者が苦しんでる状態なんでしょ?まだ償いも終わってない男は、無理むり」
ミシェルはそういって、下手くそな刺繍のある、セイのハンカチだけを大切そうに、ポケットにしまい込んだ。
セイも被害者であったとはいえ、対人恐怖に追いやるほどの詰め方された被害者がいるのだ。
まずしっかり、己の罪をつぐなってもらってからだ。
セイは確かに大物の独身エリートイケメンだが、ミシェルもさすがにそこまで無節操では、ない。
「前の伯爵が死んで3年もたつのに、オデュッセイ様ははまるで、今現在父親が生きているかのように、強く激しく憎しみをおぼえていましたね」
まだ若いカロンは、そう不思議そうにダンテに問いかけた。
死んだ人間に対して、こうも強く感情を抱き続ける事が、理解できないのだろう。
「死んだからっていって、人の思いは消えない。むしろ、死んだからこそ、思いが強くなる。どんなにもがいても会えないから、思いばかりが強くなるんだ」
ダンテはぽつり、と自分に言い聞かせるように、そうつぶやいた。
(そっか・・行先を失った強い怒り、行先を失った強い愛は、消える事なく、さまようのね)
ダンテが誰の事をいっているのかは、明白だ。
いつもは鬱陶しく聞こえる、ダンテのベアトリーチェへの思いも、今日は、そう聞こえなかった。
外はもう、冬の足音がきこえてきている。
美しい緑の小鳥は、冬は南の国で過ごす。あと数回、小鳥の旅立ちを見送ったら、もう来年の春までは、さようならだと、ダンテは言っていた。
出会いと別れ。
みっともなく、行き先を失った愛や、怒りを持て余して、嘆き悲しみ、迷う男達を、なぜだかミシェルは、うらやましく思っていた。




