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全ての奇想天外はビッシュとの出会いから始まった――少なくとも一裏はそう思っている。
一裏とビッシュは夕日に波煌めく美しいフィジーのビーチで出会った。
それだけを聞くと、何かロマンチックな風景の中で感動的な出会いをしたみたいに聞こえるだろうが、そんなことは全くない。
そのとき一裏は言葉の全く通じない異国でホテルを探して四苦八苦、着ているスーツは日差しの強い南国を歩き回ったせいで汗と埃を吸ってクッタクタ、常夏の島なのを幸いに野宿で過ごそうかとしているところだった。
そもそもがツバルは随分と遠い国だ。日本からの直通便はなく、一度フィジーを経由していかなくてはならない。しかも乗り継ぎの都合上、どうしてもフィジーで一泊する必要があるという、とてつもなく遠い国なのだ。その移動時間、およそ四十時間。
なぜそんなツバルが一裏の行き先に選ばれたかと言えば、「日本人がメッタに行かないような国ならば、日本人がメッタに見ないような掘り出し物があるに違いない」という、これも社長の思いつき。一裏にとっては迷惑極まりない思いつき。
ともかく、飛行機で九時間を過ごしてフィジーまで辿り着いた一裏だったが、ここで言葉の壁にぶち当たった。まず日本語が一切通じないのだ。
フィジーは英語の通用する国ではあるが、一裏のジャパニーズな訛りの強いイングリッシュ聞き取ってもらえず、また一裏も流暢な英語を聞き取れるヒアリング力があるわけでもなく。
「嘘でしょー、ここどこー?」
気がついたらフィジーのビーチに辿り着いていた。それも観光客で溢れかえる華やかな表ビーチではなく、人のほとんどいない穴場的な裏ビーチだ。
「そ、そうだ、位置情報!」
スマホを取り出した一裏は、その表示が“圏外”になっているのを見て絶望した。
「ウソだろ……」
自分が今いる場所もわからない、こうした場合の対処法をネットで調べることもできない、誰かに電話をかけて助けを乞うこともできない。
「オワタ」
一裏は \( ∵ )/ そのままの表情でビーチのど真ん中に立ち尽くした。
絶望していても海は青く、砂浜は白く、フィジーのビーチは美しかった。
どのぐらい茫然自失としていたのだろうか、一裏がハッと気づいた時にはもう、夕暮れだった。
夕暮れてても海は美しく、水平線に半分ほど沈んだ夕陽に照らされて水面はラメを撒いたかのようにキラキラしていた。空は青とオレンジが混じり合って辺りをアメジスト色の夕闇で包み込み、遠く見えるフィジーヤシがまるで影絵のように……
「って、それより、今夜の宿! あー、どうしよー」
一裏はコミュ障である。それが一日中、見知らぬ土地で見知らぬ人に話しかけて頑張ったのだから、もうすでに気力が残っていない。
今からもう一度ホテルを探して苦手な英語で「ルーム、ルーム! トゥデイステイルーム!」と交渉するのはあまりに苦痛がすぎる。
「もうさ、ここで寝ようかな」
幸いに常夏の島のこと、海から吹く風は心地よく、砂浜もふかふかだ。それによほど穴場のビーチなのか、人影はひとつもない。
「いや、でもなあ、野宿か、うーん、野宿ね……」
都会っ子である一裏は、野宿の経験なんて、もちろん、ない。
だからその砂浜がどんなにふかふかでも、潮風が空調並みに快適でも、無防備に「うわーい」と身を投げ出す勇気はないのだ。
逡巡する一裏は、ふと、波音の合間に耳慣れないキイキイという音が混ざっていることに気づいて耳を澄ました。
「おばあちゃんちの裏の木戸が風に煽られてる時の音に似てる」
木が擦れる時に特有の柔らかい軋み音。それは船を漕ぐ櫂の音。
しかも音は海の向こうから、だんだん近づいてくる。
「え、え、なに、なに!」
沖合にポツンと小さく船影が見えた。
「んん、人?」
一裏は目を細めて船を見た。遠目に見ても小さな、たぶん筏のような船だ。その艫に立っている人影が、こちらに向かって手を振っている……ように見える。
「なに、僕? え、僕に手を振ってる?」
一裏は怯えながらも片手を上げて、ひらひらと振ってみた。とたんに筏の上の人影が動いた。
船は突然スピードを上げて、まっすぐ一裏に向かってくる。
「え、こわいこわいこわい!」
筏はあっという間に波打ち際にたどり着いて、それを漕いでいた船頭は突然、元気よく飛び上がった。
「きゃー、ほんと、なに!」
黒いローブを頭からすっぽり被った男が、怯える一裏の目の前にザンっと着地する。
これが一裏とビッシュのファーストコンタクトであった。