4話「夜が近づく」
白い毛並みが上品なアカリからこの世界について聞いて、私は言葉を失う。理解が追いつかず脳が整理できていないことを察してくれたのか、彼女は「もう少しここにいて良いよ。寛いでいったらどうだい」と声をかけてくれた。私はその言葉に甘えてもう少しここに滞在することに決める。というのも、ここを出ても当てがないのだ。誰一人として知り合いがいない世界に飛び込むよりかは、知り合いのいるここにいる方が安全だろう。精神にも良い。
アカリはやって来た客と話をしている。
私は一人だ。
今までは色々なことがありすぎて思考がそこまでたどり着かなかったのだが、その時になってやっと母親のことを思い出した。
私は母親と喧嘩して家を飛び出した家出少女だ。そして、きっと行方不明になっているのだろう。だとしたら、母親は私のことを心配しているかもしれない。彼女は時折きついことを言うが、根っからの悪人ではないのだ。だからきっと、何だかんだで私のことを心配してくれているはず。
行方不明になっていたとしたら、今頃騒ぎになっているだろうか?
母親は警察に捜索するよう頼んでいるのではないか?
……できれば大騒ぎになっていなければ良いのだが。
時が経ち、外の色が変わってきた。
明るかった空は徐々に赤く染まりゆく。そして今度は紫へと変色し、光量が減ってくる。日が傾いているようだ。
「マコト、今晩泊まっていくかい?」
もうじき夜を迎える、という頃。
一人ぼんやりしていた私にアカリが声をかけてきた。
「あ……帰ります。その、お金がないので」
「帰り方なんて分かるのかい?」
「いえ、まったく。……でも、いつまでもここにいたら迷惑ですよね」
「まーったく何言ってんだか! 迷惑なんかじゃないよ!」
本当に? ここにいても良いの? 私はお金を持っていないし、金になりそうなものも持っていない。それなのに泊まらせてくれるの? 私みたいな、ただの家出少女を? 良い客じゃないだろうに。
「え、ほ、本当ですか……!?」
帰る方法が分からない以上、この街で過ごすしかあるまい。
それは夜が来たとしても変わらないこと。
もっとも、夜になれば元の世界に戻れるなら話は別だけれど……。
「もちろん! ……ただ、一つ頼みがあるんだけどね」
「頼み、ですか?」
とんでもない頼みが来たらどうしよう、と、全身の筋肉が強張る。
平凡な十七歳の少女がこなせる内容だろうか。そこだけが心配だ。アカリの頼みを聞くこと自体は嫌ではないのだが。
「実は人の子を探している客がいてねぇ」
「え……」
「その客と気が合うか試してみてほしいんだけど」
「そ、それって……」
どんな言葉が出てくるのか、次の瞬間が怖い。
「一晩話し合ってみてくれないかい?」
「ム、ムムムム、ムリですーっ!!」
分かっている、変な意味ではないと。ただ話して気が合うか確かめるだけだと。でも、それでも、私には荷が重い。つい先ほどやって来たばかりの世界で、見知らぬ人と夜を過ごすなんて。さすがにそれは私にはできない。
「どうしたんだい? そんなに慌てて」
アカリは首を傾げておかしなものを見たような顔をした。
「ごめんなさい! 無理です!」
「……まずは落ち着いてくれるかい。言われなくとも、そんな危険な目には遭わせないよ」
「は、はい。でも……私、男性慣れしていないので……」
十代後半にもなれば大抵の人間は異性との交流が盛んになっているものであろう。だが、私の場合はそうではない。私は派手な交流を好む方ではないので、異性とも用事くらいでしか話さないのである。特に最近は。
「でもアンタ、マッチャにははっきり言ってたじゃないの」
「それはまた別です……」
マッチャは異性として見ていなかった。
熊みたいな見た目の人、と捉えていた。
「ま、何にせよ彼と会ってもらうよ」
「ええ!? 強制ですか!?」
「そんだけ叫べる元気がありゃ大丈夫だろうと思うよ?」
お世話になっているのだから多少は仕方ない――のかもしれないが、まさかこんなことになってしまうなんて思わなかった。頭がついていかない。
そんな状態のまま、私は夜を迎える。
私はアカリに呼ばれて個室に連れ込まれた。
何が始まるのかと不安に思う。が、その不安は一気に消えた。というのも、視界に美しい布が入ったのだ。
「せっかくだからこの服を着てみるってのはどうだい?」
「素敵ですね……!」
紅白が混じり合ったような生地に、様々な色の糸での刺繍。華やかだ。
「着せてあげるよ」
「で、でも、私……お金がないです……」
「アンタはお金のことばっか気にしてるねぇ! 良いんだよ、そんなことは!」
「は、はい……」
なんだかんだで、流されるままに服を脱がされた。そして、目の前の鮮やかな色の布を巻き付けられる。和服に限りなく近い衣だ。思えば、和服を着たことはなかった。初めての体験である。
「はい! できた!」
それから十数分、和服に似た衣の着用が完了した。
姿見を渡される。そこに映る私の姿は、いつもの私とは別人であるかのようだった。化粧をしたわけではないし、髪も少しまとめただけ。それなのに、雰囲気ががらりと変わっている。なぜだろう、急激に大人になったみたいな気分だ。
「こ、これは……。凄いですね」
思わずそんなことを漏らしてしまう。
自分の姿を見て「凄い」なんて言うなんて、普通ならおかしなことだろう。ただ、今は心の底から感じたので、そのまま真っ直ぐに気持ちを述べてしまった。
「そうだろ? アンタ、案外こういう服似合うね!」
「何だか、別人になったみたいな気分です」
「これで準備は完璧だね! そうだ。そろそろお客が来る頃かな?」