3話「人の子」(2)
数百年生きるだなんて、もはやファンタジー世界の生き物ではないか。現実世界にだって長生きする生き物はいるけれど、軽々と数百年生きてみせる生き物はほとんどいない。数百年生きるなんてことが起こり得るのは、現実においては、物語の中でだけ。
「ははは。アンタは可愛いね。素直で」
「そんなことないです……」
その時、私はふと思い出した。
ズボンのポケットに突っ込んできた髪飾りのことを。
祖母が言っていた髪飾り。あれも、もしかしたら、この世界と何か関係があるのかもしれない。確信するには至っていないけれど、無関係ではないような気がする。
私はポケットに右手を突っ込む。そして髪飾りを取り出す。赤と黒の大人びた髪飾りを。
それを見た瞬間、アカリが目を見開いた。
「ちょっとアンタ! どうしてそれを!?」
「……え」
「その髪飾り! 団子屋の旦那の!」
「えっ。この世界の方の持ち物ですか」
これについて何か知っていることはないか。そう尋ねてみようと思っていたのだが、尋ねるより先にアカリが反応した。
団子屋の旦那の、と言うということは、その人の持ち物なのか?
でも、これは確かに我が家にあった。
誰かが盗んできた? 団子屋から?
「その髪飾りはね、団子屋の旦那が人の子にプロポーズする時に贈ったものだよ! 五十年以上前にやって来た人の子に、ね。……でも、それをどうしてマコトが持ってるんだい?」
道で偶々拾ったの。偶然出会った見知らぬ人に渡されたの。何とでも言えるだろう、ただ言うだけであれば。けれども、ここで適当に事実と異なることを言ったら、きっといつか困る時が来る。何かしらの形で矛盾が起こり、おかしなことになるに違いない。だから私は、本当のことを伝えることにした。祖母に言われていたこと、親と喧嘩し家出した勢いでそれを実行したことなどを、一つずつ話した。
「なるほどねぇ。そういう事情があったんだね」
「は、はい。髪飾りのことはよく分からないですけど……」
私はあまり器用な方ではないので、説明も上手くはできなかったけれど、アカリはきちんと聞いて理解しようとしてくれていた。
「髪飾りのことなら分かるよ!」
「えっ」
「アンタの婆さんが五十年以上前にここへ来た人の子だった、って話さ」
「……あ」
アカリに言われて、私は初めてそういう方向性のことを考えた。それまでは、そういう方向には思考が向かっていっていなかったのだ。
確かに、アカリが言う話も理解できないではない。
祖母は私に、髪飾りと鳥居のくぐり方を教えた。それはつまり、この世界へ来る方法を知っていたということだろう。何も起こらないのに教えるはずはない。とすると、彼女自身が今の私のような経験をしたことがあるということなのではないのか。
「祖母が……さっきの話の人の子……?」
「そういうことだろうね。それなら全部納得がいく」
お茶を飲みつつ「そうなんですか?」と尋ねると、アカリは「アンタの名字が山羊なことも、ね」と返してきた。
「さっき言ったろ? 団子屋の旦那が人の子にプロポーズする時に贈ったもの、ってさ。団子屋の旦那はね、ヤギに似た姿をしていたよ」
アカリは狼、マッチャは熊で……団子屋の旦那はヤギ!?
「で、でも! 祖父はヤギではなかったです!」
「人の子と正式に契りを交わせば、人の姿になれるからね」
当たり前のことを述べるようにアカリは言った。でも私には理解できない。正式に契りを交わせば人の姿になれる、なんて、恐ろしいくらい意味不明だ。
「え……。そ、そんなことが……? 信じられません」
「この世のことを知らないんだ、無理はないだろうね」
「その話……本当……なんですか……?」
「あぁ、そうだよ。団子屋の彼が人間の姿になるところ、アタシはこの目で見たからね」
アカリのことを疑っているわけではない。見知らぬ私をここまで連れてきてくれた彼女のことだ、信じようとは思っている。しかし、彼女の口から出てくる話は突飛なもの過ぎて、私の脳ではとても理解できない。いや、理解できないのではなく、脳が理解を拒もうとしてしまうのだ。