23話「こちら」
気づけば、神社の鳥居の前にいた。
直後は状況が呑み込めなかった。和風の街にいたはずなのに、突然現代的な街に移動していたから。けれども、数秒考えたら、今の状況をある程度掴むことができた。
現状を把握する助けとなったのが、小さな虎のおもちゃだ。
手もとにそれがあるのを見た時、私はすべてを思い出した。
私は母に当たられて自宅から飛び出したのだ。そして、神社の鳥居をくぐって、こことは違う別の世界へ行った。そこでアカリやマッチャと出会い宿屋に保護。その後に、人間になりたいフクロウ似のトウロウと知り合った。
「そうだ……!」
思い出したのは、トウロウのこと。
私と共に行くことを誓ったのだから、彼もまたこちらの世界へ来ているはず。
急いで辺りを見回す。人の姿になった後のトウロウの目鼻立ちははっきりとは記憶していないが、おおよその雰囲気なら思い出せる。そこで、その曖昧なイメージだけを参考にして、私は彼を探すことにした。
すぐには見つからない。
けれど、捜索開始から十数分が経過した頃、木々の狭間に倒れている人を発見。
私はすぐに声をかける。
「あ、あの……大丈夫、ですか?」
最初は怖さもあったので小さめの声で話しかけてみた。
けれど返事はない。
ただ、接近したことによって、人間になったトウロウだと確認することができた。今は夜で、光は月からのものしかない。それでも、至近距離にまで接近すれば、倒れている人物が何者であるかくらいは判断できる。
……そっくりさんであれば話は別だが。
「あのー。トウロウさん、ですよね?」
二度目の声掛けは先ほどより僅かに大きくした声で。
倒れている人に声をかけることにも段々慣れてきた。
しかし返答はなかった。
彼は眠っているかのような穏やかな顔つきをしている。が、眠りがとても深いのか、私の声掛けにはまったくもって反応しない。返答どころか、声を漏らすことすらない。これではまるで眠り人形。
このまま同じことを繰り返しても進展がないだろう。
そう考え、今度は別の作戦を立てることにする。
声掛けだけでは反応がないなら、別の方向から刺激を与えてみるべきだ。そう思って、両手で体を揺すってみる。最初はゆっくり、徐々に早く、しまいには激しめに。
そうして、揺らし方が激しくなり始めた時。
倒れている男性は「う……」と寝惚けたような声を出した。
「トウロウさんですよね!? 起きてくれます!?」
「ううー……眠いんです……」
いつか聞いたことがあるような返答に私は少し微笑んでしまう。
彼はやはり彼なのだ、と感じることができて。
「人間の世界に来ていますよ!」
「……え!!」
ここまで呼んだり揺らしたりしても起きる気になれないというなら、奥の手を使う――それは効果抜群だった。
人になったトウロウは、すぐに飛び起きたのだ。
しかも、目もぱっちり。
「ここが人間の世なんですかっ!?」
トウロウだった男性は、期待をはらんだ目で辺りを見回す。しかし、周囲にはほとんど木しかなくて、戸惑ったような顔をした。
「……マコトさん、ここ、ほぼ木しかないですよ」
彼がイメージしていた人間界がどういうところか分からない。ただ、この場所が彼のイメージから離れていたのだということだけは、何となく掴めた。
「神社の中ですから」
「人間の世って、もっと綺麗で華やいだところなんだと思ってました」
「街へ行けば華やいでいます」
「へぇー。そうだったんですか。じゃ、街へ行きましょう」
トウロウはいきなり立ち上がった。今にも歩き出しそうだ。行くあてなんてないだろうに、既に足を動かそうとしている。
……行動が早すぎる。
「待って下さい! トウロウさん!」
「何ですか、大きな声を出して」
渋柿を食べたような顔を向けられてしまった。
「街へ行くって……どうやったら行けるか分かってます!?」
「あぁ、確かに、よく分かっていませんねー」
「じゃあ駄目じゃないですか!? どうやって街へ!?」
「ま、なんとなーく歩いてみようかと」
呑気過ぎる。呑気にもほどがある。トウロウにとっては、ここは馴染みのない世界のはず。それなのに、慌てることも慎重になることもしないなんて、私には理解できない。
馴染むのが早いのは良いとしても、最初くらい、もう少し何か考えるべきだろう。
「そんな感じなんですか……」
「え、駄目でしたー?」
「いえ……べつに、駄目とかじゃないですけど……」
私には理解できない。ただそれだけ。
「マコトさんは行くところとかあるんですか?」
私はまだトウロウの反応に驚いているところだというのに、トウロウは既に話を先へと進めていっていた。
「そう、ですね……家は一応ありますけど……」
「家! それは良いですね!」
「トウロウさん、妙にテンション高いですね」
「そりゃそうですよ。この世界に来るのが夢でしたから」
こんな世界、私にとっては楽しくも何ともない世界だ。母に当たられるのを我慢するだけの日々。こんな暮らしは疲れるばかり、ずっとそう思って生きてきた。
それなのに、トウロウはこの世界へ来たことをとても喜んでいる。
向こうの世界の方が絶対良かったはずだ。多少危険さはあっても、のんびり過ごせる。私からすれば、あちらの方が絶対良い世界。
「……そんな良いものじゃないですよ、ここは」
「マコトさんは頑なですねー」
「だって、本当ですから。家族とか……面倒臭いですし」
帰ってきてしまった。そう思うだけで、げんなりする。またあの不愉快な暮らしへ戻るなんて、想像するだけでも苦しい。
「そうなんですね。でも、もう問題なしです」
「……え?」
「これからは僕がいますから。のんびり過ごしましょうよ、マコトさん」
その後、私はトウロウと共にマンションへ帰った。
私はやはり行方不明の扱いになっていたようで、それゆえ、親に物凄く驚かれてしまった。
私はトウロウのことを「助けてくれた人」と言う。最初は理解されなかったけれど、徐々に理解を示してもらえるようにはなった。
結局また、この場所へ戻ってきてしまった。
悪人ではないが幼稚で他者を傷つけることに長けた母は、帰ってしばらくの間だけ優しげだったが、すぐに元に戻る。都合が悪ければ他人に押し付けるところは変わっていなかったみたいだ。
でも、今はもう、一人ではない。
今は私の話を聞いてくれる人がいるから、以前よりは強く生きてゆける気がする。
◆おわり◆




