3話「人の子」(1)
「アタシの名前はアカリ。ここで宿をやってるんだ。ま、ちょっとだけだけどね」
白い狼の女性――アカリは、私の隣に腰を下ろしてからすんなり名乗った。
人でない頭部の者と話しているという状況が謎過ぎていまだに理解しきれない。が、今はもう多少慣れて、大騒ぎするほどのことではないように感じてきた。
「あっちの熊の男はアタシの旦那だよ。名はマッチャっていうんだ。ああ見えて優しいやつだから、いきなりは無理でも、仲良くしてやってちょうだい」
ここで熊の男性の名まで聞けるとは思わなかった。正直、少し予想外だ。私はいきなり出現した人の子で、彼らからしたら怪しいだろうに、こんなにあっさり名乗ってもらえるなんて。
「アカリさんとマッチャさんですね」
「そういうこと!」
内装が和風寄りのものであるように、名前もまた和風だ。
アカリの服装もそうだし、かなり和風な世界なのかもしれない。
「……でも、良かったのでしょうか。いきなりお名前を聞いてしまって」
「アンタ何言ってんだい? そっちも名乗ってたじゃないか」
「そ、それはそうですけど……怪しいと思わないんですか……?」
恐る恐る尋ねると、アカリはプッと吹き出す。
「思わないよ!」
アカリは馬鹿げたジョークを聞いたかのように笑っている。
大声を発する豪快な笑い方ではないが、非常に面白がっていることがよく伝わってきた。
「いつだったかな。昔もさ、迷い込んだ人の子に出会ったことがあってね」
「そうなんですか?」
湯のみを傾け、お茶を飲む。
熱めの湯気と共に昇ってくるのは柔らかな香り。女性の柔肌を撫でるような香りだ。そして、そんな滑らかかつ柔らかな匂いの中に、微かにスパイスのような匂いが混じっている。例えるなら、物凄く優しそうなのにたまに発言に棘がある女性、といったところだろうか。
味は普通の緑茶に近かった。ほどよい苦味があり、飲み込んだ後にほんの少しだけ甘みを感じるような、そんな味わい。ただ、飲んでいる最中にも刺激のようなものを感じることはあった。恐らく、スパイスのような匂いをさせているものが入っているからなのだろう。
「うーん、あれは確かー……もう五十年以上前だったかな」
「五十年以上前!?」
私は半ば無意識のうちに大きな声を出してしまっていた。
五十年以上前のことをさらりと話すということは、アカリの年齢は五十歳より上なのだろう。そのことが、物凄く驚きだったのだ。
「あぁ。そうかい。人の子からすれば、五十年は大きいもんね」
「ここでは違うのですか?」
「そうだね。アタシらは数百年生きるからね」
「す、凄い!」