11話「理不尽から」
意識を取り戻した時、すぐ横にアカリがいた。
私はどうやら床に寝かされているらしい。視界の様子から、仰向けで寝るような体勢になっていることを察することができた。
それにしても。
アカリは近くで見ると白い毛並みがとても美しい。聖獣のごとき麗しさで、つい見惚れてしまいそうになる。
「気がついたのかい?」
いつの間にか着ている服が変わっていた。
しかし、自分で着替えた記憶はないので、アカリがその手で着替えさせてくれたという説が有力かもしれない。
今は緩い浴衣のようなものを身にまとっている。布の隙間から空気が入り込んでくるため、心なしか寒さを感じる――気もするが、不快ではない。
「あ……はい。気がつきました」
私は恐る恐る上半身を持ち上げる。
現時点では、不審な点はない。
どこか痛い部位があるということはないし、調子が悪そうなところがあるというわけでもなかった。この身は健康そのものだ。
「ちょっと驚かせすぎちまったかね? 急に倒れてびっくりしたよ」
アカリはクスクス笑いながらそんなことを述べる。
「すみません」
「いやいや、アンタは悪くないよ」
彼女がいると場の空気が晴れやかになる。
今はなぜかそんな気がした。
「それで、えっと……何の話をしてましたっけ」
上半身を起こすことは難しいことではなかった。身にまとっている衣服が体を圧迫しない緩めのものだから、なおさら動きやすい。
ただ、帯のある服を着ていたとしたら、ここまで楽には起き上がれなかったかもしれない。
「トウロウがアンタを気に入ってる、って話さ」
ちょっとした挑発が好きないたずらっ子のような笑みを浮かべるアカリ。
「……あ、そうでしたね」
気を失う直前の記憶はとても曖昧。けれど、アカリが答えてくれたことで、多少は記憶を取り戻せた。
そうだ、トウロウのことを話していたのだ――そんな風に。
「あれは……本当のこと、なんですよね?」
良い印象を抱いてもらえているなら、それは幸運なことなのだろう。少なくとも、嫌われているよりはありがたい。ただ、トウロウが私のことを良く思ってくれているというのは、どうも信じられない。
そもそも、トウロウは私のことを「好みでない」と言いきっていたのだ。信じろと言われても無理なことだってある。
「そりゃそうだよ! 嘘をつく意味がない!」
「確かにそうですね」
「分かるかい? ならそんなに疑った顔をしないでほしいねぇ」
「すみません……」
一応謝っておく。
アカリには世話になっているから、乱暴な接し方はできない。
「本当に、色々すみませんでした」
こちらが頭を下げると、アカリは少々気まずそうな顔をした。
謝らせた罪悪感のようなものが芽生えたからだろうか。アカリの心情は、私には想像するくらいしかできない。が、想像するだけでも、百は分からずとも十くらいは分かるかもしれない。
「あぁもういいよ! アンタが悪いんじゃないしね!」
「……ありがとうございます」
私はこれまで、一方的に責められる経験を何度もしてきた。
母親がそういうことをしてくる人物だったからだ。
悪人ではなかったし、私も彼女のことが嫌いだったわけではない。ただ、彼女が不機嫌になった時には、よく溜め息をつきたくなるような現象に巻き込まれた。
なんせ、彼女はすぐ他人のせいにするのだ。
そんな経験を重ねてきたからこそ、アカリの責めない姿勢に優しさを強く感じる。
「トウロウの部屋に行くかい?」
「えっ……今からですか」
「何を言ってるんだい? 今からじゃなかったらいつだと思ったのか分かりゃしないよ!」
「そう、ですよね……」
こうして私はトウロウが宿泊している部屋へ行くこととなった。
先のことに関しては不安しかないが、今は進むほかないのかもしれない。
これまでとは違う華やかでない服装でトウロウの部屋を訪問する。ノックされて扉を開け、私の姿を見た時、彼は少し驚いたような表情をしていた。が、アカリとの話が終わったことを告げると、彼はすんなり室内へ入れてくれた。
もう初めてではない和室。
最初にここへ来た時よりかは、ずっと心が軽い。
「どうぞ、お好きに」
トウロウは夜間元気だ。そもそも陽気ではないので態度はそっけなくも見えるが、眠そうな感じは一切ない。よく目が覚めている時間帯なのだろう。
「ありがとうございます。お邪魔しまーす」
「敢えて伸ばす意味が分かりません」
「あっ……深い意味はないんです。ただ、その……ごめんなさい」
「あ、いや。べつに怒ってはないんで」
また静寂が訪れてしまった。
険悪なわけではないが、何となく気まずい。
トウロウは拡大レンズを片手に読書し始めた。私は特にすることがない。話を振ってみようかとも考えたのだが、読書の邪魔をしたらと思うと不安で声をかけられない。
私たち、いつか仲良しになれるの?
このままずっと気まずいまま一緒にいなくてはならないとしたら……。
暗い夜だからか、そんな良くない思考ばかりが生まれてきてしまう。運命なんてどうせ分からないのだから、考えるだけ無駄ではないのか――そう思いつつも、思考の波は去ってくれない。
一人もじもじしていた時、急に声がかかる。
「マコトさん、僕、人間になってみたいんですよ」
それはトウロウの声だった。
彼はなぜか、本を読む体勢のままで話しかけてきたのだ。
「は、はい……? 人間に?」
「そうです。この世界から出て、また違った生き方をしてみたい。それが夢なんですよね。馬鹿みたいかもしれないですけど」
トウロウはこの世界から出ることを夢みているみたいだ。でも、私からすれば、こちらの世界で生きる方がきっとずっと幸せ。それは間違いないと思う。人の世なんて厄介なことばかりではないか。
「人間の世界なんて、面倒なことが多いです……よ?」
「ここで生きてゆくよりは良いと思うんですよねー」
「そ、そう……でしょうか。正直……私はそうは思いません」




