09 怪しい薬の受け渡し
「だから、変に誤解を受けたくないんだよね。あんたが付き合う子ってパリピ系かギャル系が多いじゃない」
「え? もしかして翡翠ちゃん自分の評判気にしてるの?」
「は? あんたに関係ないでしょ! で、相談って何よ。ついでに翡翠ちゃんもやめて」
虫唾が走る。
「最近、前歯うずくんだよなあ」
「え? そりゃあ、カピバラだからじゃない」
「いや、俺、人だし」
真顔で彬人が答える。
「だから、基本カピバラなんだって、キルケの術が完全に解けたわけじゃないからね。硬いもの食べないと前歯伸びてくるよ」
「やめろよ。脅かすなよ。趣味悪いぞ!」
おびえた表情で彬人がいうが、事実である。
「硬い木の枝でもかじるのね。それが一番よ」
「人の姿で?」
「うん、早朝とか深夜の公園で人気のないところで齧ってみれば? カピバラの時も極力硬いものをかじるように。家に角材を置いておくとか」
「もうそれ、人としてアウトだろ」
彬人が絶望的な表情を浮かべる。
「だから、もう半分くらいカピバラなんだって」
「畜生、キルケの術解けねえのかよ」
「まあ、時間がたてば、徐々に解けていくんじゃない。完全にではないけれど。私に会えたのはラッキーだったわね」
「そうなのか?」
彬人が不審げに眉根を寄せる。いちいち失礼な奴だ。
「動物でいる時間が長ければ長いほど人としての意識は消えていく」
「うげっ」という顔をしながら、洗い物を済ませ、人騒がせなカピバラもどきは帰っていった。時々笑わせてくれる奴だが、人になるとうざいのでもう来ないでほしい。
頑張って十回分ほど薬を作って会わないようにしよう。今は三十分ほどの効き目でも継続すれば長い時間効き目が出てくるはずだ。
それに大学で彬人といると他の女子の視線がひたすら怖い。
その日、翡翠は四限の授業を終えて、帰り支度をしていると教室に彬人が現れた。十日ぶりだ。彬人もようがなければ翡翠のもとに来ないし、翡翠も彬人に会いたくない。
そして、教室にまだ残っていた女子たちの熱い視線が無駄に超イケメンな彬人に集中する一方で、翡翠にはとげとげしく冷たい視線が突き刺さった。
(人は、なぜ見た目に騙される)
翡翠は切なく思う。
「ねえ、翡翠ちゃん」
「翡翠ちゃんやめて。それから人の姿で話しかけないで」
「いや、だって人の姿じゃなきゃ薬の受け渡しできないだろ? 金渡せないし」
彬人があきれたようにいう。
「あんた、ただでさえ目立つんだから、そんな怪しい言い方しないでよ。おかしな取引するみたいじゃない」
「実際怪しい薬受け取るし、おかしな取引じゃないか?」
そういってあざとく小首をかしげた。イケメンだけに様になるのが小憎らしい。
「いい加減にしないと値上げするよ」
「ひでえ」
実際、彬人とこうやってかかわるようになってから女子に嫉妬されるし、遊び人かと勘違いされて最近は大学内でナンパされこともある。はた迷惑な話だ。
「まったく商売あがったりよ」
翡翠はふうとため息をつく。
「え? 商売って?」
「何でもない。で? 用件は」
「俺さあ、あのキルケおばさんの言っていることが気になっていろいろ調べてみたんだ」
話が長くなりそうだ。
「てか、教室であんたと話していると注目浴びるんですけど?」
翡翠が少しキレ気味に言う。
「じゃあ、20分後、食堂の自販機前に集合。俺腹減ったから、菓子パン食いながら話したい」
突っ込んだら負け。
「子供か!」
我慢できなかった。
閑散とした大学の食堂で、目の前に座る彬人が大きなメロンパンをほおばっている。なんだか食べている姿が、カピバラっぽいし、最初にあったころのそぎ落とされたような鋭さがなく、今はむしろ茫洋とした感じでユーモラスに見えてくるから不思議だ。
「で、何の話よ」
彼の雰囲気がカピバラに引きずられつつあることは黙っておこう。
「だから、あのキルケっておばさんが以前も迷い込んできた奴がいた的なこといっていただろ?」
「ああ、まあね」
「だから、俺、この大学での失踪者を調べたんだ」
「なんだってそんなことを?」
「ほかにも被害者いるか気になるじゃないか」
翡翠は首をかしげる。キルケにとらわれたものは物言わぬペットになっていることだろう。探してみつかったとしても、もう元に戻すことはできなし、そもそも生死すら定かではない。
「ふうん、でもここにキャンパスができたのって40年くらい前じゃなかったっけ? それ以前は都心にしかなかったよね?」
「うん、だから都心にあったキャンパスのほうも調べたんだ」
「この大学が狙われていると考えたの?」
「大学がというより、若者だよ。だって、ジジババをペットにするより、若者のほうがいいだろう」
得意げに彬人はいうとメロンパンだけでは足りなかったらしく、自販機でチョココロネを買い足している。
「よくそんなに食べて太らないね」
「食わなくちゃやばいんだ。獣になったり、人間に戻ったりするたびに消費カロリーが半端ない。下手すると筋肉が落ちて痩せちゃうんだよ。それにカピバラの時は草しか食えないし」
「え? 草って。あんた、まさかそこらへんの草食べたの? だって散歩中の犬とか……」
「うるさいな! わかっていても言うなよ! それに人の話しの腰を折るな」
彬人が真っ赤になって抗議する。
そこら辺の草を食べるあたり、いろいろ意識も人ではなくなっているのかもしれない。だいたい彼は元から食い意地が張っているのだ。
「で、失踪者探してどうするの? 被害者の会でも作るつもり?」
果たして人として生き残っているものがいるのだろうか。はなはだ疑問だ。
「俺、思ったんだ。一緒にキルケを討伐しようぜ。お前も時々髪が白くなったり、目が赤くなったりして困っているんだろ?」
確かに煩わしい面はある。
「まあ、私はある程度コントロールできるから」
「くくくっ」
なぜか彬人が含みのある悪い笑みを浮かべる。
「何よ?」
「そういやお前SNSで晒されてたぞ」
「え? 何のこと」
まったくの初耳だ。彬人が横でスマホを操作する。
「ほら、リアル綾〇レ〇だって」
彬人のスマホをのぞくと白髪赤目の翡翠が駅で隠し撮りされていた。キルケの後遺症で今でも気を抜くと時々白髪赤目になったしまうのだ。
「いったい、誰よ! こんなことしたの!」
翡翠は怒りに震えた。
「よかったな。お前、今やオタクたちにモテモテだぞ! ほら見ろよ。コラ画像まである」
「あははは」と楽しそうに笑う彬人をにらみつける。
「黙りなさい、西園寺! 討伐なら、ひとりでどうぞ」
翡翠はきっぱりとお断りした。