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6話 うんち豚とメロン

 豚とメロンとの同居生活が始まった。メロンは気にしないと言っていたが、豚は自らの汚さと臭さに自覚的だったので毎朝小屋近くの水路で身を清めるようになった。犬みたいにブルブルッと体を震わせて撥水し、小屋に戻る。するとメロンが高確率でタッパーの中にうんちを用意してくれている。それを恭しく食べ、感謝を述べ、後は押し入れの中に入り込み暗がりの中でジット息をひそめる。そうしているとたまにメロンの客がやってきて、メロンを買っていく。押し入れにまで声は漏れ聞こえてくる。メロンと客が性交渉を行っている事はハッキリと分かった。豚には性欲は無い筈であったが、それでも得も言われぬ居心地の悪さは否めなかった。その上……とうに失くした筈のありとあらゆる感情・欲望の萌芽が腹の底で渦巻いているような不気味な感覚が豚をドギマギさせ続けるのであった。

 やがて嬌声が止むと、豚は闇の中にじっとメロンのうんちを思い描くのであった。そうやってうんち豚としての正気を取り戻そうとした。そうしていると時折メロンが押し入れの襖をあけ豚の目を眩ませる。そして豚を半強制的に引っ張り出し抱きしめながら客の愚痴を言ったり、ただただ豚を撫でたりした。「生でヤろうとしてきた」とか「服を汚された最悪」とか「乱暴されて痣が出来ちゃった」等々……豚は返答に窮しながらも、只管自らを卑下しメロンを褒めたたえ、メロンの苦しみに寄り添おうとした。その間メロンは決まって、豚の平たい会陰部に舐めるような目線を送っては微笑んでいるのであった。どうやら彼女はそうしていると安らぐらしかった。そんな緩やかな安穏と曖昧な熱情の交錯する日々が一月ほど流れた。


 夜。

 メロンとうんち豚は広大な麦畑沿いの小屋を抜け出し、あぜ道散歩をしていた。細いあぜ道なのでバランスを取りながら歩くのがメロンのちょっとした息抜きになるようであった。豚もやってみたが、これが意外となかなかどうして楽しいのであった。「うふふ。豚くん、遅いよー」「申し訳ございません!」やがて一人と一匹は疲れ果て、小屋の傍の柿の木に背を預け、怪しく黒揺れる麦畑を眺めていた。その際に豚は、麦穂って何かゲジゲジみたいで気持ち悪いと思ってしまい、醜いうんち豚の分際でゲジゲジ様を冒涜した罪の意識から自らを罵るのであった。「わたくしめは醜い」「わたくしめは最も醜い」「わたくしめは世界一醜い」


「豚くん、星がきれいだよ」


 見上げれば星月夜であった。理院戦争此の方、夜間灯禁止令が出されており、経済は地獄の様相を呈していたがそれはそれとして星月夜は息をのむ程美しいのであった。その美しさは、うんちしか望まない豚の心の琴線を僅か揺らす程であった。そしてメロンの肩と豚の腹がそっと触れ合う。


「罪巫女はね、妊娠したら殺されるんだ」


 哀しみに打ち震えた声であった。そしてメロンは、そっとマスカラ睫毛を伏せる。

 豚は口を開きかけたが、なにを言っても白々しいように思えて沈黙するばかりであった。メロンが続ける。


「ちゃんとゴム付けてくれる人もいるけど、頼んでもダメなこともある。……だからね、私もそのうち殺されるかも」


「それは……大層お辛いことでしょう」


 豚はなんとかひり出した。豚とてメロンへの同情はあった。メロンから受けた恩を返したいという想いもあった。しかし、豚に出来る事は何も思い当たらなかった。ましてや悪辣な客に対し押し入れから飛び出て制裁を加える事を確約するなど、卑屈な豚には考えもつかぬ事であった。


「私は、死んでもいいと思ってる。でも豚くんは死なないで。いっぱいうんちするから、なるべく生きて」


「……かしこまりました」


 ◇


 それからまた一月経った時であった。豚はいつも通り、押し入れでメロンと客の性交渉を聴いていた。早口で苛立たし気な男の声が、何事か捲し立てている。床のきしむ音がする。


「お前のせいだ何もかも。お前のせいだ」


 どうやら厄介なタイプの客のようである。始めメロンは男をなだめすかしているようであったが、小さく悲鳴を上げた。そのまま断続的にか細い拒絶の声と悲鳴が続く。「罪巫女の分際でよぉ」「お前のせいだ」「何もかもお前のせいなんだよ」豚は嫌でも理解していた。男はゴムを付けないまま、メロンを無理やり犯そうとしている。あるいは既に犯している。そうだ。間違いない。「お前のせいだ」「やめて……」「お前のせいなんだよ」しかし……。だとしても……。どのみち、自分には何も出来ない……。押し入れを開けて助けに入ったところで、惰弱なうんち豚の身では叶う筈もなく。却って事がねじれてメロンの不利益になるやもしれない。そうだ。そうに決まっている。そうだ。そうだ。そうだ。「お前のせいなんだよ」「お前のせいなんだよ何もかもが」豚の感情の萌芽のごった煮は何処までも煮詰まり、煮え湯を沸き立たせる。それは殆ど絶頂に近かった。……そして、男が呻いた。豚は自らの無力を残酷なまでに理解した。「お前のせいなんだよ」「お前のせいだからな」……また繰り返される罵倒の後、小屋の扉が軋む音がした。男が外に出たのだろう。暫くするとまた扉が軋む。メロンもまた小屋を出たようであった。豚は一匹きりになった。


 豚は別段、間違った事をしたとは思っていなかった。寧ろ最善を選択したとも思っていた。しかし、それでも罪を犯したという自覚はあった。もとより選択肢の類はどれを選んでみてもそれぞれに罪を伴うものであろう。そんな現実の不条理を、自らの罪深さを、豚は闇の中で深く噛み締めるばかりであった。そうしていればメロンの傷も癒え、自らの罪も薄まるような楽観が豚にあった事は否めない。


 しかし半刻後。豚は焦燥を憶えだした。

 ……メロンは未だ戻らない。……まさか。もしかして。もしかしたら。豚のコンセント鼻面に冷や汗が垂れ流れる。豚が気付いていないだけの、更なる罪悪の予感があった。


 豚が飛び出すと、やはりというべきか……メロンは首を吊っていた。いつぞやの柿の木に垂れ下げた麻縄に首を引っかけて、時が止まったかのように微動だにせずジット死んでいた。豚はその光景を時が止まったようにジット見つめていた。心から時が止まったように感じられ手ならなかった。だのに風の音と雲が流れゆくのが不自然でならなかった。不愉快でたまらなかった。


 メロンは何故、自ら死を選んだのか。最低身分として男に抱かれ続けるだけの日々に絶望したのか? いや、メロンは今までも同じような目にあって来たと言っていた。その時は自殺せず何故今……。もしや……自分のせいであろうか? メロンは密かに豚が助けてくれると願っていたのではないか。助けてくれないまでも、助けようとしてくれると願っていたのではないか。後先や損得を考えず、メロンを護ろうとしてくれると信じていたのではないか。しかし、豚は動かなかった。じっと闇の中で感情萌芽のごった煮を煮詰め続けているのみであった。豚はメロンから目を背けていた。その事実がメロンの精神を粉々に踏み砕いてしまったのではないか。どんな醜悪な男の所行よりも悪辣に。非道に。容赦なく。……だとしたら。だとしたら、メロンは死ぬ前に、何故豚を罵倒してくれなかったのだ。「お前は私の恩に報いる事なく、のうのうと自分だけ安楽の闇の中に佇む最低最悪のクソ豚だ」とでも言って蹴り飛ばしてくれれば、豚にとってどれほど良かったか。……いや、メロンは豚の性質を知り抜いており、罵倒しないことによって豚を罰したのやもしれない。あるいは、メロンは突発的に自死を選んだだけで、その結果として豚に与える効果を考える余裕は無かったのかもしれない。ともかく豚は逡巡を続け、そのたびに罪の意識に攻め苛まれた。しかし、誰も罰してはくれない。最早空腹すらも豚を罰してくれはしない。せめてもの自罰として、豚は自らを自らによって小屋から追放する事とした。


 豚は涙したかった。涙に暮れたかった。怒りに打ち震えたかった。感情を破裂させてやりたかった。だが依然として豚の感情は萌芽の範囲を出ず、あるのは途方もない罪悪感と喪失感……そして少しの食欲のみであった。その事実がまた豚の罪悪感を掻き立てる。卑下しても卑下しても、卑下しきれるものではなかった。「わたくしめは罪深い」「わたくしめは愚か」「わたくしめは罪深い」豚は自らを罵りながら当てもなく彷徨う。「わたくしめは罪深い」「わたくしめは罪深い」「わたくしめは罪深い」豚は彷徨い続ける。


 やがて豚は……元々住処にしていた公園に辿り着いていた。


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