5話 うんち豚と罪巫女
うんち豚が目を覚ましたのは布団の上であった。見渡すと2畳程度(ただし襖もあるので収納も加えたらもう少し広いと思われる)の小さな小屋であった。
壁はトタン造りで、畑の傍にあるポンプ小屋からポンプを取り払って畳張りにしたような感じでもある。
「起きた?」
「あなた様は……?」
「メロンって呼んで」
「メロン様……お助けに預かりありがとうございます。恐悦至極に存じます」
「どういたしまして」
メロンは紅白の巫女装束からマッチ棒のような腕と脚を伸ばした瘦女であった。つまらなさそうにうんち豚にジット目をやっている。
豚は、メロンと言う名の割にメロンのおっぱいが大きくない、寧ろ巫女装束の上からでは膨らみが視認できぬ程小ぶりである事が気になってしまった。そしてすぐ猛省した。自分を助け看病してくれた女性に失礼極まりない発想をしてしまった事に恥じ入り、脳内で自己を何度も罵り続けた。わたくしめは馬鹿だ。わたくしめは馬鹿だ。わたくしめは馬鹿だ……その罵倒も、女の細い声に途切れる。
「なんで公園で倒れてたの?」
「罰を受けていました」
「酷いね」
「いえ、わたくしめうんち豚は愚かで罪深い生命体ですので、当然の報いを受けたまででございます」
「きみは、うんち豚なの?」
「はい。うんちしか食べられない最も愚かなる生命体、うんち豚でございます」
「じゃあうんち食べる?」
うんち豚は先ず驚愕した。すぐに瞳をランランと輝かせ、はい! はい! と何度も繰り返し、鼻を鳴らしてメロンを仰ぎ見る。メロンの気だるげな表情にぶっきらぼうな印象を受けていた豚であったが、その実メロンは他の誰よりもうんち授与への理解が深く、話が早いのであった。そのあまりの卓越性に豚は感動しきりであった。
そしてメロンは押し入れを開き箪笥を漁り出す。……何故今箪笥を? 怪訝な表情を浮かべる豚であったが、なかなかどうしてメロンが箪笥から取り出したるはうんち入りタッパーであった。タッパーが開き、新鮮なうんちの豊潤な香りが小屋を満たす。
「食べていいよ」
何故箪笥にうんちタッパーが入っているのか。疑う余裕はうんち豚にはなかった。それよりもうんち豚にとって重要なのは空腹を満たす事。それだけであった。起き上がると体の節々が痛んだが、それも些事であった。大きな舌でベロリベリロイと舐め取り、捕食は瞬く間に完遂された。
「ありがとうございます! メロン様!」
「どういたしまして」
メロンは、取り立てて美しい女性という訳ではなかったし、時折八重歯を覗かせて微笑む事を除けば愛嬌も無く覇気のない冷たい目をしていた。しかし本来なら常軌を逸している排泄物要求にも瞬時に応える即応性の高さは、豚の感心を買いに買ったのであった。うんちの味も繊細な甘みのなかに濃厚な苦みがあり、大変に美味であった。上の上とは言わないまでも、上の中には間違いなく位置するであろう味わいであった。これらの点からメロンのうんち豚飼育員としての稀有な才能を豚はハッキリと認めたのであった。そして豚はもっとメロンと話して見たくなった。
「あまりにも迅速なうんち提供、わたくしめ感謝感激雨あられでございます。しかし……メロン様は、何故うんちを保管なさっておられたのです?」
「ああ私、罪巫女だから」
要領を得ない豚に、メロンは事も無げに解説していく。メロンの父親は僧兵軍の将軍をやっていたが先の戦争で理院会に敗北し捕虜となり、娘であるメロンも連座で最低身分に落とされたという。最低身分の女が従事させられるのは罪巫女と名付けられた売春業であり、メロンという名も罪巫女としての源氏名に過ぎないのであった。
「メロン様のお父様は……」
恐る恐る尋ねるうんち豚に、メロンは寂しく微笑む。そしてまた解説を続ける。
「……最低身分に落とされた男の人は改造手術を受けて、うんち豚にされるんだよ。だから……君も元々は人間だったんだよ」
そういった経緯は改造手術で脳の記憶野を大幅に削られた豚にとってあずかり知らぬ所であった。といっても豚は基本的にうんちにしか興味がないし、過去がどうであろうと今の豚が愚かな事には変わりないので特に心動かされる事も無かった。豚はただ熱心に話しかけてくるメロンの声を義務的に聞き流していた。しかし、
「もしかしたらきみは、私のお父さんかも知れない」
メロンのこの発言は、うんち豚の心に突き刺さった。理由もわからないままに、豚の胸の内に不愉快が沈殿していく。
「……そのような恐れ多いことが、あろうはずがございません」
慇懃に顔を顰めそうになって何とか無表情を作る豚に、メロンは八重歯を覗かせて微笑むのであった。
「冗談。言ってみただけ。お父さんならうんち豚になるくらいなら自殺するだろうし」
「そうでございますか……」
豚は反応に困りながらも、「メロンが何故うんちを箪笥に入れていたか」という質問に対する直接の解答が得られていない事に気付く。恐らくは「特殊なプレイを要求してくる客に対して差し出す為」あるいは「父である可能性を孕んだうんち豚を発見した際に、施しとして差し出す為」であろう。両方かも知れない。
「豚くんって呼んでいい?」
「はい。メロン様のお好きなようにどうぞ」
「豚君は、かわいいね」
「とんでもございません! わたくしめは最も愚かで、最も醜い生命体でございます」
「そんな事ないからさ。一緒に暮らそうよ。うんちならあげるから」
「またうんちを頂けるのでございますか!?」
「そんなにいっぱいは出ないけど、出たらあげるよ」
「……ありがとうございます」
急にモテ期が来た非モテが「こいつら全員美人局じゃねーか?」と疑心暗鬼になる様に、メロンの行き過ぎとも言える優しさに対して胸に一物わだかまる豚であったが、もとより豚に失うものなど無かった。メロンのうんち提供提案は豚には願ってもない事であった。
「ぜひともお願いいたします!」
「もう夜だし、一緒に寝よ」
「いえ、わたくしめのような汚らしい生命体がメロン様のような気高い女性と同衾するなど……」
「臭いのは慣れてるからいいの」
メロンは細い腕で豚のわがままボディを絡め取り、悪臭に僅か眉間を歪ませたが……直ぐに鼻が慣れたのか一刻もせずに安らかな寝息を立て出してしまった。起こす訳にもいかないので、豚は動くこともままならない。やむを得ずそのまま眠る事にした。しかし……それにしても豚はハッキリと不快であった。メロンの分け隔ての無い優しさが嫌でたまらなかった。うんち以外に何も望まない豚にとって、人と人との繋がりやら温もりといった類のアレコレは無用の長物に過ぎないのである。しかも、メロンは豚に対して分け隔ての無い施しをやっているつもりのようである。豚の自意識は既に「最も愚かなる生命体」として凝り固まっているため、そこを揺るがすメロンの態度は豚の実存を揺るがす脅威ですらあった。例えるならSMプレイにおいて滅茶苦茶ハードなS側がふとした瞬間に零す優しさがM側に白けを与えて仕舞うような、そんな現象が豚の心に煮え切らない影を落としたのであった。一方でノーマル人間がソフトSMに一定の理解を示す事例があるように、不快が転じたむず痒い倒錯的心地よさが無くも無いとも言えなくもなく……無論総合すれば不快が勝るのであったが。とにかく豚は「これも豚原罪の一環か」と歯噛みしつつもメロンの抱き枕に甘んじるのであった。