4話 うんち豚と不良少年
蹴り転がされ、踏みつけられ、ツバをかけられ、また踏みつけられた。
「どうか……どうかおやめくださ――グブッ……!」
つぶらな瞳を潤わせて泣き叫ぶうんち豚へと、容赦なくスニーカーの流星群が降り注ぐ。
「オラッ、死ねよ。愚かなるうんち豚なんだろ?」
「はい……愚かでっ……哀れなるっ……! グッ……ブガッ……」
「死ねよ。そんなに愚かだったら生きる価値ねーよなあ」
悪宮司と邂逅した翌日。
うんち豚に制裁を加えるは、夜の少年たちであった。積極的に蹴りを入れているのは2、3人に過ぎないが、スマートフォンで事の顛末を撮影する者、音頭を取って囃し立てる者、罵声を浴びせる者も合わせるともっと多くの少年たちがうんち豚虐待に加担していた。
「なんでチンコないのお前?」
「死ね」
「女なの?」
「殺せ殺せ」
「でもおっぱい無いぜ」
「ほんとだ」
「いやあるだろ」
「ないって。デブなだけだろ」
「オラッ」
「殺そうぜ」
「もう殺していいよな、これ」
また靴の土砂降りがうんち豚を叩きつける。
……もしうんち豚の陰部が欠落していなければ、少年たちがここまで苛烈にうんち豚を虐待する事は無かったやも知れない。しかし、実際にはうんち豚の陰部は欠落していた。箸にも棒にも掛からぬ平面の砂丘でしかなかったのだ。その事実が少年たちの現実感を麻痺させ、罪悪感を喪失せしめ、かくも非人道的な集団暴虐を後押ししてしまっているのであろう。
「や……やめ……グブッ……」
「うわキモッ」
「……てか何こいつ? うんち豚とか言ってるけど」
「俺聞いた事あっぜ」
「なになに」
「破戒戦争の時、捕虜を改造してクリーチャーにしてたって噂だぜ。坊主共の戦意を挫く為にな。オラッ!」
「じゃあ殺していいよな」
うんち豚の力は恐ろしく弱い。小型犬の子犬程度もない。そんなうんち豚に降りかかる……力。力。力。数的優位を笠に着た圧倒的暴力。抗う術などあろう筈も無い。うんち豚はただただ降り注ぐ苦しみを享受し続ける。それしか出来ない。鈍い痛み、小さな痛み、滲む痛み、鋭い痛み、様々な痛みがあった。中でも酷いのは内臓に響く激痛と、頭部への鈍痛であった。それらは呼吸が止まる程の強烈な苦痛であった。うんち豚は必死に息を整え、小さく縮こまり、前足で頭を、後ろ足で横腹を庇う。
「早く死ねよ」
「オラッ!」
うんち豚は不思議と冷静になりつつあった。虐待される自らを客観的に眺めているような心持にすらなっていた。そんな俯瞰視点で豚はズット小さく呻いていたが、試しに呻きを堪えてみる事にした。そうすれば少年たちがうんち豚を殺害したと思い込み、解放されるかも知れなかった。うんち豚の目論見は短期的には外れたが、長期的には概ね正しかった。
……かくして豚は30分近く踏んだり蹴ったりの目にあった後に、ついに解放された。少年たちは豚イジメに飽きたのだ。一匹残された豚は無惨にも砂地に横たわっていた。傷だらけの弛んだ腹から、ギュピイイイイイィと音が鳴る。これだけ痛めつけられても腹は減るとは。余りにも過酷な現実にうんち豚はほんの少しの自嘲を浮かべ安らかな眩暈を受け入れていく。うたた寝のような意識が遠のいていくような感覚があった。自分が死ぬのか気絶するのか、どうなのかは分からなかい。豚は死が怖くなる時と怖くない時があったが、今は別段怖くなかった。……死と言えば、昨日悪宮司が「生き続ければ後悔する事になる」といった類の台詞を残して行ったが……。彼は今夜の苦難を予言していたのか? だとしてもうんち豚は死を希う事は無かったであろう。この程度なら今までにも何度もあった。大したことではない。豚は愚かな自分に何も期待していないし、何物にも抗うつもりもなかった。生きようが死のうが、苦痛があろうが無かろうが、そんな事は自力で左右できる事とは思えなかった。唯一うんち豚が情熱を燃やせるのは、うんちの捕食に関わる事象のみであった。それ以外は大した感慨もなくただただ生きているのみ。豚はそう想っていた。
「大丈夫?」
薄れゆく豚の意識に、女の声が広がり滲んで行く。
豚は刹那、途方もない生存欲求に囚われたような気がしたが、そのまま意識は漆黒へと遠のいて行くのであった。