7.エピローグ
卒業式のあと、卒業生はいったんそれぞれのクラスへ向かった。
参列した2年生は、手分けしてパイプ椅子などの片づけをした。
終わると、2年生は校庭に出て、卒業生が出てくるのを待つ...
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放課後を音楽室で過ごした翌日の火曜日。
T駅の1番線のホームには、天歌方面に向かう7時25分発の電車を待つ人の列。
2両目の真ん中のドアのところに、やはりマトイ先輩はいた。
少し様子を窺うように、わたしは彼女に近づいた。
「おはよう。クーちゃん」気付いた彼女が言った。
いつも通りの笑顔だ。
今日は髪をポニテにしたわたし。
「...おはようございます。マトイ先輩」
電車が入ってきた。乗り込むといつも通り、扉の横に向かう。
「クーちゃんは、昨日は眠れた?」
「...あんまり」
「わたしもなかなか眠れなくってさ。おかげで、勉強がはかどっちゃったかな?」
そう言うと彼女は「ククク」と笑った。
いつもと変わらない。
「ボク」が「わたし」に、「キミ」が「クーちゃん」に変わったことを除けば。
「クーちゃんのポニテ姿、やっぱり可愛いよ」
わたしに向けていた視線を電車の外に向けると、マトイ先輩が言う。
「もう1年以上になるんだね。初めてお話ししてから」
「そうだ。今日の夕飯ご一緒しない?」と視線をわたしに戻してマトイ先輩。
「...いいんですか?」
「いいよ。今日は寝不足でどうせ勉強にならないから」
「わたしは大丈夫です」
「じゃあ、天歌駅の改札前で6時に待ち合わせ。いいかな?」
「はい」
「そうそう、お昼は控えめにしといてね」
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マトイ先輩が連れて行ってくれたのは、天歌駅前商店街の中にある、ハンバーガーショップ「JUJU」。
「ここのクラシックバーガーセットに挑戦するために、わたしはお昼を抜いてきたよ」
マトイ先輩がニコニコしながら言う。
「クーちゃんは?」
「菓子パンひとつだけにしました」
「じゃあ、大丈夫だね」
カウンターでクラシックバーガーセットを2人前注文し、テーブル席に向かい合わせに座る。
「ミクッツのヨッシーがバイトしているお店でね」
店内を見まわしながらマトイ先輩。
「今日はいないみたい」
「ここはミクッツの御用達。反省会とかいつもここでやっていた」
スタッフの女性が、注文したセットを運んできた。
「この前の校内ライブの打ち上げは、ここを貸切でやったんだよ」
改めてクラシックバーガーのセットを眺める。
たしかに相当なボリューム感。
「バーガーもさることながら、ポテトも絶品だよ」
「いただきます」
バーガーもポテトも美味しくて、夢中になって食べる。
そんなわたしを、マトイ先輩は慈しむような笑顔で見つめる。
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「昨日のこと、だけど」
半分くらい食べたところでマトイ先輩が切り出した。
「ごめんね。昨日はちゃんとお話しできなかった」
「わたしこそ...ごめんなさい」
「謝らないで。クーちゃんの素直な気持ちを聞かせてもらえて、本当に嬉しかった」
「正直な話、わたしにはわからないんだ」
「...」
「恋愛については、音楽やら小説で頭では理解している。恋愛についての曲だって演奏してたんだからね。けれど...」
そう言うとマトイ先輩は、アイスコーヒーを口にした。
「けれど、自分自身の問題としては、わからない。恋愛をするとどういう気持ちになるのか。相手に何を求めるのか」
「無理もないよね。小学生のときはいつも妹と一緒。中学からは女子校でドラムス一筋。だから男子は言うまでもなく、女子に対しても恋愛感情を抱いたことがなかった」
マトイ先輩が申し訳なさそうな顔になった。
「クーちゃんの『ジュ・テーム』に対して、わたしは『ジュ・テーム・ボクー』でしか応えられない」
「じゃあ...」
「もしも、お互いの気持ちの食い違いにクーちゃんが耐えられないなら、関係を解消するしかないね」
彼女は目を伏せるようにして言った。
「だから、『キミ』と『ボク』っていう呼び方を今朝からしなかった」
しばらく黙々と、残りのバーガーとポテトを食べた。
ほとんど片付いた頃に、再びマトイ先輩が切り出した。
「時間を、貰えないかな?」
「時間...ですか?」
「卒業して、より広い世界でいろんな人と知り合って、いろいろな関係性を経験して、そして恋愛ということが自分の問題として理解できるようになったときに、そのときまだ、クーちゃんの気持ちが変わってなければ、ちゃんとした答えをしたい」
「わたし...待ちます。待たせてください」
わたしの一方的な思いに、彼女は真っ正面から向き合おうとしてくれている。
そのことが、ただ、嬉しかった。
「あともうひとつ、勝手を言わせてもらってもいいかな?」
「はい」
「これからも『キミ』と『ボク』の関係でいたい」
今までのような関係を続けるのは、もう無理かもしれない。
「今日で最後」かもしれない。
そう覚悟していた。
だから彼女のこの言葉を聞いて、喜びがこみ上げてきた。
「マトイ先輩への思いは、胸の奥に大事にしまっておきます。だから」
彼女を真っすぐに見てわたしは言った。
「だから、いままで通り仲良くしてください」
「ありがとう、本当に」
マトイ先輩は嬉しそうに微笑んで言った。
「ボクはキミが大好きだよ」...
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三々五々と卒業生が校庭に出てきた。
わたしは哲学班の3人で、まずは文芸部の先輩を待った。
文学班の在校生と合流して、卒業生と集団になる。
後期日程の試験が終わった後のタイミングで、1年生も一緒にお別れ会をやることになっている。
だから今日は、話も短かめ。
わたしが入部したときに面接した先輩が言った。
「クーちゃん。策略みたいに入部させちゃって、ごめんなさいね」
「はい。今でも恨んでます...なんて、ウソです。本当に感謝してます」
そう。文芸部哲学班に入って、哲学の面白さを知った。世界が広がった。
アッキーとたくさん同じ時を過ごせた。ユイとも一緒になれた。
そしてなによりも...1年生で部長になったおかげで、マトイ先輩と知り合えた。
最初に全員で、それからいろいろなグループで写真を撮った。
「じゃあ、お別れ会で」と言って、文芸部の集団から哲学班3人で一緒に離れる。
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20mくらい先に、20人くらいの集団がいた。
ナッチ先輩、マイ先輩、ミカ先輩、ヨッシー先輩、タエコ先輩...
そしてマトイ先輩。軽音部前部長だけあって、彼女は輪の中心にいる。
少し離れたところでマトイ先輩の方に視線を送りながら、気づいてくれるのを待つ。
2、3分くらいたった頃、彼女の視界にわたしたちが入ったようだ。
マイ先輩を連れてやってくる。
「ありがとう。3人でお見送りしてくれて」とマトイ先輩。
アッキーがマイ先輩とユイを連れて、少し離れたところに行ってくれる。
一連の顛末を、二人には報告していた。
「答辞、カッコよかったです」
「ライブとはまた雰囲気が違うからさ。緊張して、心臓バッコンバッコンだったんだよ」
「とてもそんな感じ、なかったです。お話の内容も面白くて」
「そう言ってくれると、とても嬉しい」
「そうだ。キミに記念品」
そう言うと、マトイ先輩はバックパックから布地の細長いケースを取り出した。
中からドラムスティックが2本。
「ボクがドラムスを始めて、最初に使ったスティック。ケースはお手製だよ」
まとめてわたしに差し出す。
「そんな大事なもの、わたしがいただいていいんですか?」
「だから、大事なキミに持っていて欲しいんだ。『2本一緒』にね」
「ありがとうございます。宝物にします」
受け取ってみると、思ったよりも軽かった。
「そうだ。1本ずつ持って、記念写真を撮ろうか」
そう言うとマトイ先輩は、アッキーとユイと話をしていたマイ先輩に声をかけた。
「マイ、写真撮ってくれない?」
「私が撮ります」と言ってアッキーがやってきた。
マトイ先輩がわたしの右側。
ドラムスティックを1本ずつ右手に縦に持つ。
最初にマトイ先輩のスマホ。
アッキーがスマホを横にして、数歩前に出てくる。
「スティックのもう少し下を持って、少し斜めにしてくれませんか。そう、外向きに」
マトイ先輩とわたしは、横目で目線を交しながら、バランスをとる。
「じゃあ、行きます。はい、チーズ」
カシャッ。
アッキーが歩いてきて、撮ったばかりの画像をわたしたちに見せる。
「どうですか?」
マトイ先輩とわたしが画面をのぞき込む。
「天使の杖みたいで、可愛いでしょう?」とアッキー。
「ほんとだ。天使の杖だ。素敵」とマトイ先輩がニッコリする。
「じゃあこんどは、クーちゃんの分」
アッキーは同じアングルで、わたしのスマホで撮ってくれた。
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「前期試験の発表、5日ですよね」とわたし。
「うん。落ち着かないし、落ちたら中期と後期があるから勉強やめられないし。あと4日で受験から解放されればいいんだけれど」とマトイ先輩
「WEB掲示は朝10時ですか?」
「確認できたら、LINEするね」
「マーちゃん、そろそろ行くよ」と、先に軽音部の集団に戻っていたマイ先輩が声をかける。
「軽音部でお昼に行くから。今日はこれで」とマトイ先輩。
「お疲れさまでした。LINE待ってます」とわたし。
よく晴れて暖かい初春の日。マトイ先輩の後姿を見送る。
校門に向かう軽音部の集団が100mくらいに離れたところで、わたしは呼びかけた。
「マトイせんぱーい!」
振り向いたマトイ先輩。
「センパイは、わたしにとって...」
「え、なに!? 聞こえない!」
「天使です!」
わたしは大きく手を振った。
彼女が大きく手を振り返した。