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6.フェアウェルライブ


 7月末のルミッコのフェアウェルライブ。

 発売初日の朝に哲学班3人分のチケットを押さえた。

 マトイ先輩に報告する。

「よかったー。みんなで来てくれるの嬉しい」


 マトイ先輩は、朝の電車の中、ふだんは教科書や参考書を読みながら音楽を聴いている。

 集大成のライブを控えてだろう、今は音楽に集中している。

 いつも以上に真剣なその横顔。引きずり込まれてしまう。


 ミクッツのメンバーがゲスト出演することが決まった。

 校内ライブのコラボステージの編成にマイ先輩がギターで加わって、特別プログラムとして演奏する。

 アッキーの楽しみが増えた。



 当日は3時半開場、4時開演。

 朝からカンカン照りの暑い日。


 開場前から行列に並んで、前のほうの席を確保した。

 3時45分には、立ち見も含めて場内はほぼ一杯になった。

 空調が効いて外の暑さとは無縁なはずの室内が、観客の熱気でムンムンとしている。


 4時少し前、メンバーがステージに出てくる。

 ギターとベースは直前チューニング。

 マトイ先輩は、ドラムストールの高さを最終調整して腰かける。



 4時ちょうどに開演。

 ステージがライトアップして、メンバーの姿がはっきりと見えるようになる。

 マトイ先輩の「ワン・トゥー・スリー・フォー」で1曲目が始まる。


 きょうのプログラムは、ルミッコ定番曲3曲+3曲。うち1曲はマトイ先輩のオリジナル曲。

 それに特別プログラムでミクッツとのコラボ曲が、4曲目と5曲目の間に入る。


 マトイ先輩の恍惚とした表情と精悍な表情のミックスもいつも通り。

 笑顔が多い。会心のパフォーマンスなんだろう。

 そして今までより、ショートボブがよく揺れる。


 MCもこれまで以上に、軽快でリズミカルなロックンローラーっぽい乗り。

 声はふだんよりさらに一音くらい高いだろうか。

 会場の熱気もますます高まってきた。



 入学してからルミッコのステージは、1回を除いてすべて見てきた。

 今日を最後にもう見ることのできない、マトイ先輩のルミッコでのパフォーマンス。

 わたしは、そのすべてを五感に焼き付けようとしていた。


 マイ先輩のギターが1本追加になって、サウンドの分厚さが増したコラボ曲。

 ミカ先輩のボーカル。ヨッシー先輩のサイドボーカル。タエコ先輩のタンバリン。

 ルミ女軽音部としては奇跡のコラボなのだろう。



 コラボ曲の後、メインプログラムの5曲目が終わって、引退する3年生メンバーのあいさつ。

 最初はナッチ先輩。卒業後は東京の音楽の専門学校に行き、プロのミュージシャンを目指すという。


 そしてマトイ先輩。

 MCよりも少し落ち着いた口調。


「...中学の頃からルミッコに憧れて、オーディション受けて入れてもらって、2年半...いろんな方々のおかげで、音楽とともに歩んだ楽しい高校生活を送ることができました。本当に、感謝の言葉しかありません」


「これからも音楽を続けたいな、と思っています。どこかでわたしのライブをお見せできたら、と思います。ありがとうございました!」


 マトイ先輩がMCに戻り、メンバー紹介。そして最後の曲を紹介。

 会場と一体になって盛り上がる定番曲。

 前奏が始まるやいなや、会場は総立ち。

 跳び上がったり、体を揺らしたり、拍手をしたり、思い思いの方法でバンドとの一体感に浸る。


 こうして、ルミナス女子高校軽音部伝統のバンド、「ルミッコ」第21代メンバーのフェアウェルライブは終わった。

 


--------- ◇ ------------------ ◇ ---------



 ミクッツは8月のお盆前の祝日に、フェアウェルライブをすることになっていた。

 会場は、3月に聴きに行ったスプリングコンサートの天大付属病院のホール。

 アッキーは、マイ先輩の舞台がもう1回見れる。


 わたしは、夏期講習のあるときは、マトイ先輩と一緒に登校した。

 ミクッツライブの会場でも、彼女と会ってお話ができた。


 けれど、彼女のドラムスを聴くことはできない。

 MCを聴くこともできない。

 ルミッコでのライブパフォーマンスを見ることはできない。


 そんな大げさなことではないのかもしれない。

 でも、わたしはたしかに喪失感を味わっていた。


 ミクッツのライブ会場で会ったあと、夏期講習の後期が始まるまでの間、マトイ先輩に会うことはなかった。

 やりとりはLINEだけ。


 喪失感が触媒となって、わたしのマトイ先輩への気持ちに化学反応が起こっていた。



--------- ◇ ------------------ ◇ ---------



「おはよう。おひさしぶり」と明るくマトイ先輩。

 8月下旬の朝。T駅のホーム。

 夏期講習期間中は、始業が30分遅くなる。


「お、おはようございます」

 ぎこちなくなってしまうわたし。

 マトイ先輩の視線を真正面から受けるのが、眩しくて、恥ずかしい。


 彼女の言葉にも、ふだん通りスムースに反応できない。

「どうした? さては夏休みボケかな?」


 わたしにとってのマトイ先輩は、もう、ただの「憧れの先輩」ではなくなっていた...



--------- ◇ ------------------ ◇ ---------



 卒業式は、保護者代表の謝辞が終わり、合唱部による「旅立ちの日」の合唱。

 いよいよ大詰めとなった。


 全員起立して、吹奏楽部の伴奏で校歌斉唱...



--------- ◇ ------------------ ◇ ---------



 9月後半、哲学班のミーティングで、わたしは二人にカミングアウトした。

「そっか。いつから?」とアッキー。

「少しずつ気持ちが深まって、夏休みに一気に...」


「変かな?」

「変じゃないよ。小説とかコミックスとか、そういう題材の作品はいっぱいある」とアッキー。

「歴史上も変わったことではない」とユイ。


「どうすればいいんだろう」

 少し考えて、アッキーが言う。

「はっきりと気持ちを伝えるべきだと思う」

「でも、先輩は受験生だよ」

「受験生だからこそ、じゃないかな。今のような中途半端なままでクーちゃんがいると、マトイ先輩も気になると思う。そんな状態を入試の追い込みの時期まで続けないほうがいい」


 その晩、二人からLINEが届いた。

「しっかり!」とアッキー。

 ユイがめずらしくスタンプを送ってきた。

「武運長久」...



--------- ◇ ------------------ ◇ ---------



 司会の先生が、閉式の辞を述べる。


 吹奏楽部の演奏が始まる。エルガーの「威風堂々 第1番」。

 優美で厳かな第二旋律をバックに、卒業生が入場のときと同じ通路を退場する。


 こんどはマトイ先輩の顔を正面に見る。

 わたしに視線を送り、すれ違いざまに微笑みかけた。

 わたしも精一杯の微笑みを返した...



--------- ◇ ------------------ ◇ ---------



 10月の第二週に、二学期の中間試験がある。

 試験前一週間の部活停止期間の初日、月曜日のこと。


 朝の電車で、マトイ先輩に「今日の放課後、二人きりで話しがしたい」と告げた。

「じゃあ、少し遅めの時間がいいね。5時に、音楽室でどう?」とマトイ先輩。

「お願いします」

「わかった。ボクはそれまでカフェテリアで勉強することにする」


 マトイ先輩と顔を合わせないように、わたしは放課後を図書室で過ごした。

 ちょうど5時。わたしは音楽室に入った。真ん中あたりで立ったまま待っていた。

 マトイ先輩は5分くらい遅れてきた。


「ごめん、ごめん、難問解くのに夢中になっちゃって」と言いながら入ってきた彼女。

「それで、何のお話しかな? 進路のお悩み相談とか?」

 わたしは、考えていた言葉を切り出せずにいた。



「どうしたの? そういえば、電気つけないでもいいの?」

 夕暮れ時。消灯したままの音楽室の中は、かなり薄暗くなっていた。

「そのまま、で...」


 マトイ先輩は、わたしの正面に立って、わたしが何か言うのを待っている。

 なにも言い出さないわたしに、彼女の顔から笑みが消えていく。



「...ジュ、ジュ・テーム」

 考えてもいなかったフレーズが、わたしの口から出てきた 。

「ジュ・テーム...わたしは、マトイ先輩を、愛しています!」


 体を預けるようにして、マトイ先輩にしがみついた。

 そして、彼女の胸に顔を埋めた。



 彼女は最初、しがみつくわたしから逃れるような体の動きをした。

 すぐにベクトルは反転した。彼女は両腕をわたしの背中に回した。


 彼女の制服の下に、これだけ豊かな膨らみがあるのに、今まで気づかなかった。

 埋めた顔に感じる柔らかい感触の中から、彼女の体温と息遣いが伝わってきた。


 しばらくすると、彼女の右手がわたしの背中の上でビートを刻み始めた。

 ゆったりとした、優しいリズム。



 彼女にあんなことを言ってしまった、という恥ずかしさ。

 彼女がどう思うだろうか、という不安。

 放課後の学校でこんなことしてる、という罪悪感。


 いまこうして彼女の腕に抱かれている、という喜び。

 こんなわたしを彼女が全身で受けとめてくれている、という幸福感。


 様々な感情が次から次へと込み上げてきて、胸が張り裂けそうになっていた。

 そんなわたしを落ち着かせるのは、背中に感じる、彼女が右手で刻むビート。

 ゆったりとした優しいリズムで、少しずつ、少しずつ...



 どれくらい経っただろう。

 マトイ先輩が、ビートを刻んでいた手を止めて言った。

「そろそろ、大丈夫かな?」


 わたしは彼女の胸から顔を上げると、しがみついていた腕をほどいた。

 彼女も腕をほどいた。


 夕日が空を染めていた。

 オレンジ色の光が、薄暗い音楽室の中に滲み込んでくるようだった。



「一緒に音楽を聴いてくれるかな?」とマトイ先輩。

 わたしは、黙ってコクリとうなずく。

 彼女は、音楽室のスピーカーのアンプの電源を入れて、ワイヤレスモードにした。


 わたしのところに戻ってきて、彼女は椅子に腰かけた。

 わたしを促して、並べた椅子に座らせた。

 スマホを操作して、音源をスピーカーで鳴らす。


 ピアノ曲が始まった。

 左手がアルペジオで奏でる、切ない響きのコードの繰り返し。

 右手が穏やかなメロディーを歌う。


「大好きなんだ。ドビュッシーの『夢』」

 そう言うと彼女は、左腕をわたしの肩に乗せて、ぐっと自分の方へと引き寄せた。

 二人は横に並んで、ぴったりと引っ付く形になった。

 黙って目を瞑って、スピーカーから流れてくる音の響きに身を任せていた...



 ...5分ほどの短い曲が終わった。


「一瞬は、永遠を映す鏡」

 同じ姿勢のまま、マトイ先輩が囁くように言った。

「だから、ずっと忘れないでいてね。今日のこのひとときを...」



 肩に乗せた腕をそのまま顔に回して、彼女は左手でわたしの頬を撫でた。

 そうして彼女は椅子から立ち上がった。


 視線を外した状態で、彼女はわたしに言った。

「今日は、別々に帰ることにしようね」

「はい」

「先に出てくれる? 少し部室でドラムス叩いていくから」


 わたしはバックパックを持って、音楽室を出て行こうとした。

「また、明日。朝の電車で」とマトイ先輩。

「はい。また明日」...

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