表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/8

3.キミとボク


 教室に着くと、さっそく彼女からのLINEが着信した。

「今日、よろしければお昼一緒にしませんか?」

「はい。よろこんで!」と返信。

「よろしく」のスタンプが返ってくる。


 哲学班のLINEにメッセージを入れる。

 事情を話して、今日はお昼を一緒にできないことを告げる。

 アッキーから「ENJOY!」のスタンプ。

 少し遅れて「委細承知」のメッセージ。送り主は、ユイこと「哲学少女」の祖父江そふえ 結唯ゆい



 カフェテリアの入口で待ち合わせ。

 二人ともランチセットを選んで、トレーを持ってカフェテリアの真ん中あたりに向かう。

 向かい合わせの席に落ち着くと、揃って「いただきます」。


 一口、二口、食事が進んだところで、わたしが彼女に聞く。

「早川先輩のことを、どうお呼びすればいいですか?」

「先輩や友達は『マーちゃん』だし、軽音の1年生の子らは「纏衣先輩」だよ」

「じゃあ、わたしも『纏衣先輩』とお呼びします」


 スマホを出して、さっそくLINEの表示名を変更する。

 あわてて入力したので、「マトイ先輩」になってしまった。

 それを見た彼女は「ククク」と笑うと、「羊のお肉みたい~。でも可愛い」と言った。



--------- ◇ ------------------ ◇ ---------



「ドラムスを始めたきっかけは何ですか?」

「そうねえ。やはりあのときかな」と言って彼女は話し始める。


 マトイ先輩には1歳年下の妹さんがいた。いつも一緒の、仲のよい姉妹だった。

 先輩が小学6年生になったばかりの春、妹さんは突然病気で亡くなった。


 深い喪失感を抱えながら中学受験の勉強をしていたある日、楽器店の横を通った。

 ショーケースから覗くと、店内にドラムセットが置かれていた。

 そこだけ周囲から独立した、ひとつの「宇宙」が存在するように思えた。


 ルミ中に入って、とにかくドラムスがやりたくて軽音部に入った。

 練習に励んで、実力が認められるようになった。

 ルミ女に進学し、誘われてルミッコのオーディションを受け、合格した。


「妹と二人きりのときはね、わたしは自分のことを「ボク」、妹のことを「キミ」と呼んでいたんだよ」

「へええ。でも、どうしてですか?」


 妹さんが5歳になったとき、「プレゼントに何が欲しい」と尋ねた。

「お兄ちゃんが欲しい」と妹さんが答えた。

 弟ならともかく...

 そのとき、6歳だったマトイ先輩は言った。

「じゃあこれから、わたしがお兄ちゃんになってあげる」



「生きてたら、ちょうどクーちゃんと同学年だね」

「そうですか」

「そうだ、クーちゃんにお願い...でも、ちょっと恥ずかしいかな」

 はにかむように、マトイ先輩が一瞬言い淀む。


「...あの、あくまでクーちゃんがよければ、の話だけれど」

「なんでしょうか」

「二人きりのときには、クーちゃんのことを『キミ』って呼んでもいいかな?」

「わたしは、全然構いません」

「そして、わたしが自分のことを『ボク』って呼んでも、笑わない?」

「おかしくないです。『きみ』と『ぼく』って、なんかギリシャ哲学の対話篇みたいで、カッコいいです」

「じゃあ、そうさせてもらうね」...



--------- ◇ ------------------ ◇ ---------



 8組の最後の卒業生に卒業証書が渡され、卒業証書授与は終わった。

 卒業生は前列のパイプ椅子に、再び全員着席した。


 これから、校長、学校法人の理事長、来賓とご挨拶が続く。

 本当はしっかりと聞かなければいけない、のだろう。

 けれどわたしは、式の進行にだけ注意しながら、自分の思いにふける。


 マトイ先輩と交わした言葉のこと。

 マトイ先輩のステージを観たこと。

 マトイ先輩と過ごした時間のこと...



--------- ◇ ------------------ ◇ ---------



 朝の電車。T駅から天歌あまうた駅までの30分。

 10分から15分くらい、マトイ先輩と話をする。

 残りの時間はそれぞれ教科書を読んだり、本を読んだりして過ごす。


 それくらいの比率が、わたしにはちょうどよかった。

 ずっと話していると、わたしの話題が尽きてしまう。

 ヘッドフォンで音楽を聴きながら本を読んでいる、彼女の横顔を眺めるのも好きだ。


 軽音部だからロックやポップスを聴いているのかと思って、聞いてみた。

「そうだねえ。でも結構クラシックも聴くんだよ」

 主にピアノ曲、ショパンやドビュッシー、ラベルやサティが好きらしい。


 わたしもスマホ用のヘッドフォンを買って、音楽を聴くことにした。

 USBでマトイ先輩から音源をもらう。

 ルミッコの音源はもちろん、ミクッツや他の軽音のバンドの音源。好きなアーティストの音源。


「これはキミへのおすすめだよ」と言いながら、お気に入りのナンバーをくれる。

 そのたびに、マトイ先輩のUSBが、わたしのスマホに挿入される。

 彼女の体温が、USBコネクタを通じて入ってくるような気がした。



--------- ◇ ------------------ ◇ ---------



 11月に入ってすぐ、ルミッコのステージを観る機会があった。

 最初の土曜日。ルミナス女子大学、通称「ルミ大」の学園祭。

 大学軽音部のステージに、ルミッコは毎年ゲスト出演する。


 軽音部の舞台。全部で6つのバンドの3番目にルミッコが登場した。

 3曲演奏。大学生のバンドと同じ舞台で、まったく遜色なかったと思う。

 マトイ先輩のパフォーマンスは、ひたすらカッコよかった。

 そしてふだんより高く大きな声の、初めてのMCも素敵だった。



--------- ◇ ------------------ ◇ ---------



 ルミ大文化祭の次の月曜日は、放課後に第2回文化部部長会。

 並んで出席したマトイ先輩とわたしは、並んで校門をくぐり、天歌駅まで並んで歩いて帰った。

 電車の中で彼女に、T駅前のファミレスで話をしていかないかと誘われた。


 日が短くなって、午後6時のT駅前はとっぷりと暮れていた。

 店に入ると、スマホのクーポンでポテトとドリンクバーを2人分注文。

 暖かいドリンクをとってきて、改めて席に着く。


「ルミ大のステージ、聴きに来てくれてありがとう」

「楽しかったです。やっぱりルミッコ、すごいですね」

「外部初MC。ボクは緊張してたんだけど、どうだった?」

「素敵でした。バンドのときは、トーンが上がって大きな声になるんですね」

「なんか、スイッチがはいっちゃうんだよね、ドラムスティックを握ると」


「哲学班の3人で来てくれたのが嬉しかったな」

 ポテトにケチャップを絡めながらマトイ先輩。

「アッキーは、志望校のルミ大の見学も兼ねてでした」

 わたしはホットココアを一口含んで続ける。

「ユイは、志望の国立天歌大学の文化祭を一緒に見に行く、という交換条件で来たんです」


「1年なのに、みんなしっかりと志望があるんだね」

 マトイ先輩もカフェラテを口に含み、続ける。

「キミはどうなのかな?」

「わたしは全然まだです。そもそも文系か理系かも決めていません」

「まあ、それで普通だよね」



--------- ◇ ------------------ ◇ ---------



「マトイ先輩はどうですか」

「ボクは、物理を勉強して、高校の先生になりたいと思っている」

 そういえば朝の電車の中で、彼女が「量子力学」の本を読んでいたのを思い出した。

「大学を卒業するタイミングに、ルミ女で教員の空きができるといいんだけどね」

 そう言うとマトイ先輩は「ククク」と笑った。


「ドラムス始めるきっかけのこと話したよね。ボクは、宇宙について興味がある」

「哲学の本を読んでいると、宇宙についての議論がでてきます」

「『世界の探求』ということでは、物理学は元は哲学だからね。ボクも哲学に興味がある。倫理の教科書のレベルだけれど」


「物理学者にはならないのですか?」

「それはボクには無理。世界でもトップクラスの頭脳を持っていないと。一般の研究職という道もあるけれど、どちらかというと、ボクは物理の楽しさを伝える仕事に就きたい」


 マトイ先輩が、高校の物理の授業で教壇に立つ姿を想像した。

 背筋を伸ばして、どんな声で生徒に話しかけるんだろう。

 面白いことがあると、「ククク」と笑うのだろうか...



--------- ◇ ------------------ ◇ ---------



 卒業式のご挨拶は、校長先生が終わって、学校法人の理事長になっていた。

 ルミナスの校名の由来になっている、校是の「一隅を照らす一条の光たれ」のお話。


 わたしにとってのマトイ先輩は、「一隅を照らす」どころか、燦々と降り注ぐ太陽のようだった...



--------- ◇ ------------------ ◇ ---------



...


 彼女は最初、しがみつくわたしから逃れるような体の動きをした。

 すぐにベクトルは反転した。彼女は両腕をわたしの背中に回した。


 彼女の制服の下に、これだけ豊かな膨らみがあるのに、今まで気づかなかった。

 埋めた顔に感じる柔らかい感触の中から、彼女の体温と息遣いが伝わってきた。


 しばらくすると、彼女の右手がわたしの背中の上でビートを刻み始めた。

 ゆったりとした、やさしいリズム。



...

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ