2.ガール・ミーツ・ガール
ルミナス女子高校、通称「ルミ女」には、受験して高校から入学した。
「ルミッコ」というバンドのことを教えてくれたのは、系列のルミナス中学から進学したクラスメイト。
ルミ女軽音部の創設以来続く伝統のバンドで、「ルミ中」の軽音部の子たちの憧れなのだという。
5月の第2土曜日。ルミ女の文化祭の1日目が開催された。
ルミッコのことが気になって、講堂で2時から始まる軽音部のステージを観た。
T市の市立中学のときからの親友で、ルミ女に一緒に入学した子が隣の席にいた。
軽音部のステージに上ったバンドは4つ。
ルミッコが最後のバンドだった。
ギター2本にベース、ドラムス、キーボードの5人組。
最初の曲が始まってすぐ、素人のわたしでも、他のバンドと格が違うことがわかった。
サイドギターの人がボーカル。張りのある声で、パンチの効いたフレーズと繊細なフレーズを綺麗に歌い分けている。
躍動感あふれるリードギター。安定感のあるベース。2台を器用に弾きこなすキーボード。
そして、ドラムス。
曲の世界に身を委ねた恍惚とした表情と、リズムを正確に刻む精悍な表情。
ときどき浮かぶ「してやったり」という笑顔。
激しいアクションが要求されるフレーズで微かに揺れる、ショートボブの髪。
わたしは、たちまちファンになった。ルミッコの、そしてドラムスの彼女の...
--------- ◇ ------------------ ◇ ---------
司会の先生が、開式の辞を述べ、吹奏楽部の演奏で「君が代」。
それが終わると、卒業証書の授与が始まる。
1組の担任の先生が名前を呼び、呼ばれた卒業生が「はい」と答えて、舞台の中央の演壇の前に進む。
校長先生が卒業証書の全文を読み上げ、最初の卒業生に手渡す。
一礼して卒業生が演壇を離れる。
二人目以降は「以下同文」となって繰り返す。
5組の彼女までは、かなり時間がかかる...
--------- ◇ ------------------ ◇ ---------
ルミ女の軽音部は、毎年7月にルミ中の軽音部と合同で、学内ライブを行う。会場はルミ女の講堂。
夏休み前の土曜日、文化祭のときと同じく、中学からの親友と一緒に聴きに行った。
1時開演。学校法人の理事長と校長のご挨拶に続いて、ルミ中のバンドの演奏。
休憩を挟んで、高校のバンドの演奏。文化祭のときと同じ4つで、トリはもちろんルミッコ。
ルミッコは、毎年引退する3年生のメンバーのパートに1年生のメンバーが加わる形で、続いてきたという。
演奏した4曲のうち1曲、1年生の練習生が3年生と代わって演奏する。
その曲だけ、MCも2年生の次期リーダーが担当する。
「こんにちは。次期リーダーをさせていただくことになりました、早川 纏衣です。『マーちゃん』と呼ばれてます」
丸顔でショートボブの彼女に、場内から暖かい拍手が送られる。
「同学年のボーカルのナッチと、フレッシュな1年生のメンバーで、がんばります...」
ドラムスの彼女の名前は、誰かに聞けばわかったかもしれない。
でもわたしは、そうしなかった。
このとき初めて、彼女の名前と、彼女がルミッコの次期リーダーになることを知った。
--------- ◇ ------------------ ◇ ---------
夏休みが終わって、9月最初の月曜日の放課後。
わたしは、緊張と「なんでわたしが」という気分が入り混じった状態で、第2会議室へと向かっていた。
職員室の前を通って階段を1階上がり、左手に向かうとすぐ、目的の部屋の前に出る。
小さな声で「失礼します」と言って、部屋の中に入る。
二人掛けのテーブルが10台並び、席は半分くらい埋まっている。
1年生はわたしだけだろう。
「上級生オーラ」が一番弱そうな人を見つけて、その隣の席へ行く。
「こちら、よろしいですか?」
「どうぞ」と言って、わたしに向けたその笑顔...
第1回文化部部長会は、4時ちょうどに始まった。
今回だけ、前年度の部長会で議長をしていた3年生が、司会進行役となった。
まずは自己紹介。席の並び順に立ち上がって、所属の部と名前、クラスを言う。
わたし以外はみんな2年生。クラスは「何組」とだけ言う。
11番目に、わたしの隣の人が立ち上がって言った。
「軽音部の早川 纏衣です。3組です。よろしくお願いします」
やはり、そうだったんだ。
ステージのときとは、全然感じが違う。
全身から醸し出されるやわらかな雰囲気。
中音域の低めの声。穏やかな口調...
「...次の人」と司会進行役の3年生に促されて、わたしは慌てて立ち上がった。
「はい、あ、あの、文芸部の羽根田 空良です。ええと...」
いったん息を吐いて吸い込むと続ける。
「名前は『空』に『良い』と書きます。3組です...1年の」
その日は自己紹介の後、議長と副議長を選び、1年間の予定を確認して終わりとなった。
「へええ。そうか。羽根田さんは1年生なんだ」
他の人たちが部屋から出て行く中、わたしたちは向き合って話していた。
「はい。その、なんというか...」
「事情はなんとなくわかるよ。クラスメイトに文芸部の子がいるから」
彼女はそういうと、「ククク」と笑った。
声の高さが1オクターブくらい上がった。
可愛い...
--------- ◇ ------------------ ◇ ---------
卒業証書の授与は2組まで終わり、3組に入るところだった。
名前を呼ばれて、卒業生はみんな「はい」と答える。
高い声。低めの声。大きな声。囁くような声...
彼女はどんな声で「はい」と答えるんだろう。
ふだんの声?
バンドのときの声?
「ククク」と笑うときの声?...
--------- ◇ ------------------ ◇ ---------
部長会が終わって、学校の最寄りの天歌駅へと向かう道すがら。
彼女もわたしと同じく、県庁所在地のT市から電車通学している。
並んで歩きながら彼女と話をする。
「3組ということは、わたしと同じで特進コースだね」と彼女。
「はい。でも補欠の繰り上がりなんです」
「ということは、高校から?」
「国立・特進コース試験を受けて、最初は『一般コース入学資格付与』だったんです」
「高校入試をクリアして特進はすごいな」
「そんなことないです。補欠ですし」
「ルミ中からだと、ちょっと真面目に勉強すれば特進に進学できるからね」
「わたしのステージは見てくれたかな?」
「はい。文化祭と、校内ライブで」
「7月末に、ライブカフェでワンマンライブやったんだけれど」
「『エンジェル』ですね。チケットが取れなくて...」
「そうか。それは残念」
ライブカフェ「エンジェル」は、ルミ女のある天歌市でトップクラスのお店。
プロやセミプロのミュージシャンが出演する。
天歌市や近辺で活動するアマチュアバンドにとって夢の舞台。
ルミッコは、その「エンジェル」で毎年2回ワンマンライブを演る。
大人気で、チケットはなかなか取れない。
「あなたは友達から、なんて呼ばれているの?」と彼女。
「『クーちゃん』と呼ばれることが多いです」
「『空』でクーちゃん?」
「はい」
「可愛くていいな」
「そんな、『マーちゃん』も素敵です」
「知っててくれたんだ。うれしい」
そう言うと、彼女は「ククク」と笑った。
--------- ◇ ------------------ ◇ ---------
学校最寄りの天歌駅から、二人が降りるT駅までは30分くらい電車に乗る。
電車の中でも話が続いた。
ほどんと彼女が質問して、わたしが答えるパターンだった。
中学時代は陸上部だった。文章が上手になりたくて文芸部に入った。
文芸部には文学班と哲学班がある。
入部のときの面接で「好きな作品を3つあげること」と言われて、マンガ2つしかあげられなかった。
「思考力さえあれば哲学はできる」と、半ば無理やり哲学班に入れられた。
「それが先輩たちの策略だったんだよね」と彼女。
「はい。文芸部の部長は文学班と哲学班の交替が慣例で、今期は哲学班の順番だったんです」
「哲学班の部員は卒業しちゃって、クーちゃんが入るまで一人もいなかった」
「夏休み前に部長のことを言われて、『1年だから』とお断りしたんですけど...」
「哲学班は今でも一人?」
「同じ中学から進学した一般コースの親友に頼み込んで入ってもらったのと、あと、一人」
「勧誘したの?」
「副顧問の先生に相談したら、ルミ中からきた国立コースの子を紹介してくださいました」
「へえ。どんな子?」
「寡黙で、ものすごい読書量。まさに哲学少女なんです」
電車の中では大きな声は禁物。
だからわたしは、ふだんより少し小さめの声で話した。
彼女は、ふだん通りの声でなんの問題もなかった...
--------- ◇ ------------------ ◇ ---------
卒業証書の授与は5組に入っていた。
舞台上で緊張して、歩き方がぎこちなくなる人もいる。
彼女が、舞台の右下の列に並んでいるのが見えた。
「ハマダ ミサキ」という名前の卒業生が呼ばれた。次は...
「早川 纏衣さん」
「はい」
彼女は、ふだん話すときと同じ高さの、少し大きめの声で答えた。
ライブステージで慣れているからだろう。彼女は自然な身のこなしで演壇に向かう。
校長先生から卒業証書を受け取って、一礼すると、さらに歩いて壇上から下りる。
終始背筋をピンと伸ばした、すがすがしい晴れ姿だった...
--------- ◇ ------------------ ◇ ---------
第1回部長会の翌朝。
前の日からわたしは、なんか夢の中にいるような気持ちだった。
遠くから憧れるだけだった先輩が、突然近くにやってきて、お話ししてくれる。
T駅の1番線のホームには、天歌方面に向かう7時25分発の電車を待つ人の列。
2両目の真ん中のドアのところに、彼女はいた。
「おはようございます」とわたし。
「おはよう、クーちゃん」
けさ一緒の電車で登校することは、きのう別れ際に約束していた。
空いていた彼女の隣の列に並ぶ。
セミロングの髪を、ふだんはストレートにしている。
その日、わたしは少し早起きして、ポニテにした。
「お、今日はポニテなんだ」と彼女。
入ってきた電車に乗り込む。扉の横に並んで立つ。
混んだ車内。ルミ女の他に、ルミ中、そしてルミ女のお隣の県立天歌高校の制服の生徒もいる。
「行き帰りの電車は、いつも一人で乗っているんだよ」
ドアの外に目をやって彼女は続ける。
「バンドメンバーも、仲のいい子も、みんな天歌市に住んでるんだ。クーちゃんは?」
「夏休み前はアッキーと生き帰りとも、一緒に乗ってました」
アッキーは、同じ中学から入学した親友で哲学班の、瀬戸口 陽奈。
ルミッコのライブを一緒に聴いた。
「でも、夏休みに一家で天歌に引っ越しちゃって。いまは一人です」
「じゃあ、これから朝は一緒に行くことにしようか」
連絡用に、彼女とLINEでつながった。
彼女のアイコンは、ドラムスを叩く姿を斜め後ろから撮った写真。
見ていると、自然に笑みが浮かんでくる...
--------- ◇ ------------------ ◇ ---------
...
「...ジュ、ジュ・テーム」
考えてもいなかったフレーズが、わたしの口から出てきた 。
「ジュ・テーム...わたしは、先輩を、愛しています!」
体を預けるようにして、彼女にしがみついた。
そして、彼女の胸に顔を埋めた。
...