焼菓子店デート
「お待ちしておりました」
仕事中に魔伝鳩で長官から催促をされていたので逃げられないと悟り、いつもより仕事を早めに切り上げて転移魔法円を起動した。そうしたら玄関にいたのは長官ではなく女性だった。見た感じ使用人だろうか。
「あの」
「お話は旦那様より伺っております。時間がありませんので移動をお願いします」
言葉は丁寧だけれど有無を言わせぬ気迫がある。下手に逆らうよりは従った方が精神的にいいのかもしれない。でも一言長官から説明が欲しいと思う私は間違っていないはず。
「長官はいらっしゃらないのでしょうか?」
「旦那様は自室で魔道具を作っておられます。さぁ、こちらへどうぞ」
何よりも魔道具作りが好きな人だって知ってるよ。知ってるけど、使用人の紹介くらい時間を割いてくれてもいいと思う。初対面の人と何をしろというのだ。全て任せろという事か。本当に惚れ薬は効いているのか疑いたくなる愚行ではないか?
「ヴェラ様とほぼ体型が同じというふざけた話でしたけれども、旦那様の見立てが正しく安心致しました」
使用人にふざけたって言われてるよ。大丈夫なのか、長官。しかも地下室に入るなり早速服を手に取っている。判断が早い。
「こちらに致しましょう。髪型も合わせて宜しいでしょうか」
「お任せします」
私が何かを言える隙がない。そもそもお洒落なんて興味ないから、自分の好みなんて特にないし。
「それでは失礼致します」
「ま、待って下さい。着替えは自分で出来ます」
急に人の服の腰紐を解こうとしないで。どういう事よ。
「下着はそのままで結構ですからお任せ下さい」
意味がわからない。何故初対面の人の前で下着姿にならなきゃいけないの。よく見たらこの部屋には衝立がない。着替える為の場所は何処だ。
って、部屋を見渡しているうちに腰紐を解いているし。だからどういう事よ。もういいや、任せよう。この人とは二度と会わないのだから、この恥は耐えるしかない。
「似合っているではないか」
「ありがとうございます」
長官がお世辞を言うとは思えないから似合っているのかもしれないけれど、私には違和感しかない。このふわふわのスカートは何? レースがあしらわれ過ぎて自分とは思えない。不慣れだろうからと踵の低い靴を用意して貰えたのがせめてもの救いだ。未使用品と言われたけど、何故女性物の靴がこの家にあるのだろうか。いや、深くは考えないでおこう。
「ニコル、礼を言う。では早速出掛けよう」
長官が満面の笑みで腕を出してきた。ニコルと呼ばれた使用人の方も満足そうな表情だ。これはエスコートして貰わないといけない雰囲気だと、流石の私でもわかる。
初めてこの家の玄関を開けた。自分で何を言っているのかわからない。そもそも非常識な実験なのだから仕方がないけれど。
そして玄関から門までが長い。転移魔法円で移動するなら、この道は要らないと思うんだけど。どういう造りなの。貴族の考えって本当にわからない。
「何だか不服そうだな」
「敷地内を歩かせ過ぎではと思っているだけです」
「あぁ。祖父が転移魔法円を考え出す前に作られた屋敷だから、その辺りの貴族屋敷と造りは変わらない。建物の中の地下室が異常なだけだ」
それが異常なのはわかってるよ。そもそもあれ程魔法石があるのなら、奪い合いになっていてもおかしくはない。口外されていないか、長官以上の魔力がないと持ち出せない仕組みになっているのだろう。
「私が未熟で悪い。転移魔法円で二人移動は出来なかった」
「それを謝られても困ります」
転移魔法円は国家魔導士の中でも数人しか使えない特殊なものだ。そして自分で描いて即座に飛べるのは長官だけ。魔法石に描き込めるのも長官だけ。それを未熟だと誰が言えるだろう。
「カルラを先に飛ばして自分が追うというのも考えたのだが、場所が場所だけに立て続けに人間が飛び出てきたら騒ぎになると判断して諦めた」
それは正しい判断だろう。転移魔法円は国家魔導士でも全員使用経験があるわけではない。基本的に魔導士の移動に使われるものだから、移動先は限られている。街中で突然人が現れたら叫ばれてもおかしくはない。ん? でも二人で飛べたら飛ぶ気だったのか?
「二人同時で転移出来たのなら、していたのですか?」
「あぁ、店の前に飛んですぐに入れば大丈夫だろうから」
それは全然大丈夫ではないと思うけど。店の前に人が居た場合、結局叫ばれると思う。長官の常識度がどうも信用出来ない。
そんな会話をしていると目的の店に着いたようだ。本当に近い。だけどこの建物は私一人では到底入れないわ。店構えから平民お断りという雰囲気が滲み出ている。
「いらっしゃいませ、ボルネフェルト様。ご案内させて頂きます」
愛想のいい店員さんが出迎えて案内をしてくれる。長官の顔を見て名前が出てくるという事は常連なのかな? 長官の顔は一度見たらなかなか忘れられないとは思うけど。しかも案内されたのは個室だ。常連っていうか上客?
「すぐにお持ち致しますので少々お待ちくださいませ」
一礼して店員さんは辞していった。
「長官はこのお店によく来られるのですか?」
「たまにな。仕事が立て込んでくると無性に甘い物が食べたくなる」
「それはわかります」
長官も甘党だったとは知らなかった。
「わざわざ予約して頂きありがとうございます」
「マトひとつ飛ばすくらいなんて事はない」
焼菓子店の予約を取るのに魔伝鳩を使うの? 最前線で戦う人達に本部からの指令を届ける為の魔道具を、歩いて来られる距離の店にわざわざ?
「店員さんはその予約方法で驚きませんか?」
「別に驚いたとは聞いていない」
それは上客だから文句が言えないだけでは? 普通魔伝鳩を送り付けられても困ると思うんだけど。私なら急に肩に乗って用件を言われても困る。
「お待たせ致しました」
つっ込もうと思ったら、先程と違う店員さんがお皿とカップを持ってきた。お皿の上にはタルトと生クリームに果物まで添えてある。美味しそう。
「本当に女性を連れてくるとは思わなかったわ」
「何故嘘を言わなければいけない」
「それはそうね。初めまして。イザークの妹のヴェラです」
妹? この服の持ち主? え? 勝手に着ちゃったのにどうしてくれるよ!
「初めましてカルラと申します。あの、服を勝手に借りてごめんなさい。綺麗に洗濯をしてお戻しします」
ヴェラさんは私の服を少し見た後で首を傾げて微笑む。
「そのような服を持っていたかしら? 記憶にないから気にしないで」
確かに地下室には数える気が起きない程の服があったけれど、記憶にないってどういう事? 飽きたというのは忘れたって事なの? 貴族の感覚が全く理解出来ない。
「そうね、地下室の服を全て貴女にあげるわ。私は今の生活に満足しているから」
「いえ、私の部屋には収まり切りません」
「それはあの屋敷に置いておけばいいわよ。いずれは結婚するのでしょう?」
はい?
「ヴェラ。勝手に話を進めるな。早く持ち場に戻らないと怒られるのではないか」
「夫はこれくらいでは怒らないわよ。でも邪魔者なのは承知しているから下がるわ。カルラさん、ゆっくりしていってね」
とてもいい笑顔でヴェラさんは去っていったけれど、これはどうしたものなのか。そもそも領主の娘であるヴェラさんがここで働いているのもおかしい。いや、さっき夫って言ってた。この店に嫁いだのかな?
「すまない。ヴェラの勘違いはあとで訂正しておく。ヴェラの夫は元国家魔導士なのだが、魔道具より焼菓子を作りたいと転職した変り者だ。だが魔法と魔道具を使って作る焼菓子の味は間違いないから」
この店が特異すぎる。一度にそういう情報を入れてこないで。処理に時間がかかるよ。考えるのが面倒くさいから、タルトを食べてさっさと帰ろう。ここは長居していい場所ではない気がする。
あ、美味しい。このタルトの焼き加減が絶妙。そうか、魔法で焼くとこうなるんだ。まだ温かいからかバターの香りも芳醇。幸せ。生クリームもとても美味しい。美味しい以外の言葉が出てこない。語彙力のなさにがっかりだ。
「満足して貰えたようで何よりだ」
長官が笑顔を向けてきているが、私はこのタルトの美味しさに免じて許す気はない。身内の店の個室だからいいだろうと思ったのだろうけど、ヴェラさんが完全に誤解していたではないか。
でもここで文句を言うべきではない。それくらいは弁えている。屋敷に戻ったら覚悟しておけよ。と、睨んだのに長官は笑顔のままだ。やっぱり惚れ薬の効果は出ている。ただ、非常識部分がどうにもならないだけ。それは惚れ薬の効能に含まれていないから仕方がないか。