強引な約束
実験日数も折り返したので、一度情報を整理してみよう。
実験一日目。長官が惚れ薬を飲む。豪勢な夕食を頂く。ワインが美味しかった。
実験二日目。長官が恋愛経験皆無と発覚。生活魔法髪の纏め方を教えて貰う。
実験三日目。夕食が高級食材の庶民風になる。生活魔法の基本を教えて貰う。
実験四日目。惚れ薬内容再確認。マカロン最高。生活魔法の基本の復習をする。
実験五日目。他の焼き菓子も最高。生活魔法の基本の復習をする。
うん。やはり私は惚れ薬に関する観察を全う出来ていないのではないか?
でも長官の視線が初日と今では違うのはわかる。惚れ薬を飲む前は上司だった。今は明らかに私を意識しているような感じがする。手を握りたがるし。手は説明で理解出来ない私の為に、魔法の使い方を身体に教えている時だけだから、これは惚れ薬と関係ないかもしれない。でも生活魔法を教えるのは面倒だって聞いたし、実際長官だから付き合ってくれるけど、普通の人なら本を読めと言われそうな感じはする。
元々接してなかったから知らなかったけど、長官は面倒見がよさそうな人なのよね。私への仕事の振り方もそうだけど、ユリエも長官が変わってから働きやすくなったって言ってたし。だからこそ惚れ薬の効果なのか、地なのか全くわからない。
そして長官から報告書を提出などという言葉は出てこない。おかしく見えないかという確認はあるけれど、異常行動は特にない。私の機嫌を取ろうとする事は多分惚れ薬効果の範疇だ。惚れただけでは意味がない。相手に自分を認めてもらおうと行動するのは自然とも思える。
問題は端正な顔立ち、生まれも職業も文句なしの男に好意を向けられる事に対して、私の心がいつまで絆されずに耐えられるかだろう。
そして実験六日目の今日。夕食時に長官から二人での外出を希望される。
これは良くないと思う。高級焼菓子店なら口の軽い人達はいないと思うけれど、噂好きの女性はいるかもしれない。持ち帰り不可のタルトは確かに惹かれる。そもそも貴族が多く住む一角にある高級焼菓子店は非常に足を運びにくい。平民が歩いていい場所ではないのだ。法律上問題はないけれど、精神衛生上問題がある。
一回だけユリエと出掛けたけれど辛かった。見た目の村娘感はユリエの忠告かお節介か遊びか、よくわからないけど彼女のおかげで十六歳の頃には消えていた。国家魔導士のローブを羽織ればどこからどう見ても国家魔導士に見えるはず。だけど立ち居振る舞いは無理。優雅という言葉が私の中にない。場違い感が半端なかった。
それを男性と二人で出掛けるなんて、どう振る舞えばいいのか見当もつかない。長官は何だかんだ言っても貴族だし、きっと自然に振舞えるだろう。その横に立つのが私では相応しくないというのはわかる。いくら魔力が多いと長官に言われた所で、一般人にはそれがどうした状態だ。魔導士のローブを羽織って出かけたりはしないだろうし。
「今日の復習はここまでにしよう。明日の約束は忘れないでくれ」
あぁ、やはり行かないといけないのか。高級焼菓子店のタルトは魅力的だけれど、長官と二人で出掛けるのがどうしても引っかかる。しかも瞬間移動が基本な長官なので、ここには馬車がないから歩きとの事。この屋敷から遠くないらしいけど、そもそもここがどこか私は把握していない。
「どうしても明日がいいのですか?」
「明日は無意味な会議がないから早く帰れる」
無意味なんて言っていいのかな。確かに王家と軍部が参加する会議は面白くもなさそうだけど。魔法石を取り合う戦争は回避したけど、私の村を焼いた隣国とは未だに解決していないし。
「どうしても嫌なら馬車を調達するが」
「それは遠慮します」
簡単に言うけど馬車を借りるのもお金がかかるだろう。これ以上私にお金をかけてはいけないと思う。そうだ、その方法で逃げよう。
「今まで色々とよくして頂いているのに、これ以上頂くのは申し訳ないのです。それに私の収入では気軽に行けるお店ではないでしょうから」
ただでさえ夕食を御馳走になっていて、焼菓子も貰ったのだ。値段のつけられない実験の報酬を貰っているのに、これ以上貰うのはいけない。こっちは平民だからで押し切ろう。
と、思ったのだけど長官は納得のいかない顔をしている。何故だ。
「私がカルラと出かけたいのだから、それにかかる費用など気にしなくていい」
「そういう訳にはいきません。私達は恋人ではないのですから」
う、長官の表情が曇った。いや、でも私は間違っていない。そもそも好意的な感じはするけれど、愛の言葉を伝えられた訳ではない。長官も惚れ薬を飲んでいる自覚がある以上、言わないのだろうとは思うけれど。
「恋人でなくても男女二人で出掛けるならば、男性側が全てを負担しても問題はない」
むしろ王都では男性が負担するのが普通だとユリエに教えて貰った。だけど私は知らなかったんだよ。村ではお金を払って食事なんてしなかったから。って、今はあの男の事を思い出している場合じゃない。
「私が気になります。平民なので貴族の常識はわかりません」
「それは平民も貴族も変わらないと思うが」
こういう時だけ普通の反応をするとかやめて欲しい。女性が男性以上に稼ぐとなると職業が限られてくるから、基本はないとユリエから聞いている。そして国家魔導士はその限られた職業だ。勿論、私の稼ぎは長官の足元にも及ばないけれど。
「とにかく、高級店に着ていく服もありませんし、急に明日と言われても困ります」
「服ならこの家にあるのを使っていい。妹が荷物を置いているからな」
「気軽に言いますけれど、他人の服が着られるとは限りません」
「年齢も近いし、体型も似ていると思うが。とりあえず案内しよう」
「ちょっ――」
だから勝手に歩き出さないで。いつも転移魔法円で帰るからこの屋敷の造りは把握してないのに。もう、なんて自分勝手な人なの。だから独身なんだぞ。って、隣の部屋なのか。地下が物置って珍しくはないけど、服を置く場所ではないと思う。
そもそも領地に住んでいると思われる妹さんの荷物が何故ここにあるのか。そして目の前のクローゼットから見える服の量がおかしい。私の部屋の数倍はある。
「この部屋も一種の魔道具だ。服が傷まないようになっている。陽も入らないから状態はいいはずだ」
うわ、また分厚い魔法石壁紙なのか。もう嫌だ、この家。
「妹が飽きてしまった服を置いている。思い出して持っていくのは稀だ。だからどれでもいい」
どれでもいいと言われても困るわ。この量を飽きる気持ちが私には理解出来ない。
「そうだ。明日は使用人を呼んでおこう。一人では準備もままならないだろうから」
「いえ、私は一人で着替えられます」
「遠慮する事はない。カルラに似合うものを見立ててくれるだろう」
そういう問題ではないと思うんだけど。
「遅くまで引き留めてしまって悪かったな。明日を楽しみにしている」
満面の笑みで押し切ってきた。今まであまり強引な事はなかった気がするけど、今日は妙に強引だな。それ程タルトを食べたいのか。確かに私も話を聞いてとても惹かれているけれど。
「わかりました。ただし、タルトだけ食べたらすぐに帰して下さいね」
「その後はここへ戻って来る。魔法の練習の為に軽い夕食を用意しておこう」
あぁ、仕事の帰りにタルトを食べて終了って訳にはいかないのか。でも魔法は出来る限り習得したいからやむを得ない。
「わかりました。それではおやすみなさい」
「あぁ、おやすみ」
もう作法とか知らない。タルトをささっと食べてすぐに帰ろう。