笑顔
少年は走る。走り続ける。ダッダッダッ。夕暮れと共に訪れた真っ赤な静寂に少年の足音が響き渡る。走る。息が切れ、胸は激しく上下する。喉は乾ききっている。足も思うように進まない。それでも少年は走る。下がりそうになるその頭を持ち上げ、少年はただひたすら前を向いて走る。何が少年をそこまで駆り立てるのか。それはつい先ほどのことだ。
少年は散歩することを好んでいる。それも己の未踏の地に向かい、宛もなくふらふらと彷徨うことを好み、それによって新たなものを見つけることを趣味としている。今日も少年は歩いていた。途中、立ち入り禁止の立て看板が立つ廃ビルを見つける。興味をそそられた少年はそのビルに足を踏み入れた。建物の中は荒れ果てていた。建物自体も老朽化が進み襤褸くなっている。しかし、今すぐ崩れ落ちることはなさそうだ。少年は辺りを見渡しつつ奥に進んでいく。奥深くのある部屋で少年はそれを発見した。それは、女の子の死体であった。元は白いであったであろうその服はよく見ると至る所に穴があり、そこから溢れ出した血は服を真っ赤に染める、そして床までも赤く染めている。その顔にも少なくない傷がついており、その表情は笑っているようにも怒っているようにも悲しんでいるようにも見えた。少年はしばらく息をするのを忘れていた。息をするのを思い出した時、少年は背を向け走っていた。後ろを見ることなく走る。
街を駆け抜け、家にたどり着く。転がり込むように家に入り、そのままの勢いで部屋に飛び込む。そして、その日、少年は部屋から出てくる事はなかった。次の日、少年はいつも通り学校に行き、放課後いつも通り新発見を求め彷徨い歩く。まるで昨日のことはなかったように。
それから数日後、いつものようにふらふら歩いている時だった。道の先に白と赤の服に身を包む見覚えのある姿が見えた。それは隣町に住むいとこだった。少年は声をかける。彼女は振り向き、少年を見つけると笑顔になった。少年が、何故こんなところにいるの、と聞くも彼女は微笑んでいるだけでも何も答えない。そんな彼女の様子に少年は頭をかき、少し俯く。しかし、すぐに顔を上げると右の口角を少しあげた。少年は彼女のほうに向きなおし、一緒にあそぶ、と尋ねる。彼女は笑顔で頷くのだった。見せたいものがあるんだと言い、彼女の手を引っ張る。少年には笑顔で引っ張られる彼女の手は、なんだか少し冷たいような気がした。
彼女を連れしばらく歩いた後、少年が着いた、と言って立ち止まったのは、あの廃ビルだった。少年は彼女と会話している時、今まで忘れていたここのことを思い出したのだった。しかし、少年にあの時のような感情はすでになかった。あるのは、彼女のいつもと違う顔が見てみたいという気持ちだけだった。少年のいとこである彼女はその感情の大きさには差異はあれども、どんな時も笑っていた。今もそうだ、こんな如何にもな場所に入ろうというのにただただ笑顔であった。そんな彼女の笑顔を見て、少年は少しのいたずらごころが出てきた。さすがに彼女であろうとも、死体を見たものなら、笑顔を崩さずにいられないであろう、と。その時、彼女はどのような表情になるのだろう、と。そんな思いを内に秘めながら少年は彼女を連れてあの部屋へと歩みを進める。部屋の前で彼女の手を放し、ここで待ってて呼んだら入ってきて、と言い、彼は先にその部屋に入る。しかし、その部屋には何もなかった。床が赤く染まっているだけである。少年は肩を落とす。確かにあったのに、と思ったとき、ふと、ある事を思い出した。そういえば、死体の女の子がきていた服は丁度、部屋の前で待っている彼女と同じようなものではなかったか、と。横たわっていて分かりずらかったが、彼女と同じような背丈ではなかったか、と。そして、彼女と同じように……
その時、彼女がいつまで経っても声をかけない少年に痺れを切らしたのか、もういい?とひどくしゃがれた声で言い、入ってくるのが分かった。
少年は振り向いた。その顔を見るために。
血に濡れた彼女はそれでもやはり笑顔であった。