8 劫火
階下には他にも男が待ち構えていて、ニーナは抵抗らしい抵抗もできないまま麻縄で後ろ手に縛られた。そうして乱暴に放り出された壁際には、同じように縛られたロイと祖母がいた。
「おばあちゃん、大丈夫?」
倒れている祖母に慌てて声をかけると、彼女はわずかに顔を動かして頷いた。ロイはあまりの事態に放心した様子で座り込んでいる。
ちらりとこちらを見やりながら、男達はテーブルに集まって話し出した。
「三人だけか」
「ああ。全部見たが、中にいたのはこいつらだけだ」
「ばばあとガキと女だけとは、運がよかったな」
襲撃者達の会話を聞きながら、ニーナは必死で状況を理解しようとした。
真夜中の室内に、テーブルのランプだけが薄く光を放っている。その灯りで確認する限り、襲撃者はおそらく男ばかり四人。一様に黒ずくめに縁なし帽を被り、覆面をしている。
襲って来た時には恐ろしいほど大きく感じたが、こうして見れば飛び抜けて厳ついのは座った一人だけだ。しかしこんな辺鄙で盗るものもない森の奥で、強盗などしてどうするつもりなのか。
椅子に座った大男が、息をつきながらテーブルに足を乗せた。
「まったく。誰だよ、森に入れば追っ手を撒けるなんて言ったのは」
「実際、撒けたじゃないか」
「それで迷ってちゃ意味ねえだろ。この家を見つけたからよかったものの。野垂れ死にさせる気か」
「過去に対する仮定の話ほど不毛なものはない」
「てめぇ……」
二人が睨みあいを始め、空気が不穏になる。それを止めるように、別の一人が口を挟んだ。
「やめねぇか馬鹿。それより、金目のものはあったのか」
「一応漁ってみたが、金になりそうなのはこれくらいだ」
ひょろりとした見た目の男が、服の隠しを探ってなにかを取り出した。それを座っている大男は受け取ると、テーブルから足を下ろして、手の中のものをランプにかざした。
「しけてやがる」
舌打ちする男の手の上で、それがランプの光を反射する。極細の金鎖が男の手からこぼれるのを見て、ニーナは目を見張った。
「返して!」
「ニーナ! およし!」
祖母の制止は耳に入らなかった。ニーナは咄嗟に立ち上がり、腕を縛られているのも忘れて跳びかかった。男達は驚いて飛び退き、大男も素早く手を引っ込めた。
ニーナは大男に体当たりしようとしたが、テーブルへ片手で突き倒されてしまう。両側から男二人で押さえ付けられ、それでもニーナは足を蹴り上げて立ち向かおうとした。
「返して! それを返してっ!」
少女の必死な様子に、椅子の大男は手の中の首飾りをちらと見た。
「そんなにこれが大事か?」
男の問いかけに、ニーナは顔を持ち上げた。
「とても大切なものなの。お願い、それだけは取らないで!」
ニーナの痛切な訴えに、男はなにか考える様子で手を開いたり閉じたりした。するとおもむろに、なにも持っていない方の手を伸ばして、顎に触れてきた。ニーナが顔を振って抗ったが、今度は強くつかんで顔を寄せた。男は感心したように、へえ、と笑った。
「こうして見ると田舎には珍しい器量だな」
男はニーナの鼻先に、首飾りを差し向けた。触れそうなほど近くにあるのに、両腕を縛られた状態では取り上げることができない。それでも、今は首飾りを取り返すことしか頭にないニーナはじたばたした。
「返してっ、返してよ! 返してったら!」
ニーナの反応に、男は軽く鼻を鳴らした。
「よほどの値打ちものらしいな」
それだけ言って首飾りをあっさりポケットにしまい込み、同じところから折り畳み式のナイフを取り出した。
「少し大人しくしな」
開いたナイフが喉元に突き付けられ、思わずニーナが動きを止める。その一瞬で、寝間着の襟元が切り裂かれた。
「いやっ」
ニーナが短い悲鳴を上げると、横にいた男が口笛を吹いた。途端に、覆面から覗く男達の目が好色な色になる。
目の前の男は裂いた襟元に手をかけると、今度はそこから力任せに引き破った。その音で硬直から溶けたニーナは、思い出したようにますます暴れた。
「なにするのよ! 馬鹿! 変態! 禿げ!」
「禿げてねえ」
男の思わぬ反論に、仲間からどっと笑いが起きる。
禿げているのか、とニーナは心の隅でちらと思ったが、それどころではない。思いつく限りの罵倒を並べ立てて喚いたが、両腕が使えないため思うような抵抗が出来なかった。
少女の柔肌に、興奮気味の声が男達の間から上がる。掻き立てられた男が覆面を外して舌なめずりしたのを見て、ニーナは全身が泡立った。
「いやあぁっ! 触らないでよっ! 禿げ! 禿げ! 禿げ!」
ニーナは連呼したが、もう男は聞いていなかった。周りがはやし立てる中、さらに躍起になって覆い被さって来て、ニーナは悲鳴を上げた。
その時、男の一人が驚いた声を上げたかと思うと、陶器が割れる大きな音が響いた。反射的に、全員の目がそちらに向く。それは、大きく揺れたテーブルからランプが落ちた音だった。
ランプの油が床に飛び散って染みとなり、そこに火が燃え移る。
「うわっ、やべ」
一番近くにいた男が靴の底で消火しようとしたが、焦り過ぎてなかなかな消えなかった。その間に、炎がみるみる燃え広がる。
「おい、なにやってんだ」
「早く消せ!」
「今やってる」
「水だ! 水を持ってこい!」
消火に手間取り、男達の動きが慌ただしくなる。ニーナに覆い被さっていた男も興ざめした様子で起き上がり、消火にまわった。
ようやく解放されたニーナは、もがくようにしてどうにか体を反転させ、騒ぎの方に顔を向けた。
目の前に、真っ赤な火柱が立ちはだかっていた。
周りでは男達が、どうにか消し止めようとしようとあがき、動きまわっている。だが火は弱まるどころか勢いを増し、柱や壁を問わず燃え広がり視界を飲み込んでいった。
黒煙が部屋に満ち始め、立ち上る熱気が肌を焼く。煙の向こうで、扉を乱暴に開く音がした。
「おいっ! どこ行く気だ!」
誰かが叫び、また誰かが舌打ちした。
「一人で逃げやがった」
「おれ達も逃げた方がよさそうだ」
男達が大声で言い合うのが聞こえ、荒々しい足音が響いた。そして気付けば、男達の気配はすっかり消えていた。
残されたニーナは、腕のいましめを解こうとしきりに動いてみたが、きつく結ばれたそれが緩む気配はなかった。
燃え盛る火炎が、部屋全体を包み始める。熱から逃れようとニーナが身をよじると、意図せずテーブルから転げ落ちた。
したたか肩を打ち付けて堪らず呻くが、悠長に痛がっていられない。黒い煙が押し寄せて視界はなく、息をするだけで喉が焼け付いた。それでもなんとか顔を上げ、ニーナは声を張り上げた。
「ロイ! おばあちゃん! どこ!」
「姉ちゃん!」
すぐに返答があって、ニーナは一瞬ほっとした。
「ロイ、無事なの!」
「姉ちゃん、ばあちゃんが!」
今にも泣き出しそうな声で、ロイが叫び返す。どうにか声の方へ行こうと、ニーナは両腕がきかないまま何度も体をひねった。
「姉ちゃんっ、姉ちゃん!」
「待って、ロイ! 動いちゃ駄目よ! 今そっちに……」
言葉の途中で、ニーナは激しく咳き込んだ。煙がしみて、もう目さえ開けていられない。炎の熱に、頭の中心がぼんやりしてくる。
これはまずいと感じながら、ニーナの意識はすでに朦朧としていた。
遠くの方で弟の叫ぶ声がする。早く行ってやらなくてはいけないのに、体が言うことを聞かない。息が、できない。
そこで、ニーナの意識は完全に途切れた。